04. 掠めた指先




「君はとても素直だね」
縁側に座る山南が、庭で咲き初めの桜をつついて遊ぶにそう声をかけた。振り返った彼女は、言葉の意味全てを捉えきれず、ゆっくりと小首を傾げて続きを促す。黒曜石のように美しい漆黒の眸に見つめられ、山南は少しだけ考えて、それからゆっくりと息を吐き出すように微笑んだ。
「いい子だ」
まるで幼い子供にするように、そう誉めた彼にはぷぅ、と頬を膨らませる。少女、とはもう言えない、彼女だって妙齢の女性である。そんな風に賛辞を受けても嬉しくなんてない。最も、子供のように頬を膨らませてみせる、そんな仕草が彼女を年齢より幼く見せているのだが。
「サンナンさんどうしたの?」
「どうもしないよ。ただ、そう思ったから」
おかしいかい?と、逆に問われて、は頷く。
「わたし、そんなに素直でいい子じゃないわよ」
萌黄の地に小花を散らした着物の裾を捌いて、彼女は縁側へ歩み寄る。腰掛ける山南よりも、立ったままの彼女の方が少しだけ目線が高い。自然と見上げる形になった山南へ、は嫣然と笑んでみせる。その笑みは花と戯れていた無垢で清純な彼女とは真逆の、色町で自身の花の盛りを誇る芸妓のように艶やかだ。真昼にそんな彼女の表情を拝めるとは思ってもみなかった山南は、どぎまぎと頬を赤くし、視線を逸らそうとするのだが、白く冷たい手が両頬を包み込んでそれを許さなかった。
「欲しいと思ったものは絶対手に入れるし、思い通りにならなかったら喚き散らすし。サンナンさんがわたしと視線を合わせてくれないなら」
つぅ、と細い指先が頬を撫でる。その感触に背筋を粟立てる山南に、にこりと邪気のない笑みを浮かべて至近距離で彼女は甘く囁く。
「何が何でもこっちを向けさせたくなるわ」
ぺろり、と。頬を舐められたのだと気づいた山南が咄嗟に彼女を見上げれば、丹花の如きくちびるから、赤く小さな舌先がちろり、と覗いていて。くらくらと眩暈がする中、山南はやっとの思いで息をつく。
「大人をからかうものじゃないよ」
「子ども扱いするの?」
心外だ、と言わんばかりの彼女をさりげなく隣に座らせるように仕向けて、山南はぬるくなってしまった手持ちのお茶を一気にあおる。火照ったままの頬を静めるために。
「前言撤回するよ。君は素直過ぎていけない」
「自分の欲望に忠実に生きてるだけだもの」
くちびるを尖らせて彼女は反論する。そんな彼女が好ましく、いとおしい。だから山南はふと思いついた悪戯を、悟られないように普段通りのにこやかな表情のまま鷹揚に頷いてみせた。
「そうだね」
懐から取り出した扇をばさり、と広げ、山南はその影に隠れて彼女に囁く。
「素直過ぎて、いけない子だ、
ついでに掠め取った唇。してやったり、と腹の内で満足しながら離れれば、今にも咲きそうに膨らんだ桜の蕾よりも綺麗な薄紅に染まった彼女の頬が大層美しく色付いていた。



完成日
2009年3月23日