終わらない、君との夏




「うーん」
「どうした?」
午前中の練習を終えた海常高校の男子バスケットボール部。部室には主将である笠松とマネージャーの私の二人きり。最近になってようやくこの状況に慣れたらしい笠松は(三年目の夏になってようやく、だ。今までどれだけ一緒に居たと思ってるのだこの男)唸り声を上げた私の方を見て、声を掛けた。
「いや、そろそろ志望校を決めなくちゃいけないなーと思って」
私が睨み付けていたのは、大学案内のパンフレット。設置されている学部や、研究内容、オープンキャンパスの案内やら、施設紹介やら、卒業生の進路などがごっちゃに詰め込まれた其れをつまみ上げて半眼になる。
「志望校……」
「笠松達はスポーツ推薦貰えるから受験関係ないかもだけど、マネージャーはそんなのないからね。しかも3年の夏休みなのに毎日部活あるし。夏期講習もあるしで今年の私は超絶忙しいのですよ」
そんな忙しい私に向かって「センパイ!練習後デートしましょう!」とか言いやがった黄瀬くんの脳天気な笑顔は、思わず彼の商売道具であるイケメンなお顔をどつき倒してしまう位に苛立った。ごめん、黄瀬くん。八割ぐらいは八つ当たりだ。残りの二割は単に黄瀬くんをどついてみたかったという好奇心からだなんて、本人には言えない。だっていつも笠松がどついてるのを見て、私もやってみたかったっていうか。まあ、言ったところであの人懐こいワンコのような彼は眉尻下げてへにょりとしょげた顔で「ひどいっスよ〜」とか言って終わるのだろうけれど。
「………」
「なに?」
黙り込んでしまった笠松に首を傾げてみれば、彼は短い髪を乱暴にかき乱して、「あー」と声を漏らした。
「いや、付き合わせて、悪いと思って」
珍しくしおらしい様子の主将の様子にぱちくりと瞬きを繰り返す。確かに普通の運動部なら、夏の大会が終われば三年生は引退だ。今まで部活に一心を捧げて来た分、今度は受験に全てをつぎ込まなければならない。半年後に控える大学受験は高校に入った時とは桁違いに険しい。夏前から志望校調査や校内模試が頻繁に行われるようになり、自分達が受験生であることを嫌でも思い知らされる。バスケ部ほど強豪ではない他の運動部は早々に大会を終えて、受験モードに入ってしまっている。
「考えてみりゃ、俺ら三年だしな。もとっくに引退していいくらいだ」
力のない笠松の声に、私は半眼になる。
「何言ってんの」
「いや、だから」
「負けてくれんの?」
数日後に控えたインターハイ。負ければ私達三年生は、即座に引退が決まる。
「そんなことするわけっ!」
思わず語気を荒げた笠松は、大きな声を出したことをすぐに「悪い」と謝った。負けるはずがない。笠松達が、負けられるはずがない。去年も、一昨年も。マネージャーとしてずっと見てきたのだ。海常が、こんなところで負けていいはずがないことを私だって知っている。
「それともマネージャーは二年生ちゃんに任せて引退してもいいってこと?仲間外れってこと?」
確かに試合に出るわけでもないマネージャーは、選手と違って引退してもさほど影響はないだろう。誰にでも務まるわけじゃないけれど、任せても安心できる後輩をきちんと育ててきたつもりだ。
「そ、それは……困る……っ」
ただし、対・笠松としては力を発揮できないだろうこともよく分かっている。マネージャー女子の中で、笠松と差し障りなく会話ができるのは三年間一緒に居た私だけだ。
「じゃあ何寝ぼけたこと言ってんのよ」
歯切れの悪い笠松の言葉を、鼻で笑い飛ばした。
「いい?私は負けなんて許さないからね」
腕を組んで、傲岸不遜に言い放つ私を呆気に取られたように笠松が見下ろす。
「海常は負けない。インターハイも、ウィンターカップも勝つの。途中で負けたりしたらそれこそ私の三年間の努力が水の泡じゃないの」
「お、おう……」
「受験は、まあ、私個人の問題だから笠松は気にしなくていいよ。一応それなりの成績はキープしてたし、今更半年ばかり部活が伸びたところでどうにもならないような救いようのない馬鹿じゃないつもりよ」
……」
「だから、笠松達は何も考えずにバスケしてればいいの!分かった?」
「ああ、分かった」
ようやく笑みを見せた笠松に満足して、手元の大学案内を再び見下ろす。担任に志望校を早く絞り込めと言われているので、どれかを選んでしまわなければならない。最も、今の私には笠松同様部活が全てで、受験なんて全く現実味のない話だ。現実感の沸かない話題ではあるけれど、それは確かに私達の前に立ちふさがっている。あと半年もしたら、私も、笠松達も高校を卒業している。そして何人かは同じ大学に行くのかもしれないが、ほとんどがばらばらになってしまうだろう。望む、望まないに関わらず、それが現実なのだ。らしくない事を考えて、ふぅ、と短く息をついた瞬間、ふいに手元が翳った。
「笠松?」
いつの間にか私の隣に立った笠松が、束になった大学のパンフレットを探る。
「ここにしとけ」
やがて一つの大学を選び出し、渡してくる。
「え、なんで?」
「推薦、そこに決めてるから」
は?と見上げた笠松は、耳まで真っ赤で。その熱につられて私の頬もじんわり赤くなってくる。彼の言葉の意図に気付くにつれて、熱は広がってゆく。
「……大学行ってまで私にあんたの世話させる気か」
「…………悪いか」
そっぽを向いてしまった彼は、首まで赤くなっている。何だっていうの。そんな風に言われたら、断れない。
「しょうがないなぁ。笠松の相手できるのは私ぐらいだもんね」
息を吐く。肩の力が抜けるのが分かった。真っ白だった進路希望調査の紙に、示された大学名を書き込む。
「帰り、本屋行くから付き合ってよ」
「いいけど、何買うんだ」
「赤本。志望校決まったからね」
自然と零れる笑顔で見上げれば、まだ赤さの残る頬で照れくさそうにする笠松。この隣に、来年も居られるように。私の超絶忙しい夏に、新たな目標が刻まれたのだった。



完成日
2012/07/29