20. 太陽がオレをお呼びだ
目覚めてみると、とても気持のいい朝だった。青空はどこまでも澄んで、輝く太陽は世界の端までを照らしているようだった。オレンジ色に家々の屋根や木々の梢を染める朝の光を頬に感じて、は一日の始まりに何か特別なものを感じたのだった。
「浮竹隊長!おはようございますっ」
「ああ!ずるいぞ小椿!!あたしより先に隊長に挨拶するなんて!」
十三番隊の隊舎では、毎度お馴染みの三席同士のにぎやかな掛け合いが今日も健在だった。両人が唾を飛ばしあうほどの言い争いから、髪や服を引っ張り合う乱闘に至るまでそんなに時間はかからない。いつもなら二人の喧嘩が本格化する前に絶妙なタイミングで止めてくれる同隊の八席の介入が今朝はないので、本当に酷いことになろうとしている。出仕してくる他の隊員が隊舎の入り口でぎょっとして立ち止まる。このままでは今日の仕事に支障をきたす。それどころか、隊舎が半壊しかねない。そこで十三番隊に入ってまだ日の浅い、下っ端も下っ端、席官なんて夢もまた夢、の平隊員である彼は一大決心をして、今にも抜刀しそうな勢いにまで発展した仙太郎と清音の様子を傍で見守る上司に何とか近付いて、二人の喧嘩をなだめてくれるはずの人物の所在を尋ねる。
「なら今日は休みだ。有給使って遊びに出かけたよ」
にこにこと邪気のない笑みで言われた答えに彼は意識が遠くなる気がした。「え、じゃああの二人どうすんの」と、生来口の滑りやすい性質の(良い方向に解釈すれば素直すぎる)彼は危うく素の自分を恐れ多くも護廷十三隊の隊長の一人に曝け出す所だったが何とか耐えた。
「しかし仙太郎も清音も朝から元気だな」
あっはっは、とか笑いながら暢気に流血一歩手前の二人の乱闘を眺める浮竹に今度こそ暴言を吐きそうになったが、今度も堪えることに成功した。代わりに用心深く何度も深呼吸して気持を落ち着けると、傍らの上司に目の前の事態の収拾をつけてくれるように願い出た。しかし浮竹の返答はしごくあっさりと彼の努力を無駄にする。
「それは無理だな。二人がああなったら俺には止められん」
そう言って「さあて今日も仕事を頑張るかー」とか爽やかに笑いながら隊主室の方へ向かう浮竹の広い背中を彼は走っていって蹴飛ばしたい気持にかなり本気でなった。今度は堪えきれずに、しかし最後の理性をフル動員して、蹴り上げた足の方向を床に向けることに成功した。床には穴があいた。彼が思うのは唯一つ、が早く帰ってくることを祈るのみだった。
一方その頃、十三番隊の四席以下の隊員たちが帰還を心待ちにしている当の本人はというと、現世にいた。もっと詳細を言うならば、浦原商店の店舗部分の奥の座敷にいた。
「やっぱりこっちの方が似合うかなー?夜一どう思う?」
茄子紺色の着物を手に取り、鏡を覗き込みながら問うに夜一はふうむ、としばし考え込む。
「似合ってはおるが少し地味すぎはしないか?おぬしならもっと明るい色でも合うだろうに」
顎に手を当てたまま彼女は別の着物を取り、の肌色にあわせてみる。手に取ったのは目にも鮮やかな柑子色の衣で、黄赤の地には裾にかけて銀糸で細かな刺繍が施されている。遠目では判らないが、かなり手のかかるもので、値段も相応にする。
「うむ、やはりこちらが似合いじゃ。これにしろ」
得心顔で言い切る夜一には思わず破顔する。着物に似合うように濃い色の羽織も、と物色し始めた彼女の横ではこの家の主である喜助がやけにうきうきした様子で豪奢な染め織物を手にしている。
「さーん、折角だからこっちの打掛けも羽織ってみませんか?」
大柄な花々が散らされた目にもまぶしいその衣はにはとてもよく似合う。が、どう見てもこれは『男』が着るものではないことが誰の目に見ても明らかだ。呆れ顔のの隣で夜一は半眼になって無精髭を生やした旧友を睨む。今となっては何故こんな奴の為に尺魂界を裏切ったのか、当時の自分に激しく問いただしたい気さえしてくる。
「どうっスか〜?絶対似合いますよ」
「喜助、そのご機嫌な思考を今すぐ打ち切らねば儂かのどちらかに今すぐ葬られることになるが構わぬか」
鬱金色の瞳をうっそりと細め、口元に歪んだ微笑を張り付かせた夜一がそう言えば、隣のはにこにこと自身の斬魄刀を出現させようとしているではないか。
「陵王に斬られると魂に傷がつくからなー、現世のみならず来世にまで痛みは続くけど」
喰らってみる?と可愛らしく小首を傾げる様子は大変眼福ものだが、浦原は背筋をぞっとしたものが滑り落ちる感触に身を縮めると、乾いた声で「冗談ですよ〜、あは、あはは……」とすごすごと引き下がった。
「まったく、喜助はおぬしの事になると見境がなくなるから困ったものじゃ!」
「あはは、相変わらずだなあ、喜助も夜一も」
憤然と息を吐く夜一にやわらかな笑みを向けながらは彼女が見立てた着物に袖を通し、衣擦れの音も爽やかに手際よく帯を締めてゆく。姿見を覗き込み、皺になっていないことを確認すると、桧皮色の羽織をさっと肩にかけた。流れるような黒髪は随分と伸びて、肩を少し超えるほどになっていた。それを適当に後ろで結わえると、彼は用意してあった草履を引っ掛ける。
「じゃあ行ってくる」
「お夕飯は一緒に食べれるんスか?」
「大丈夫だよ。ジン太や雨にそう伝えておいて」
いってらっしゃ〜い、と手を振る浦原を後には残暑厳しい日差しの中歩き出す。まだまだ気温は真夏日で、道行く人々は極力自分が纏う布地の面積を減らしたいと思うばかりだ。だがその中を汗ひとつかかず、涼しい顔でまっすぐに歩く桔梗色の瞳の青年は何かの物語の伊達男、その絵姿のようで。事実惚れ惚れするような彼の整った容姿に、偶然行き違った主婦の皆様は腰砕けだ。善良な人妻を本人の与り知らぬ所で次々と誑かしながらは現世へ来た本来の目的、ある人物に会うために歩く。今朝はとても良い目覚めだったのだ。あんなに心地よい気分で起き出したのは久方ぶりだった。直前まで見ていた夢は忘れてしまったが、そんなことはどうでもいいぐらい、朝日が眩しかった。その光の色を見て、思い出した。だから会いに来たのだ。
「あ!あ、あ、あああー!!」
夏休み明けの気だるげな空気が未だに抜け切らない学校。お昼休みを迎えて教室内ではあちこちで弁当を広げる生徒が見られる。その中の一人、井上織姫はふと何気なく窓の外に視線をやって、そうして思わず声を上げた。
「くくく、黒崎くん!」
彼女は友人らと教室を出ようとしていた死神代行の少年を呼び止める。
「何だよ井上、何か用か」
「外!外みてっ」
緩慢な動作で歩み寄ってくる一護がもどかしくて、椅子を蹴倒して立ち上がるとぐいぐいと彼の腕を取って窓際へ連れて行く。周囲のクラスメイト達はそんな彼らの様子にぽかんとしている。
「外って、何かいたのか――」
織姫の脇から顔を出して見下ろした先には、わずか一月前に知り合ったばかりのとある人物の姿があった。一瞬目の錯覚かと疑ったが、何度瞬きを繰り返しても、その人はそこに立っていた。昼の日差しが眩しいのか、自らの手で日よけを作り、手元の小さな紙切れを覗き込んでいる。
「ね、さんだよね!?間違いないよね?」
興奮気味に同意を求める織姫に頷くのもそこそこに、一護は走り出していた。校舎内を全速力で駆け抜け、上履きのまま埃っぽい校庭を横切る。段々と近付いて、はっきりしてくる輪郭。捉えた視線、その先で、桔梗色の双眸がふっと緩む。やっとのことでの前まで辿り着いた一護だったが、その場にへたり込んでしまいそうなほど体力を使い果たしていた。体育の授業でもこれほど真剣に走ることはあるまい。膝に手を当てて、うるさいぐらいに鳴り響く心臓の音を宥めるのに必死な少年の耳に届いたの声は、
「ああ、やっぱり太陽の色だな」
嬉しそうに笑っていた。
完成日
2007/01/31