フェルトの身の上を聞き、その上で慰めていたロックオン。たまたまその姿をアレルヤに見られ、その上フェルトが涙を流していたことから誤解される始末。すぐに訂正したが、噂というのは厄介なことに嫌なものほど広がるのが早い。今回もそう。本人の意思とはお構いなしに流布される。




24. 立てられた爪さえいとしい




「子供にモテるんだな」
廊下を曲がった所で出会ったティエリアが開口一番言った言葉に自然と顔が渋くなる。あからさまで判りやすい皮肉に口元が引き攣ったまま、ようやく浮かべた笑みは鼻で笑われた。
「何か、用か?」
「別にない。だが浮気とはいただけないな」
「な!?誰が浮気だ!」
聞き捨てなら無い一言にロックオンは最後の余裕すら忘れて壁に凭れて悠然と立っているティエリアに食って掛かる。だが対峙する相手は余裕たっぷりの笑みで見上げてくる。
「違うのか?まあ関係ないがな。別れるならさっさとしろ」
「何でそんなことおまえに言われなくちゃならないんだよ」
「失恋で傷ついているときが一番つけいりやすいからな」
今度こそ絶句したロックオンをティエリアは口元に不穏な笑みを湛えたまま追い抜き去っていく。その背が角を曲がろうとしたところでようやく我に返ったロックオンは、
「誰が別れるか!」
と叫んだが返事は無かった。

どうもいけない。何かまずい事をしただろうか。ここのところ周りはティエリアのように毒を投げかけてくるか、あるいは必要以上に気を使って却ってぎこちない空気を作り出してしまっているかのどちらかだ。フェルトにああいう風に接したのがそれほど大きな問題になるとは思わなかった。とにかく不味いのは、彼女が、がこれほどまでに周囲に好かれているという現実だ。いや、平素ならばそれは歓迎すべきことなのだ。彼女は元々この世界の何処にも存在しない、するべきではなかった人物だ。の言葉を信じるならば、タイムスリップというヤツで突然この世界に引っ張られてきたのだという。それ故に誰も知り合いのいない、受け入れてくれる場所すらない孤独に呆然としていた。ロックオンが偶然彼女を見つけ、周囲の反対を説き伏せて一緒に行動するようになったのだが。最初は何処かの間諜やもしれぬとやはり危険視されており、特にティエリア辺りはかなり辛く当たっていた。その度に落ち込み涙する彼女を慰めてきたのがロックオンで。二人の間に特別な感情が生まれるのに早々時間はかからなかった。今では彼女が孤独を感じる暇も無いほど彼女の周りは賑やかで、また好意を持つ人も大勢いる。
「好意の意味が重要なんだよなー……」
がっくりと項垂れつつ一人ごちるロックオン。ただの『好き』、ようするに“like”ならば問題はない。だがそれ以上、つまり自分が彼女に抱いているようにそれが“love”になった場合が問題なのだ。
「どうしたんだい?」
「アレルヤ……」
どんよりした気分のままのロックオンに声をかけてきたのはこの事態を引き起こした犯人で。本人に悪気は少しもないと判ってはいてもどうしても恨めしい気分がこみ上げてくる。
「この世の終わりみたいな顔をしているよ」
小首を傾げて問いかけてくる、その語調には心配の念も確かに垣間見える。そんな彼もまた、に対してほのかに想いを寄せていたことを思い出し、ロックオンは半眼で呟く。
「これ以上敵は増やしたくないぜ、全く」
アレルヤのマシな部分は、周囲への配慮からかそれとも自身への配慮なのか(恐らく後者であろう)その気持ちをそっと胸に秘めたままにしていることである。
「……?ああ、のこと?」
大変そうだね、と今度は労わりの言葉でもって慰められた。根本的にはアレルヤの勘違いから始まったことなのだが、よくよく考えてみると周囲はこの機会をずっと窺っていたような気がする。
「みんなが大好きなんだよ。クリスティナもフェルトもよく懐いてるし、スメラギさんだって彼女に好意的だよ?」
「ミス・スメラギの場合は酒の肴目当ての部分も大きいだろうがな」
アルコールだけをひたすら摂取するスメラギの飲酒についてが怒ったことがある。「お酒を飲むときには何かつまんでください!アルコールばっかりじゃ身体に毒ですよ!」と剣幕を変えて言い、手早くつまみを作ってスメラギの前に差し出したのが始まりだ。今やスメラギは彼女の作る料理(と言ってもほぼ酒のつまみなのだが)にいたくご執心なのだ。所も時間も構わずにを呼び出しては肴を用意させるので、ロックオンとしても貴重な二人の時間を削られているのが非常に悔しい。
「みんなが大好きなんだよ。僕はまだ我慢できるけど」
「?」
先程と同じ言葉を繰り返すアレルヤの方を向けば、彼はしばし言いよどんで、
「ハレルヤはちょっと分からない、な」
衝撃的な言葉を吐き出した。
「アレルヤ!?」
目を逸らしたまま、決してロックオンの方を見ようとしない彼に最早泣きそうだ。頼むからこれ以上俺と彼女の邪魔をしないでくれ。切実な思いはしかし宇宙の片隅ではほんの小さな事象に過ぎない。

「美味しい?」
「………」
「そう。良かった」
ようやく自室に戻ってきたロックオンだったが、その目に入った光景は愛しい彼女、とオマケがひとつ。にこにこと笑って作りたての菓子を切り分けているのは。その向かい側で大人しく席に着き、無言で湯気の立つ出来立てのアップルパイを口に運んでいるのは刹那だった。
「勘弁してくれ」
壁にもたれて脱力し、呟いたロックオンに気付いたが「おかえりなさい」と無邪気に微笑む。彼女自身に罪は無い。この笑顔に何度も癒されて、救われた。恐らく他の者もそうなのだろう。
「ちょうどアップルパイが焼けたところだけど、食べる?」
「ああ」
「じゃあ紅茶入れるね」
席に着いたロックオンと入れ違いにティーポットを抱えて立ち上がった。その背を優しい瞳で見送り、「で」と目の前で黙々とアップルパイを咀嚼する刹那に視線を投じる。
「何でおまえがここにいるんだ」
が呼んだ」
呼んだからといって、誰にでもほいほいとついていくような性格を彼はしていない。
「刹那もか……」
最早項垂れるしかない。その間にも刹那はアップルパイを口に運び、食べ終える。
「何がだ」
しかし本人は自分の行動の起因に無自覚なようだ。ロックオンを不思議そうに眺めて、首を傾げた後、皿に残ったパイ屑をどうしようか無言で悩んでいた。

「どうにも困ったな」
「何が?」
あの後、意外にも早くに退散した刹那だったが、よくよく話を聞いてみればがアップルパイをオーブンに入れる前からいたらしい。少なくとも一時間は共に過ごしていたことになる。その事実に愕然としつつ、一方全く警戒心を抱こうとしない彼女に少なからず腹を立ててしまった。
を好きなヤツが多すぎる」
「そう?」
自分に向けられる好意にとかく鈍感な彼女が今ばかりは恨めしい。だが今までの事を思えば、周囲が彼女を受け入れるまでの孤独に苛まれていた彼女をまだ生々しく覚えているから。嬉しそうに小さく笑う彼女を責められない。使用した食器類を洗い終えたが戻ってきた。ソファに座って待っていたロックオンはすかさず隣に座るよう、軽く其処を叩いて促す。
「どうしたの」
が腰を下ろすや、すかさずその手を取る。手を握るだけでは物足りなくて、彼女の腰に腕をまわして膝に顔を埋めた。まるで小さな子供のような縋り方にが少しだけ目を丸くする。
「ロックオン?」
名を呼ぶと、顔を上げないままで盛大にため息をついたロックオンが、ぼそりと呟いた。
「カッコ悪い」
「何が?」
「俺のこと。何でまあ、こんな嫉妬なんか。するわけないって思ってたんだけどなぁ」
「嫉妬?……してくれたの?」
くすくすと楽しそうに笑う、にロックオンは恨めしそうな視線を向ける。
「笑い事じゃないんだぞ。このままじゃ」
「このままじゃ、何?」
「……を他のヤツに取られそうで、怖い」
弱々しい声で吐かれた言葉に今度こそは堪えきれずに噴出してしまった。
「真剣なんだぞ、俺は」
「はいはい。でも、そんなの」
膝の上の癖のある茶色の髪を撫でながら、はロックオンに話しかける。
「私があなたを好きでいる限り、杞憂よ」
優しい声音で、しかしきっぱりと強く言い切る。その潔さにロックオンは驚いて顔を上げる。見下ろす細められた黒い両の瞳と、見上げる翡翠の双眸。いつの間に、とロックオンは彼女のことを考える。
「いつの間にそんなに強くなっちゃって。俺の立場ないじゃないの」
「あはは。そんなことないって」
ふざけた口調で拗ねるロックオンに、は明るく笑い返す。
「でもね、ロックオン」
笑みに細められたその双眸、束の間宿る冷えた悋気。
「嫉妬なら、いつも私の方がいっぱいしてるってこと。覚えておいてね」
いつの間にか肌に立てられた、桃色の爪。ちりりと僅かに感じる痛みにロックオンはそれでもいとしさを感じずにはいられない。だって、それは。
「嬉しいねえ」
彼女が自分を特別だと思っているということだから。こんなことを喜ぶなんて、どうかしている。自分はどうやら思っていたより重症のようだ。
「喜んでどうするのよ」
きゅっと、今度は頬をつねられて、ロックオンは「いて」と小さく悲鳴を上げたのだった。



完成日
2008/03/09