08. どうしようもない大人と爪先立ちの子ども
「乱菊ーちょっと来い」
朝餉を終えてしばらくしてからに呼ばれた乱菊は、居間で一緒に遊んでいたギンと目を合わせて首を傾げた。色とりどりのビー玉やおはじきを畳の上にそのままにして、奥の座敷へ駆けていく。子供の軽い身体が、廊下を通る際にぺたぺたぺた、と可愛らしい音を添えてくれる。
「なに?」
「ちょっとこっち来て、そこ立ってみ?」
部屋の入り口で問うと、ちょいちょいと手招きしている養い親代わりの青年。素直にの前に立つと、彼は傍にあった長持から少しばかり色の褪せた着物を取り出す。浅葱に簡単な花模様が染められたそれは子供用の着物だ。それを広げて乱菊の肩の線に合わせると、は眉間を寄せてむむむ、と唸った。
「?」
彼の様子に小首を傾げる乱菊がその名を呼ぶと、は次の着物を取り出してまた乱菊にあててみる。しかし眉間の皺はけわしくなるばかり。
「何やっとるん?」
のんびりと歩いてやってきたギンも部屋の入り口から覗く。その間もは長持から次々に着物を取り出してはため息をつく。
「あーダメだー。どれも丈が足りねー」
着物を放り出して頭をがしがしとかくに乱菊は首を傾げ、ギンは傍に寄ってきてが放り出した着物を拾う。
「乱菊の新しい着物やて」
「ほんと?」
ギンの言葉に乱菊は頬を紅潮させ、目を輝かせて足元に散らばった着物を見る。だがは喜ぶ乱菊に待ったをかけた。
「ダメ。どれも丈が足りないから乱菊には着せられない」
座り込んだまま腕を組み、の考えることはこの家の収支状況だ。定職についていないははっきり言えば無職のプー太郎だ。それでも自分ひとりぐらいなら十分に養えるほど蓄えは残されていた。しかしひょんなことから子供を拾い、さらにその子供が今度はまた別の子供、しかも女の子を拾って連れてきた。子供二人ぐらい何とかなるだろう、と高をくくっていられたのは最初の数日で。食費だけでも馬鹿にならないどころか、着るものやその他生活に必要な道具を細々と揃えていたらあっという間に小金が飛ぶ。
「あー真剣に職探すかなーこのままじゃやばい」
ぶつぶつと呟くに真っ先に反応したのはギンだ。
「えーいややー。がお仕事行ったら忙しくて遊んでくれへんようなるやんか」
の膝に飛びついてぎゅうぎゅうと頭や頬を押し付けてくる。
「着物なんかお古で十分や。ボクも乱菊も、な?」
「うん。これ、きれい」
最初にあてられた浅葱の着物を抱きしめて、乱菊もギンから向けられた言葉に頷く。
「ギンのは俺の昔の着物が残ってるからいいんだけど、乱菊は女の子だろ?小さい女の子用の着物はあんまないんだよ」
「裾、短くても平気よ?」
少しぐらい寸足らずでも構わない。流魂街で襤褸のように転がされていた日々では、清潔な着物を毎日身につけることすら叶わなかったのだから。
「そんな訳にいくか。いいか、乱菊は女の子なんだぞ。いつでも綺麗にしておかないと、お嫁さんに行けなくなっちまうぞ」
ギンと同じように、しかしどこか遠慮しての傍にすとんと座った乱菊の肩に手を置いて、妙に力が篭る言い方で桔梗色の瞳は「女の子はいついかなる時も綺麗でいなくちゃならない理由」とやらを切々と語っている。ぽかんとした顔でそれを聞いていた乱菊の隣で、ギンはふと思いついたことを言ってみる。
「なあ、納戸の奥にしもてある着物はあかんの?」
その言葉にはぎくり、と肩を震わせ、凍りついたような視線をギンに向けた。
「いっぱいあるやんか。アレ、乱菊が着たらあかんの?着物だけやなくて、帯も髪飾りもいっぱいきれいなんあったで?」
の視線に気付かないのか、ギンは無邪気に続ける。彼の言葉に乱菊がぱあっと顔を明るくさせ、期待をこめてを見る。その時になってはじめての様子がおかしいことに気付いた。
「?」
「……めだ、アレは」
「なあに?」
「“アレ”は駄目だ!ギン、おまえ二度と勝手に納戸に入るな」
「……っ!?」
「……、どうしたん?」
腹の底から響くような、低い獣の唸り声に似た声で恫喝する。驚いた乱菊が息を呑み、手にしていた浅葱の着物が空しく畳の上に落ちた。一方怒鳴られたギンも、自分がなぜここまで怒られなくてはならないのか分からない。確かに納戸には勝手に許可なく入ったのだが、そこまで厳しく怒られるほどのことだろうか。それでも普段滅多に理不尽な事で叱ったりしないがここまで怒るのだから、ギンは何かいけないことをしたのだ。
「あの人のモノは駄目だ……駄目なんだ………あの人は、まだ、だって俺は」
俯いて、艶やかな黒髪を掻き毟るに子供達は戸惑うばかり。いつだって泰然と笑って構えている、自分達よりはるかに大人な彼のこんな姿を見るのは二人とも初めてだった。うわ言のように零される言の葉はどれも意味を掴めない。
「…………っ」
ぺたり、と。頬に触れたあたたかい熱にはようやく現実に引き戻される。見れば自分へと懸命に手を伸ばしている乱菊と、その隣で項垂れたギンが目に入る。
「………ごめんなさい」
小さく音に乗せられた謝罪の言葉に、は銀色の頭のつむじを見つめる。
「なんで謝るんだよ」
「ボクが余計なこと言うたから、は怒ったんやろ。そやから、ごめんなさい」
ぽたり、と畳の上に小さな雫が落ちる。
「ごめんなさい。謝るから、お願いや、ボクのこと嫌いにならんといて」
決してと視線を合わせることなく、ギンはごめんなさいと繰り返す。ついには乱菊も一緒になって泣き出す始末だ。子供二人が泣く様子に、は気まずさを感じる。不用意に怒鳴ってしまった事を反省した。
「あー、もう」
自分に対して深く息をつき、はその腕で小さな身体を二つ、自分の方へと引き寄せた。
「どうしようもねぇなあ、俺って」
腕の中の二人分の重みは、自分のものよりはるかに小さく、軽い。そして自分のものよりあたたかい体温を有している。ほんの少し前までは、この家に一人きりで暮らしていた。誰にも、何も干渉されることなく、煩わされることもなかった。それが今では毎日泣いたり笑ったり。
「嫌いになんか、ならねぇよ」
しがみついてくる銀と、金の頭を優しく撫でながらは言う。その一言に、自分の紡ぐ言の葉ひとつで泣き顔が笑顔に変わる。
「嫌いになるわけないだろ」
もう一度、言っては笑おうとして、そして失敗した。苦く疼く過去を引きずりながらも、思う。いったいいつまでこうしていられるのか、と。
完成日
2006/12/26