掴まれた腕が、痛い。
一度炎を燃え上がらせてしまえば、二度と戻る事は叶わない。
つい先日成就したばかりの恋は、思った以上に甘美な毒を孕んでいた。

午睡から醒める、その瞬間がとても寂しいのだと、訴えれば彼は不思議そうな顔をした。何故だ、と短く問いかけられても、あたしは答えを自分の中に持ち合わせていない。だから曖昧に微笑むしかできない。
「おまえはいつも可笑しなことばかり口にする」
笑うのに失敗して、崩れた笑みを見せるあたしにセブルスは淡々と告げる。確かにあたしはいつもいつもセブルスには思いもつかないことで悩んだり、慌てたり、怒ったり、泣いたりする。しかし言わせてもらえばあたしではなく、セブルスの感覚が通常よりだいぶずれているのだ。この事は多分誰に聞いても納得してもらえるはずだ。
「だって」
口を開きかけて、また閉じる。風に運ばれた花の香りが静かに満ちていく。春先の空は薄青くぼやけていて、何処かにあるはずの真昼の月の存在も隠してしまう。芽生え始めた若草の上に寝転んでうとうとと昼寝を決め込んだあたしの隣にはセブルスが、分厚い魔法書を膝に乗せて黙って座している。二人の距離はほぼゼロに等しい。例えばあたしが寝返りを打てばセブルスの膝に頭を乗せてしまえる、そんな距離しか開いていない。顔だけセブルスの方へ向けて、下から表情を見上げる。癖になってしまっている眉間の皺は、こんなにいい天気の日にも取れることはない。
「何だ?」
視線を感じたのか、それとも言いかけたまま続きを言わないあたしの態度を不審に思ったのか。視線は本に落としたまま疑問符を投げかけてくる。
「さみしいのよ」
「それは先程も聞いた」
「どうしようもなく心細くなるの」
「何故だ」
「分からない」
言えば呆れたようにため息が落ちてきた。全てを分かって欲しいだなんて、思わない。きっとどれだけ言葉を交わしても、体温を分け合っても、あたしがあたしであるように、セブルスもセブルスでしかない。二人が溶け合って、一つになることなど有り得ない。だからあたしはセブルスを一生理解しつくせないし、セブルスも多分あたしの全てを判ることなどない。それでも、だ。

名を、呼ばれるようになったのはいつからだったろう。ぼんやりとそんなことを考えながら見上げると、呆れたように力の抜けた、彼にしては随分とやわらかい表情をしたセブルスがまっすぐにあたしを見下ろしていた。見上げるあたしと、見下ろすセブルスの視線が、絡む。
「おまえの言う言葉はいつもわけが分からない」
言って、魔法書を閉じると、横に置いて彼はごろりとあたしの横に寝転んだ。驚いて目を見張るあたしの鼻先に顔を寄せ、低く響く声で囁く。
「同じことをすれば少しは分かるようになるのか?」
それはとても甘美な毒。全てを分かってもらいたい、だなんて傲慢な願いなど口にしない。それは相手を煩わせるだけだから。だけど、それでも、知って欲しいことはあるのだ。全てを知って欲しい、知りたいだなんて言わないけれど、お互いを知り合う努力はしていきたい。そしてそれは、一方通行じゃ駄目なのだ。そうでなければ二人が一緒にいる意味が無い。
「呪文の勉強はいいの?」
「魔法などよりおまえの方がよほど難解だ」
腕を掴まれ、引き寄せられる。触れられた箇所が熱を持ち、火傷のように痛みだす。終わる事のない甘い痺れに身をゆだね、抱えられた頭をセブルスに預けるとゆっくりと瞳を閉じる。春の陽射しはあたたかく、それ以上にセブルスの体温が心地良い。容赦なく眠りに引き込むそれらの甘い誘惑はまるで麻薬のように、すでに手放せない状態に陥ってしまっているあたしをひどく臆病にするのだ。もしも目が醒めて、隣にセブルスはいなくて、全てが夢であったとしたら。何も知らずに幸せな夢をひとりきりで見続けるだなんて、それではただの道化ではないか。だから怖い。一人で目覚める寂しさが、怖い。ぎゅっと、彼のローブの端を掴めば、呼応するようにまわされた腕の力が強まる。この無言の遣り取りが、何よりもいとおしい。

だから、もう、二度と戻れない。




13. 此の心地良さを手放すなど、もう、




目が醒めてもひとりじゃないって、ずっとずっと約束して。



こっそりいつもお世話になってる遊木さんに捧げます。

完成日
2007/03/08