07. 記念日には花束をよろしく
「あのね、ろっちー君。私、今仕事中なんだけど」
「分かってるって。だから邪魔しないように大人しくしてるだろー?」
「ろっちー君、君がここに居る時点で既に邪魔なんだけど」
「うはぁ!キツイお言葉!でもそんなところも愛してるぜ」
「………」
この男には何を言っても無駄だ。特大のため息を吐いて、は手元の仕事を再開する。夕方までに注文の入ったブーケを五つ作らなくてはならない。相手をしていては間に合わない。
とある昼下がり、の働く花屋の店先にふらりと現れたのは六条千景。勝手知ったるという風に店の奥にある小さなスペースに滑り込み、隅に置いてある折りたたみパイプ椅子を引っ張り出して腰を落ち着けた。いつものような重ね着スタイルで、頭の上にあったストローハットは今手遊びに指で引っかけてくるくると回されている。
「なあ、さん」
「何」
「そろそろデートしない?」
「お断りします。いつも周りにいる女の子達として下さい」
「ちぇー、相変わらずつれないのな。でも愛してるけど!」
「はいはい。ちょっと、鋏貸して」
「キスしてくれたら渡してあげる」
「…………………………………………………」
「嘘です。ゴメンナサイ。冗談です。お願いですからその長い沈黙ヤメテクダサイ」
彼の軽口はいつものことで。冗談(と言うと彼は怒るのだが)だと分かっているから、も本気で取り合わない。渡された鋏で器用にバラの刺を落とす。ぱちん、ぱちん、と鋏が鳴る。根本を落とし、長さを揃えられた赤いバラは、シンプルにかすみ草と共にブーケにされた。セロファンでくるまれて、花の色と同じ赤いリボンで蝶結びにされる。出来上がったブーケをチェックして、次の仕事に取りかかる。その様子をじっと眺めている千景。何が面白いのか、彼は度々こうしての元を訪れては彼女の仕事を飽きもせず見ているのだ。
「さんは器用だな」
「花屋はこれぐらい出来て当たり前なの」
「魔法みたいだ」
「………何、恥ずかしい事言ってるの」
ドン引きした、そういう表情で思わず千景を見遣れば、彼は「あれ?今の殺し文句的な扱いにならない?」と首を捻っていた。
「ならない。鳥肌が立った。どうしてくれるの、この寒さ」
「寒いなら俺があたため 「いらないから」 」
両手を広げてウェルカム!なポーズの千景をばっさり遮って、手元の作業に集中する。「ちぇー、さんつれない」と、彼が背後で文句を言うが放置する。白と、黄色のラナンキュラスにレモングラスの緑を合わせる。まだつぼみのままのラナンキュラスは、丸い形が可愛い。花を扱っていると、口元に自然と笑みが浮かぶ。
幼い頃から花が好きで、おばあちゃんがやっていたこのお店をごく自然に受け継いだ。花ももちろん大好きだけれど、仕事として花屋を始めてからは花を求めてやってくるお客様も大好きになった。正確には、花を求めてやってくる、その心持ちが。
「働く女性は好きだなー」
白、紫、赤、桃。色とりどりのアネモネを小さなブーケに仕立て上げた頃、千景がそう呟くのが聞こえた。
「さんは、働いているときが一番きれいだ」
「…………誉めても何も出ないわよ」
「酷いなぁ。俺がいつも見返りを求めていると思ってんの?」
「思ってる」
「うはぁ!きっつーいなぁ、もう。さんの中の六条千景はどんな人間なんだよ」
その問いに作業の手を止めて、改めて考えてみる。六条千景とは、どんな人間なのか。考えてみて私は彼のことをほとんど知らないということに気付いた。
何かの偶然で出会って、その時彼は女の子達に囲まれていて。その女の子達が彼のことを「ろっちー」と呼んでいて。そしていつの間にか時々此処に来るようになった。此処に居る間、彼は店の奥でずっとぼんやりとしているように思う。細長い店内、色も形も様々な花々で埋め尽くされた隙間から通りを行き交う人を眺めたり、時々私に話しかけたり。
話す内容はいつも他愛のないことばかりだ。路地裏で見つけた猫の親子の話だとか、雨の日は髪が決まらないから困るだとか。思い出したように気まぐれに「さん、デートしよう」と誘うこともある。私の中の『六条千景』とは、それぐらいしかない。普段彼がどこで何をしているかも知らない。
「………そういえばろっちー君の事は何も知らないわね」
「何?ようやく俺に興味持ってくれた?何でも聞いてよ。さんには何でも答えるよ。スリーサイズは上から」
「いらないから。男のスリーサイズ知って何の得になるの」
「俺のことをさんに知ってもらえる!」
つまり誰得かっていうと、俺得?
「今、心の底からろっちー君を可哀想に思った」
「何で!?」
心外だ!と言わんばかりの千景のリアクション。彼はとても素直に心情を顕わにする。その無邪気さが眩しくて、少しだけ羨ましい。
「なあ、さん。花束っていくらぐらいするの」
ふいに尋ねた千景に振り返って首を傾げる。
「誰か落としたい子でもいるの?」
「違うって!っていうか、違わないけどその相手目の前にいるし」
「花によって値段は変わってくるけど……バラはいい物は高いし。ガーベラとかだと割と安く済むよ」
「俺の告白はまたスルー!?」
「あとは大きさかなー」
手元の仕事を再開させる。最後のブーケはミモザ。ふわふわと丸く黄色い花が揺れる。
「ねえ、さん。花束作ってよ」
「お仕事なら。どんなのがいいの?相手の子の好みとか知っているんだったら「記念日!」」
予想以上に強い口調で言い返されて、吃驚して目を瞠ると、にっと笑った千景が頬杖をついて作業机の向こうから私を見上げていた。「何の?」と問うと彼はますます笑みを深くする。
「俺がさんに出会えた記念日」
「初めて会ったのは随分前だけど」
そしてこれといって区切りのつくような時間も経っていないような気がする。
「それでもいいの!これだけ大勢人がいる中でさんに出会えた記念日にするんだ。だから、さんの愛の数だけ、大きな花束をよろしく!」
ばちん!と大げさにウインクしてみせた彼に、ため息をつく。記念日の根拠も、私が愛を込めなければいけない意味も分からない。だけれど、嫌いじゃないと思う自分がいるのもまた事実で。彼に似合うのはどんな花だろう。今日の服装に合わせるなら、真っ白なカラーだろうか。赤いガーベラも様になる気がする。それとも、と次々と彼に贈る花束を考え始めている自分に苦笑する。
「あ、さんが笑った」
彼の声に振り返ると、子供のように喜ぶ笑顔があった。その視界の端に映る、桃色のチューリップ。そうだ。これがぴったりだ。悪戯を思いついた子供の気分になって、数本抜き取る。手早く花束を作って、
「ろっちー君」
おめでとう、と言って放り投げた花束を彼は落とすことはしなかった。
「え、え?」
自分で言っておきながら、まさか本当に貰えるとは思わなかった。といった表情で私と、桃色のチューリップで出来た花束を見比べる。
「君にぴったりだと思うよ」
「これって愛「に、なるかどうかは、ろっちー君次第じゃないのかな」」
とりあえず、桃色のチューリップが何を指すのか。調べてみたら?そう言って仕事に戻る私の背後で「くっそー、今のは反則だ。ずるすぎる。さん可愛すぎる。これがツンデレってやつか!」と花束を握りしめてなにやら悶絶する青少年が、ひとり。
桃色のチューリップの花言葉:恋する年頃・愛の芽生え・誠実な愛
完成日
2012/04/21