01. 気が付けば君を探してる




「ごめんくださいな」
京、黒谷にある寺にてにこにこと邪気の無い笑みを浮かべる少女が供人を連れて訪ねて来た。少女は応対に出た若い侍に綺麗にお辞儀をしてみせた。
「大蔵様はおいでですか〜?」
変に間の伸びた喋り方をする少女に、多少首を傾げながらも奥に呼びに行く。大蔵は自室ではなく、彼の義兄である梶原の部屋に居た。訪れた少女の名を告げると、大蔵の表情が一気に変わる。最初は赤くなり、だが続いて一気に青褪めた。隣に座す義弟のその様子を見て、梶原は首を傾げながらも「面白そうだ」と客人を通すように伝えた。
「大蔵様〜」
部屋に通された彼女は、梶原の隣でかちこちに固まった彼を見つけてその名を呼ぶ。
「失礼、お嬢さん。こちらは私の義弟なのだが、一体何処でこの者と知り合ったのか教えていただけないか」
そんな彼女を遮って、梶原が年長者らしく問いかけると、今初めてその存在に気付いたかのように彼女は「あら〜?」と小首を傾げた。
「まあ、まずはお座り下さい。一応この子の身内として色々聞きたいことがあるからな。いやあ、この朴念仁にこんな可愛らしい知り合いがいたなんて」
ははは、と軽く笑い飛ばす梶原の隣で大蔵はひたすら口を真一文字に引き結んで黙っている。そんな彼を彼女はじぃっと見つめ、やがて彼とその義兄の前に用意された座につくと、まずは丁寧に礼をしてみせた。
と申します〜」
顔を上げた時、しゃらり、と彼女の挿す簪が揺れた。紅珊瑚のしつらえられた見事な細工である。一目で値の張るものだと分かった。聞けば京の老舗の呉服問屋の一人娘だという。大店の娘らしく、身に着けている着物は華やかで、黄色の地に赤い花模様がよく映える。
「それで一体今日は何用でこちらまで?」
自己紹介が済んだ後、問いかける梶原。それにが口を開くより先に、
「申し訳ない!」
勢い良く大蔵が畳に額をこすりつけた。
「な、何をしているんだ、大蔵」
義弟のいきなりの謝罪に面食らった顔をした梶原は、慌てて顔を上げさせようとするが、大蔵は頑なに頭を下げ続けている。事情を話せと言っても聞かず、仕方なく大蔵の前でその謝罪を受けている少女に説明を求めると、
「大蔵様はわたくしのお家に借財をしておいでですの〜」
うふふ、と笑いながら彼女はそう述べた。その言葉に今度こそ目を剥いた梶原が、音がしそうなほど高速で傍らの義弟を見下ろすと、彼は青褪めた表情で依然として顔を上げない。
「ど、どういうことだ大蔵!」
「弁明は致しませぬ……」
「訳を話せと言っているのだ!おまえが理由も無く借金をするとは思えん!」
「あらあら仲良しさんですわね〜」
彼女の間の抜けた合いの手に脱力しそうになるが、めげずに大蔵に詰め寄る梶原。しかし大蔵は頑固だった。
「しかし、私が金を借りたのは事実ですし……」
「ああ、もうよい。殿に聞くことにする」
義弟の頑なな様に頭を抱えて質問を向ける先を変える。だがすぐに彼は後悔することになる。少女が大蔵以上に話の通じない相手だと気付くからだ。
「という訳で、殿。何故大蔵が貴女から借財したのか教えていただけないか」
「はい〜?」
彼女は梶原の言葉など聞いていなかったようだ。ずっと大蔵を見つめていたらしい。
「ですから、大蔵の借財の仔細を」
「ああ〜」
ようやく思い至ったのか、彼女はぽんと手を打つとにこにこしながら話し始める。
「わたくし、大蔵様に会いに来ましたの〜」
「……ええ、ですからそれは貸した金を催促しにということですよね。その仔細を伺いたいのだが」
「探しましたのよ〜?お名前しかお聞きしませんでしたし〜、お武家様は京では馴染みが薄くって〜伝手もないですし〜」
「それは、申し訳ないことを」
「まさか会津の方だとは思いもしませんでしたわぁ」
「………」
一向に話の進まない現状に、梶原は項垂れるしかない。彼女はのほほんと自分の調子を崩さずに、こちらの聞きたいことを中々話してくれない。梶原は若年ながら会津の重臣に身を置く立場として、有能ぶりを周囲に認めさせてはいるが、彼が得意なのは理詰めで相手を追い詰めることであって彼女のような酷く天然で他人を自分の調子に巻き込んでしまうような相手は滅法苦手だった。と、たった今気付いた。何しろ会津にはこれまでこのような人物が周囲にいなかったのだから仕方がない。
「君は一体大蔵をどう思っているんだ?」
このまま押し問答もどきを繰り返しても埒があかないと判断した梶原が直球に彼女に訊ねる。この際、借財の件はひとまず置いておき、とりあえずがここへ何をしにやって来たのかを問い質そうと試みたのだ。梶原の言葉に彼女はしばし瞬いて、それからゆっくりと首を傾げた。
「もちろん、お慕いしておりますわ〜」
語尾が変に伸びる為、本気かどうか疑ってしまうが、これが彼女の常なのだと、梶原は無理矢理納得することにした。でないと、彼の真面目過ぎる神経がもたない。ところが梶原よりも更に輪をかけてクソ真面目な大蔵は、先ほどまで死人のように青褪めていた顔色を、今度はのぼせそうなほど赤らめている。思わず心配した梶原が大丈夫か、と隣に端座する義弟に声をかけたほどだ。
「あらあら、大蔵様。いかがなさいましたの〜?」
そんな彼にさえ、のんびりと様子を訊ねる彼女に、頭痛がする。いや、今のは確実に貴女の所為だろう、とこめかみを押さえ、梶原は改めて彼女に問う。
「それで――それであなたは一体どうなさるおつもりか」
「妹背の仲に、なれたらよいですわねぇ」
「いもせ……?」
聞き慣れない単語に武士階級の青年二人は首を傾げる。そんな彼らにふわふわと微笑みながら、「妹背とは夫婦のことですわ〜」と、彼女は曰う。
「め、夫婦ですか!?」
素っ頓狂な声を大蔵は上げる。
「夫婦とは、私と、あなたが、ですか!?」
「あら〜、わたくし大蔵様以外に背の君にしたい方などおりませんわ〜」
大蔵の方を見て、にっこりと花のように微笑む
「は、話が飛躍しすぎではないか」
梶原は最早呆れ顔になり、
「そうでしょうかぁ?」
はのほほんと首を傾げ、
「わ、私と、殿がめめ夫婦など……!」
大蔵は混乱の境地に陥っている。たった三人しかいない室内で、一種の混沌が生じている様を、他の者が見たらさぞかし面白可笑しい状況だろう。事の経緯を主君に申し上げれば、京に来て笑うことの少なくなった殿も少しは笑ってくれるだろうか。一足早く立ち直った梶原がそんなことを思う。彼はもう、当事者であることを諦めた。何だか馬鹿馬鹿しい。そう思えてしまった。
「大蔵様にお逢いしてから今日までずっと、探していましたのよ〜?何処へお出掛けするのにも大蔵様を探してしまいますの〜」
まあ、確かに可愛らしい娘ではある。多少言動がおかしいが、そんなもの我慢できる範疇だろう。
殿……」
大蔵もまんざらじゃない様子だし、これはひょっとするとそういう風に発展していくかもしれないなぁ。ついに我が義弟にも春が来たか、と義理の兄として朴念仁過ぎる大蔵を案じていた梶原はほっと胸を撫で下ろす心地で居た。
「お琴のお稽古に行く途中でも、もしかしたら縁側の下に大蔵様がいらっしゃるかも〜?と思いまして〜一所懸命探してみたのですけど〜」
「待て。そんな所に大蔵は潜んでなどいないぞ」
「そうですわね〜いらっしゃったのは可愛い猫ちゃんでしたもの〜それに大蔵様にはちょっとあそこはせますぎますわよね〜」 彼女のぶっ飛んだ行動に思わずつっこんでしまった梶原。仮にも会津の将来を担うはずの青年を、どこぞの床下に勝手に潜ませないで欲しい。当の大蔵はというと、未だにほんのり頬を染めたまま、を眩しそうに見つめている。「おまえは初恋に恥らう乙女か」と梶原は思わず心の内で盛大に義弟にツッコミを入れた。そんな義弟に、はにこり、と笑いかける。
「目で、追ってしまいますの。どこにいても、お姿を、大蔵様を気付けば探しておりますのよ。わたくし、こんなこと初めてですわ〜」
色の白い肌を朱に染めて、しかし目線は彼女の恋い慕う相手から外さずに。初めてだと彼女は言うが、初恋にしては大胆な行動に出る女子も居たものだ。
殿……」
「大蔵様」
いつの間にか二人は見詰め合っているし。何だかこれじゃあ私はまるで邪魔者じゃないか。気付いた途端、梶原は吐き出すため息を隠すこともせず、何だか非常に空しくなってその場に立ち上がる。
「義兄上?」
「梶原様〜いかがなさいましたの〜?」
二人して見上げてくるが、その視線に手を振って、
「ああ、もういい。後は二人でよろしくやってくれ。とりあえず殿、大蔵のしたという借財の件についてだけ後で仔細を教えてくれないか」
言いながら障子に手を掛け、部屋から出る。その背に少女の間延びした声が追いかけて来た。
「はい〜かしこまりました〜」
廊下を歩きながら梶原はふと思い出す。
「しまった。私の部屋だというのに私が出てきてどうする」
帰る場所を失った梶原は今度こそ本気でむなしくなって空を見上げる。どうしてだか急に故郷に残した妻に会いたい気分になった。がっくりと肩を落として嘆息する梶原を、若い侍が不思議そうに眺めていた。



完成日
2008/11/09