宇宙では重力はない。コロニーなど人間の居住空間などでは人工的に作り出しているが、ソレスタルビーイングの母艦であるプトレマイオス、愛称トレミーの中は基本的に重力制御は成されていない。
「あーあ」
は覗き込んでいた彼女の手のひらよりも少し長い、黒漆に金蒔絵といった豪奢な円筒を目から離し、ため息をついた。此処はトレミーの展望台で、窓の外には広大な宇宙がある。ということはつまり重力はゼロ。事実彼女の身体もふわふわと宙を彷徨っている。
「見えるわけないか」
ぽい、と手にしていた円筒を放り出す。
「何がだ?」
空中に放り出されたそれを、新たに展望台に入ってきたロックオンが取って、そのまま物珍しそうにひっくり返してみている。
「何だコレ?のか?」
「そう」
投げかけられた質問の後半のみに答えを返し、くるりと反転してロックオンを見る。彼は依然、その大きな手の中に精緻な細工物を持ったまま、それが何をするものなのかをじっと考え込んでいるようだった。
「覗くの」
「ん?」
言われてもその意味が分からないのか。軽く戸惑ったままの彼の手からそれを取り上げて、は先程やっていたように、筒の細い方を目にあてて覗き込んでみせる。その双眸に映ったのは、さきほどと同じ軽い失望感を覚えるもので。きゅっと細い眉根を寄せてはその原因をロックオンに押し付けるように返した。
「へえ、こういう物なのか」
彼は碧の瞳でがしてみせたように覗き、感心したように声を上げる。小さな穴を覗き込むと、色々な色のビーズが内側に貼られた鏡によって様々な模様を作り出す。
「綺麗なもんだな」
「違うの」
「違う?」
「全然違う」
ロックオンが聞き返しても、は頑なに違うと言い張るばかり。
「ホントはもっと綺麗なの。くるくる廻って、きらきら変わって。でもここじゃそれができない」
ふわり、と彼女が後ろを向く。身じろぎ一つで変わる身体の向き。重力の制約を受けない、その視線の先にあるものは無限に広がる星の海。
「宇宙ってもっと素敵な場所かと思ってた」
地上で見上げた空はあんなにも綺麗で、自由に見えたのに。いざ自分が此処に来てみれば、ここも地上と変わらず生きていくには様々なしがらみを抱えていなければならないのだと知った。
「はどうしてCBに入ろうと思ったんだ?」
ゆっくりと手の中の筒を廻して、片目を瞑ってそれを覗き込みながらロックオンが何気なく尋ねる。
「なあに?突然」
首を傾げて問い返す彼女に、ロックオンはしばし考え込む。的確な言葉を見つけ出そうとしているようだが、上手い具合に見つからず、それっきり何となく口を噤んでしまった。そんな彼を無重力の中、ふわふわと漂いながら僅かに上から見下ろす彼女もまた、逡巡し、やがてぽつりと呟いた。
「理由がなくちゃ戦っちゃいけない?」
「いや……」
「ロックオンや刹那や、アレルヤやティエリアみたいに戦う理由を持ってないといけない?スメラギさんやクリスやフェルトみたいに戦える力を持ってなくちゃ、戦う資格なんてない?」
矢継ぎ早に繰り出される質問にロックオンは答えられず、口篭るしかない。CBのメンバーには守秘義務がある。それぞれの過去はタブーだ。どういった経緯で参加しようとも、お互いの過去には不干渉でなければならない。だから本当は、ロックオンがの過去に興味を持つことはあってはならないことだ。
「万華鏡、好きなの」
「まん……?何だって?」
聞きなれない言葉を耳にして、手にしていたそれを目から離した彼に、はもう一度ゆっくりと「万華鏡」と言った。彼女の視線から自分の手の中にあるものが其れだと気付いたロックオンは、小さく感嘆の声を漏らして改めてじっくりと見下ろす。
「廻してみて」
「廻す?ああ、こう、か」
の言うとおりに万華鏡をゆっくりと廻し、覗く。緩慢な速さで見える模様が変化する。
「おっ」
見える模様が変わった事にロックオンは素直に小さく喜ぶ。しかしそれはにわずかな苛立ちを植えつける。
「へえ、綺麗なもんだな。万華鏡ってやつは」
「違うの」
「……今度は何が」
「くるくる廻って、きらきらして。もっと綺麗に見えたのに」
は綺麗なものが好きだ。余計なものばかりが積み重なっている地上を厭い、いっそ全てを捨ててやってきた宇宙。汚れた地上でさえもあんなに綺麗に見えたのだから、きっと空の上ではどれほど綺麗だろうか、と。
「あーあ、うまくいかないものね」
ロックオンの持つ万華鏡にちらりと視線を寄越し、大切なものを放り出したような、諦めたような。そんな表情をして今まで、いくつも、いくつも。手のひらの中の綺麗なものを諦めてきたのだ。
「戦争は嫌い。私の好きなものを全部壊してしまうのだもの」
ぽつりと唇から漏れ出た声には驚くほど感情はなかった。その色のない彼女の声に、ロックオンは僅かに瞠目する。
「だから本当は、ロックオンがすることも。……きらい、なのかもしれない」
「……そうか」
「うん」
淡々と繰り返される彼女の言葉に返すべき答えを持たないロックオンは、ただに頷いてやるしかない。戦争を止める為に武力介入を行う。矛盾しているかのようなこの行為そのものが導き出す結果が、彼女が欲するきれいな世界であることを祈るしかできない。
「ねえ」
万華鏡を持ったままのロックオンの手に己の手を重ねて、彼女は真っ直ぐに見上げてくる。
「あなたにはこの世界はどうみえてるの?」
万華鏡廻る
手のひらの中に閉じ込めたきれいな世界、それ以上に美しいものなんてない。
完成日
2008/05/18