「平助!」
市中見廻りの任から戻り、浅葱の羽織を脱いで一息ついた頃、縁側に面した廊下から自分を呼ぶ声に藤堂平助はぱっと顔を明るくして駆けていった。
さん」
「平助、おかえり。怪我はない?」
彼女は外から戻った平助に必ずこう聞く。平助は彼女に心配されるほど弱くはないのだが、彼女は「おかえり」の挨拶に必ず尋ねる。そうして平助も決まった答えを返す。
「大丈夫です」
「そう」
よかった、と微笑む彼女を見て、ほんのりと赤く染まった平助の耳。初々しい二人の様子を部屋から眺めていた永倉新八は、自然と緩む頬にささやかな幸せを感じていた。
「仲がいいね」
「山南さんか」
通りがかった山南が、同じように二人の様子を見やって笑む。
「可笑しいね。二人とももう子供という歳でもないはずなんだが、微笑ましい」
「平助が奥手すぎるからでしょう」
今日の巡察の様子を一所懸命に話す平助と、相槌を打ちながら聞き入る。初々しい様子の二人は、屯所中から密やかに見守られていることも露知らず、穏やかに、だが着実に関係を築いているようだった。
「もっと、こう、男なら時には少しぐらい強引にやってみせても」
「ははは、それは藤堂君には少し難しいかな」
永倉の言葉に笑って返す山南も案外失礼である。
「まあ、ゆっくりと時をかけていくのも醍醐味という物だよ」
「熟しすぎて時期を見誤らなけりゃいいんだがな」
永倉のお節介な言葉に山南は「ははは」と最近の彼にしては珍しく、心の底から楽しそうに笑った。

「そうだ」
一通り話し終えた平助が、ふと思い出して袂を探る。行儀のいい彼は、滅多に袂に何かを入れて持ち歩くことをしない。永倉や原田などはよく菓子の包み紙などを入れたまま洗濯に寄越すので、はいつも彼らに怒っているのだが。珍しいなあ、とが様子を見守っていると、「はい」と目の前に手のひらが差し出された。
「どうぞ」
にっこりと笑う平助の顔に一寸見惚れ、次いで彼の手のひらに視線を戻す。そこに乗せられていたのは一本の簪。黒漆の軸に赤い珊瑚の玉が光っている。
「巡察の途中、小間物屋で見かけて。さんに似合うだろうなと考えてたら買っちゃいました。本当は巡察途中で買い物とかしちゃいけないんです。土方さんに怒られちゃうから。」
だから内緒にして下さいね、と悪戯っぽく微笑む平助の前で、はぼうっとその簪を眺めていた。陽光にきらきらと光る赤い珊瑚。は肌が白いから、赤い色は映えるだろうと平助は思った。思った次にはこの簪を挿す彼女の姿が瞼の裏に浮かび、いつの間にか簪を手に掴み、店主に勘定を頼む平助が居たというわけだ。ちなみにそんな八番隊組長を、隊の者達はほのぼのと見つめていたことは当の平助だけが知らない事実だ。
「え、と、わたしに?」
随分長い間簪を見つめて、反応がないことにそろそろ平助が心配し始めた頃。おずおずと顔を上げて控えめに自分を指さすに、
「気に入りませんでしたか?」
逆に心配そうに尋ねる。そんな彼に慌てて首を振って否定の意を伝え、は平助の手のひらからそっと簪を手に取る。
「綺麗」
ため息と共に呟いた。
「嬉しい。ありがとう」
ほんのりと頬を染め、大切そうに胸に抱いて例を述べるに、平助もはにかむように笑う。やわらかな日差しの元、ふんわりと幸せそうな空気を醸し出す二人をいつの間にか屯所の面々があちこちから遠巻きに見守っている。
「あの二人を見ていると、こちらも幸せな気持ちになるね」
とは、山南の言葉で。隣に座する永倉も同意の意と共に頷いた。衆人達のあたたかな目線にまるで気付かないまま、二人は目を合わせて微笑んだ。
「あ、の、さん。私がつけてもいいですか」
「は、はい!お願いします」
平助が必要以上に緊張するから、もつられてどもってしまう。簪を平助に預けて、自分はくるりと後ろを向いた。渡す際にお互いの指が触れあって、それだけで二人とも真っ赤になってしまうのが可笑しかった。簪を手にして、平助はの後ろ姿を眺める。仕事の邪魔にならないように、すっきりとまとめ髪にされた黒髪。襟から覗くうなじは白く、どちらもこの簪に似合いそうだ。自分の見立てに間違いがなかったことに満足して、慎重に簪を挿す。
「できました」
「ありがとう」
礼を言って振り返ったは、簪を指でなぞり、「似合うかな?」と上目遣いに平助に問いかける。
「はい!とっても似合ってます」
躊躇いもなく誉めてくる平助に、は照れて赤くなる。
さん」
名を呼ばれて視線を上げれば、平助がいつも優しげな面立ちをきりりと引き締めて真剣な眼差しでこちらを見ていた。思わず居住まいを正して、両手を膝の上に揃える。
「これからも、その、さんを」
私に守らせてください。
「は……、あ、の……」
耳まで真っ赤にして、それでも視線を違えずに。生来の気性のままにまっすぐに告げてくる。あんまりにもまっすぐに飛び込んできたものだから、の思考が一瞬止まる。二、三度瞬きする間、徐々に沁みこんできた平助の言葉が顔に熱を集める。恥じらうように伏せた顔にも平助の視線を感じる。
「………はい」
ようやく出来た返事は、蚊の鳴くような小さなものだった。けれど間近に座した平助には届いた。届いた瞬間、の両の手は、彼の其れに包まれていた。剣を握る手は、節くれ立って節が堅くなっている。だけれど、あたたかい。そのあたたかさにおずおずと顔を上げれば、陽の光よりも眩しい笑顔。
「守ります。ですから、




10. 泣きたくなったら僕を呼んでね




約束です、と繋いだ手のぬくもりを。ずっと、ずっと、覚えてる。



完成日
2011/11/11