一体何がどうなってこうなったのか。当事者に問い質したいところだが、最早自らもその一員になっていることに気付かないほどリドルは愚かではなかった。きつく引き絞っていた眉間の皺を無理矢理指先で揉み解すと、目の前の煌びやかな空気に副うように、端正な顔立ちに極上の笑みを浮かべてみせたのだった。




07. 貴方を奪いに参りました




そもそもの始まりは何だったのだろうか。思い返そうとするがどうやっても思い出せない。当たり前だ。リドルは巻き込まれたに過ぎない。原因を作ったのは今、彼の隣にいる少女。彼女の名はユーディール。赤みがかった金色の巻き毛をきつく結い上げて、いくつもの髪飾りを挿している。着ている物は赤銅色のオーガンジーを幾重にも巻いたドレスで、胸元には輝く石が飾られている。茶色い瞳に映るのは、彼女の婚約者ではなく紅い瞳の少年、トム・リドルだった。
「トム?どうしたの」
腕を組んだまま、見上げてくる彼女には怒鳴り散らしてやりたい。けれどそうしないのは彼女が彼の愛する少女の親友だからで。きっとそんなことをした日にはリドルはに口をきいてもらえなくなる。
「……別に」
「怒ってるわよね」
「そう見える?」
躊躇いがちに見上げてくるユーディールにどうしても冷たくしてしまうのは仕方がない。と、いうよりもリドルは元々以外の人間に興味が無い。彼自身の未来の為に当たり障りのない程度に周囲と付き合ってはいるが、一定以上の距離を踏み込ませたりはしない。例外は、只一人。リドルにとって、この世で唯一、彼女だけが特別だった。彼女と、それ以外。彼の世界の構成はこうだ。『それ以外』の中には自身も含まれている。そのことが何よりも彼女を哀しくさせるのだけれど。
「見える、わ。あの、今更だけどごめんなさい」
僅かに怯えたように見えるユーディールの様子にリドルは本日何度目か知らないため息を吐き出した。きっかけは、そう、単純なことだったのだと思う。隣に立つユーディールには将来を約束した相手がいて、アレンという名のその少年はプラチナブロンドの髪とブルーグレイの瞳を持つ知的な顔立ちのスリザリンの寮生で、何の因果かリドルとは友人の立場にある。鋭い感性を持つアレンにリドルは自身の野望の片鱗を看破されてしまっている。しかしそれを知っても驚きもせず、むしろ時折助言とさえ取れる言動を行うアレンはあらゆる意味で図太くリドルにとって有益だが扱い辛い位置にいる人間の一人だ。そのアレンはといえば、髪と目の色が映えるよう、真っ白な生地に少し生成りのかかった糸で豪奢に刺繍の施されたドレスローブを身に纏い、一人の少女を優雅にエスコートしている。少女は、まっすぐな黒髪をその性質を活かす様に高く結い上げて後れ毛はそのままに下ろされ、深紅の絹のリボンで飾っている。髪に飾られたリボンと同じ深紅のドレスは胸元の大きく開いたデザインで、普段ほとんど衆目に晒されない形の良い鎖骨の形がくっきりと浮かんでいる。その事に顔をしかめると、隣のユーディールが「、綺麗……」と思わず呟いているのが聞こえた。そう、彼女こそがリドルが愛する少女である。

「はい?どうかしましたか?アレン」
リドルの視線に気付いたアレンがさり気なくをその視線から隠すように立ち位置を変える。
「いえ、綺麗ですね。とても似合っていますよ」
「まあ、ありがとうございます。お世辞でも嬉しいですわ」
にこりと爽やかに微笑んでエスコートする少女に言えば、さらりとかわされた。
「お世辞ではなく本気でそう思っているんですが」
「あらあら、お上手ですこと」
「信じてもらえませんか?」
すっと伸ばされた指先が陶磁器のようになめらかな頬に添えられる。背に刺さる視線が二倍になって、そして穴でも開きそうな勢いになった。むしろ呪い殺されそうな雰囲気だ。しかしアレンは無視して、に触れる手を止めない。
「アレン、楽しんでいらっしゃるでしょう?」
にこやかに微笑んだままが言えば、こちらも笑みを崩さないままアレンも答える。
「ええ、とても。滅多にある機会じゃないですからね」
「困った方ですわね」
「そうですね。自分でもそう思いますよ」
「ユーディールが可哀想ですわ」
傍から見たら恋人同士が睦言を交わしているようにしか見えない、そんな距離。周囲にいるホグワーツの生徒達は、信じられないものでも見るかのようにアレンとを、そしてリドルとユーディールを見比べている。この二組のカップルは見目が麗しい事もあり、スリザリン寮内に止まらず校内の誰もが公認している。それが何故か、よりにもよってクリスマスの今日に限って組み合わせが違う。しかもアレンの先程からの行動によりリドルの機嫌は急転直下、どんどん悪くなる一方だ。楽しいパーティーの雰囲気は何処へやら、禍々しい気を放つスリザリンの秀才に周囲は近付こうとすらしない。
「ねえ、ユーディール」
「な、何?」
「さっさとこのくだらないお遊びは終わりにしてくれないかな。じゃないと僕、ちょっとこの後の自分の行動に責任持てないことが起こりそう」
口元に引き攣った笑みを浮かべつつ、視線は件の二人に釘付けのままリドルが言うと、隣に立っていたユーディールは途端に眉をきゅっと寄せ唇を尖らせた。
「いくらトムが怖がらせてもこれはダメ」
「いいかげん、謝っちゃえばいいだろ。それでこの場は万事解決するんだからさ」
「わたしは悪くないもの!」
頑固に言い張る彼女にリドルは今度こそ怒鳴ってやろうかと思った。そう、始まりはほんの些細な事。あれはクリスマスが近くなった、ある土曜日の事だった。リドルももクリスマスに興味は無く、パーティーが開かれても毎年寮の談話室で過ごしていた。人の大勢いる場所はリドルが好まなかったし、閑散とした談話室を独占して二人っきりで過ごす方が良かったからだ。今年もそうしようと二人でクリスマス休暇前に出された課題を片付けていたところ、談話室の入り口が開いて、珍しく声を荒げたユーディールがぷりぷりと怒りながら入ってきた。何事かとそちらへ視線を向ければ、すぐ後にやってきたアレンも同じように機嫌が悪いようだった。
「もう知らない!クリスマスは別の人と過ごすわ!いいのね!?」
「どうぞご自由に。貴女の勝手ですから」
派手に喧嘩をしながら二人はそれでも同じ方向に、つまりリドルとのいる方へ向かってくる。興味なさげに事の成り行きを見ていたリドルだったが、足音高く近付いてきたユーディールに突然引っ張られて無理矢理その場に立たされた。
「わたしトムとダンスパーティーに出るわ!!」
「は?」
突然宣言され、乱暴に腕を組まされた。話の急展開についていけずに思わず間抜けな声が口から漏れる。ユーディールの両の瞳はきつくアレンを見たままだ。そのアレンも彼女の言葉にこれ見よがしに肩を竦めて、
「仕方ないですね。では、俺と組みますよ」
「あら?」
こちらも多少強引にの手を取り、そう言った。
「ちょっと、ねえ何なの?話が見えないんだけど」
一体何が始まったんだ。迷惑だと言わんばかりに顔を顰めてリドルはの肩を抱いているアレンをきつく睨みつける。しかし彼の声は頭に血が上っているらしい元凶の二人に軽く無視され、仲直りさせるどころか喧嘩の原因すら知らされないままずるずると今日まで来てしまった。もちろんとは離されたままだ。たまに二人で話そうにも、ダンスの練習をするとかそういう理由ですぐに別れてしまう。自分がユーディールとステップの確認をしている最中、当然はアレンと踊っていたのだろう。そういえばはダンスが出来たのだろうか?確か日本にはそのような習慣はなかったはずだが。
「そりゃあ、二人には悪い事したとは思ってるわよ?」
「ならさっさと僕とを二人にしてくれ」
「ダメよ。アレンが謝るまで絶対に、いや」
悪い事をしたという自覚はあるらしいのだが、関係修復を望むリドルの言葉に頑固に頷かない。もうすぐダンスパーティーが始まる時間だ。広間へ入る扉の前で並んで順番を待ちながら、リドルはどうするのが最善かそのことを考えている。
「アレンも何を考えているんだか」
「知らないわよ!」
その名を口にするだけでヒステリック気味な悲鳴をあげるユーディール。けれど視線は数組前に並んで立っているアレンと、その二人にひたすら注がれていて、気にならないはずはないのに強がっている。そんな彼女の内心がありありと見て取れた。いよいよ音楽が鳴り始め、大扉が開いて着飾った生徒達が優雅にドレスの裾を翻しながら中に入っていく。
「トム、この辺で……ねえ、何処まで行くの?」
最初の曲はワルツだ。一番最初の曲だけはあらかじめ決められたパートナー同士で踊らなければならない。リドルはユーディールに腕を組ませたまま、フロアの中心を横切る。不安に思った彼女が声を上げるが無視してずんずんと進んでいく。
「トム!?」
向かう先にプラチナブロンドと黒髪の二人組、アレンとがいることに気付いたユーディールが驚いて止まろうとするのを強引に引っ張って歩みを進める。
「リドル?」
まさに今手を取って踊りだそうという時。アレンの手が腰にあるままの状態でが首を傾げてその名を呼ぶ。
「忘れてたけど、僕はね欲しいものは必ず手に入れるんだ。自分の力で」
毒々しいまでに艶やかな笑みをその秀麗な顔に浮かべ、リドルはここまで連れてきていたユーディールの身体を前に押し出す。
「きゃあ!」
「これ、返すよ。だからさっさとその手離してくれない?」
「……やれやれ」
リドルに睨まれて、アレンは肩を竦める。会場のざわめきはいつしか消えていた。周囲の人間と、オーケストラさえも静まり返って事の成り行きを見守っている。
「ア、アレン……」
ユーディールが躊躇いがちに呼んだその声に、プラチナブロンドの髪をした少年は、かけていた眼鏡の位置を直す。
「短い夢でしたね」
束の間のパートナーだったにそう言えば、黒髪の少女はにこりと微笑んだ。
「ホンモノの夢は長く続くものですわ」
あっさりと手を離し、アレンはユーディールを引き寄せる。
「アレン」
「いいかげん、元に戻りましょう。そろそろいいでしょう」
「う、うん……」
ぎこちないながらも伸ばされた手に自分の手を重ねるユーディールにアレンもようやくほっと息をついた。いつもと違う状況を楽しんでいたとはいえ、やはり落ち着かなかったのだ。
「もう二度と喧嘩なんかしなくていいよ。迷惑だからね」
「あら、リドル。わたくしは中々面白かったですわよ?」
「僕はつまらなかった」
憮然と言い張るリドルにはくすくすと笑いを零す。解決の空気を読み取ったのか、オーケストラのメンバーが曲を奏ではじめた。
「せっかくだから踊ろうか」
「ええ」
自然と繋がる手。恭しく礼をしてみせたリドルに微笑んで、も優雅に腰を折る。音に乗せてステップを踏み出し、最初のターンを決めようかという時になって、
「そういえばリドル。わたくしまだお伝えしていなかったことがあるのですが」
「何?」
ようやく手元に戻ってきた愛しい恋人の顔を覗き込むと、彼女はにっこりと微笑んで、
「わたくし、踊れませんの」
と。次の瞬間、リドルの足の上に細いヒールが突き刺さっていた。声にならない悲鳴を飲み込むリドルには常の通りほわほわとした笑みを浮かべて「愛は痛みを伴うものなのですわね」と呑気に言っていた。



完成日
2007/12/02