口では伝えられないこともある。
だから『好き』というたった一つの魔法を紙上に込めて――



恋文



性格などの中身はどうあれ、トム・M・リドルはその端正な顔立ちのおかげでよくモテる。
毎日毎日女生徒達の熱い視線を注がれる彼は内心げんなりしながらも表には一切出さない。
言い寄ってくる積極的な子は笑顔でかわし、手紙を送ってくる内気な子にはちょっと目を合わせてごめんね、と軽く微笑むだけで大抵はあしらえた。
異性との交際など崇高なる目的を持つ自分の身には邪魔なものでしかない。
そう以前は思っていたのだが、今は少しだけ違う。
本当に心の底から全てが欲しいと望む相手が今はいる。
だからリドルは今日も言い寄る大胆な子を適当にしかるべき扱いで対処し、シャイな女の子達から受け取ったフクロウ便の手紙の束を抱えてかの少女、を探していた。

そのは空き教室で羊皮紙の束に埋もれていた。
「こんなにありますと終わる頃には手が痛くなってしまいますわね」
のほほんと呟きながら書き終わった手紙をよく見返し誤字脱字が無いかどうか確かめ、インクが乾いていることを確認してから封筒に丁寧にしまい、封をする。
貰った手紙の方を見ながら宛名を書き、横に置いてある長々としたリストから名前を消した。
ふぅ、と一息ついて次の手紙を取り上げようとしたところで机に影が差す。
見上げると不機嫌そうなリドルが目に入る。
「何してるのさ」
不機嫌そうなリドルはやはり不機嫌そうな声での隣の席に腰を下ろしながら問いかけた。
「お手紙のお返事を書いていましたの」
さらさらとが動かす羽ペンの滑る音を聞きながらリドルの眉間は徐々に険しくなってゆく。
封をされた封筒を一つ手に取り、その表書きに知らない男の名前が書かれているのを見てリドルは半眼になり、訊ねる。
「どうしてこんな物書いているんだ」
「お返事が欲しいと書いてありますもの」
「必要ない。そんなものにいちいち返事なんか出さなくていい」
「リドルも書いて差し上げたらいかがです?そのお手紙を下さった方々はきっと貴方からのお返事を待っていますわよ」
机の上にぞんざいに撒き散らされた女の子らしい筆跡の並ぶ手紙をちらりと見て言ってみる。
するとリドルの機嫌は垂直に下降してゆく。
歳相応に見える、拗ねたような彼の顔を見ながらは「あらあら」と小さく声を洩らす。
「書いて欲しいの?」
「お返事が欲しいからお手紙を書くのではありませんか」
「……」
「リドル?」
静かになった彼に目をやれば、リドルはの書いた手紙を手に取ると小さく呪文を唱えて炎を作り出し、あっという間に灰にしてしまった。
突然のことで止める間もなかったはただ目を丸くして床に落ちてゆく灰を見ている。
ふん、と鼻で嘲笑ってリドルは手についた灰を払う。
「リドル」
「なに?」
名を呼ばれた彼は素直に顔を上げての方を見る。
すると額にべたりと何かを貼られた。
「……何するのさ」
「それはこちらの台詞ですわ。貴方はわたくしが時間と手間と紙とインクを費やして書いたお手紙を跡形も無く燃やしてしまわれたのですもの」
にこにこと、目の前の黒髪の少女は笑う。
察しのいいリドルは瞬時に気付いた。

怒っている。

普段おっとりとしている彼女は滅多な事では怒らない。
大抵は「あらあら」とか言いながら笑って済ませてしまうのだ。
しかし一度怒らせるととても怖い。
暴れだすとか大声で文句を喚き散らすとか言う粗暴な事はしないのだが、彼女の場合、怒っているときはひたすらに笑顔なのだ。
にこにこにこにこにこ、と物凄くイイ笑顔で背後に氷河期を背負いつつも笑っている。
でもだからといってリドルには謝る気などさらさらない。
目の前で恋人が誰かから貰ったラブレターの返事を書いているだなんて、そんな事を黙って許せるほどリドルの心は広くなかった。
「貴方にはしばらくそのままでいていただきますわ。わたくしは図書館にでも行ってお手紙の残りの返事を書いてしまいます」
荷物を纏めては立ち上がり、さっさと教室から出て行く。
「待ちな、よ!?」
続けて立ち上がろうとしたリドルはどうしてか立ち上がれずに椅子に座ったままだった。
それどころか足も手も動かず、首すらも回らない。
「どういうこと?」
「呪をかけさせていただきました」
「シュ……?」
「はい。おでこのお札を剥がさない限り、一歩も動けませんわ」
訝しげなリドルにまるで何でもないことのように彼女は言ってのける。
「そうそう、リドルには返事を待つたくさんの可愛らしい方々がいらっしゃいますわよね。その方達に貴方がここにいることをお伝えしておきましょう」
「ちょっと……どういうつもり?」
「どうもこうも、お手紙を書くのが嫌なのでしょう?ですからその必要が無いように、直接お返事をしてしまえばよろしいではありませんか」
「それ、は……って!このままにしていくのか!?」
「それぐらい御自分で何とかなさって下さいな。でないとサラザール・スリザリンの名が廃れますわよ。 ではごきげんよう、リドル。貴方が灰にした分の羊皮紙とインク代は後で請求させていただきますわね」
最後にきっちり損害賠償を請求しては動けないリドルをそのままに図書館へ向かう。
歩きながらリストを見ればさっき燃やされた分も含めてあと四通残っている。
図書館について、なるべく人気の無い場所を選んで座り、事務的な作業でその四通の手紙を書き終えると、ふと思いついて新しい羊皮紙を取り出す。
今までのどれよりも短く、たった一言だけを書いて彼女はそれに封をする。
宛名を書くときには自然とやわらかな表情になる。
くすり、と口元に笑みを浮かべてはインクの瓶に蓋をした。

大量のフクロウ便。
それが次の日の朝食時にリドルを襲った。
原因は考えるまでもなく、昨日の放課後に直接話をした少女たちの顔がおぼろげながらに浮かんできた。
オートミールの皿や、飲みかけの紅茶の中に入った茶色い羽と、フクロウ達に持っていかれ僅かにベーコンの残骸が残るばかりの皿を無表情に眺めていると横から「まぁ」とのんびりした声が聞こえた。
「お手紙がいっぱいですわねぇ」
リドルの隣に腰掛けて、ゴブレットにオレンジジュースを注ぎながら彼女は言う。
いつものように隣に座った黒髪の少女にリドルは軽く驚く。
昨日の怒り方と彼女の性格を考えれば、二、三日は徹底的に無視されるだろうと思っていたのだ。
「怒ってたんじゃないの?」
自分の前にある皿を全て脇に片付けながらリドルはに問う。
だがは上品にパンをちぎって口に運びながら、
「何をですの?」
と逆に問い返してきた。
昨日のことをあまり口に出したくなかったリドルは「もういいよ」と短く言って、新しい皿にもう一度朝食を取り分ける。
「お返事を書かなければいけませんわね」
うふふ、と楽しそうには言った。
その声の調子にリドルは僅かに背筋を凍らせる。
「やっぱり怒っているんじゃないか」
溜息をつきつつ彼はテーブルに頬杖をついて隣のを見る。
「僕にどうしろっていうのさ」
「誠意には誠意で返さなければなりませんのよ。手紙を送ってくださった方の気持ちがこの中に詰まっているのですから」
リドル宛に来た手紙の内の一通を手にとって彼女は言う。
「………」
「リドル?」
名を呼べば彼は小さく「書く道具が無い」と言った。

それはあまりにも可愛らしい抵抗で。
だからこそ彼を愛しく想うのだが。

はにっこりと笑うとまだ使っていない羊皮紙と新しい羽ペンを取り出す。
「道具ならここにありますわ」
さあどうぞ、と最高に可愛らしい笑顔で自分の恋人に恐らくは彼女にとって恋敵であろう少女達への返事を書くことを勧められて、リドルは怒るよりも先にがっくりと肩を落としてしまった。
には嫉妬心とかいうものが無いの?」
力なく呟くリドルに彼女は澄まして答える。
「無い、とは言い切れませんわねぇ。でもあったとしてもリドルほどでは無いと思いますわ」
あぁそう、と完全にへそを曲げてしまったリドルには可笑しそうに笑う。
視線で無言の抗議をされた彼女は、睫毛の長い大きな瞳で上目遣いに彼を見る。
「お手紙、きちんと全部に目を通してくださいね」
悪戯っぽくそう言っては立ち上がり、長い黒髪を翻して大広間を出て行く。
横目でその背を見送りながらリドルはちょっとした山となった手紙を指先でつついた。
その中に、見慣れた筆跡を見つけるまで彼は憂鬱そうにその山を眺めることになる。

その日の最後の授業は城の外で行われたので、は放課後すぐに寮には戻らずに中庭に来ていた。
陽が出ている内はまだ外も暖かいから、読みかけだった本を膝の上に広げながら彼女はゆっくりと文字を目で追う。
「こんな所にいたのか」
聞きなれた耳に心地よい声に顔を上げると、紅い双眸が真っ直ぐにを見下ろしていた。
「お天気が良いのですもの。こんな日に地下にこもっているなんてもったいないと思いますわ」
「スリザリンは地下に寮があるんだから仕方ないだろう」
リドルが現れたので彼女は読みかけだった本にしおりを挟み、ぱたりと表紙を閉じた。
無言のまま見つめてくる漆黒の瞳にリドルは自らを大きく映す。
腰を折って座ったままの彼女の額に顔を寄せると、そのままそこに口づけた。
すこし冷たい、やわらかなその感触が離れるとは軽く眉を顰める。
「わたくし達は喧嘩をしていたのではないのですか?」
「喧嘩中の恋人にあんな手紙を寄越しておいて何言ってるのさ」
くすくすと笑いながらリドルはの髪を一房、掬い上げる。
「お返事はお手紙で欲しかったのですけれど」
「僕は手紙を書くのが嫌なんだよ。だから誠意をもって行動で示す」
の白い瞼にくちびるを押し当ててリドルは続ける。
「手紙なんかよりこの方がずっと良く伝わるだろう?」
「乙女心が理解できていませんわね」
長く息をついてふいと顔を逸らしたにリドルは「乙女じゃないしね」と彼女の耳元で囁く。
「それもそうですわね。そもそもリドルなんかに理解を求めるのが間違いでしたわ」
「そういう言い方されるとソレはソレでムカつくんだけど」
「あら。自覚がおありですの?」
「あぁ、そうかもね。そうそう。手紙の返事を書いてた奴らのリスト貸してくれる?」
開き直ったのか、自棄になったのか。
リドルは爽やかに見える笑顔で手を差し出す。
ずらりと男子生徒の名前が書かれたリストを差し出しては不思議そうにリドルを見上げる。
「どうするんですの?」
「どうって、もちろん名前を覚えておこうかと」
にやり、と凄絶に微笑んでリドルはリストに目を通しながらローブのポケットに手を突っ込む。
彼の指先に触れる二通の手紙。
一通は細くやわらかな筆跡で。
もう一通は少し角ばった几帳面な字で。
それぞれ同じ言葉を記してある。
たった一言、“すき”とだけ書かれたその手紙を世間一般では恋文と云う。


次の日、ホグワーツのあちこちで悲鳴をあげる男子生徒が続出したという。
涼しい顔をして分厚い呪文集に目を通すリドルに苦笑しながらは彼の頬を軽くつねっておいた。



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完成日
2004/11/24