初対面で、あれほど笑われたのは初めてだった。
ソレスタル・ビーイング、その拠点にやって来たライル……ロックオンを見た面々は一様に驚いた顔をした。理由は想像に難くない。兄である、ニールと同じ顔をしているからだろう。誰に会っても、ロックオン・ストラトスはニール・ディランディという過去の存在から揺るがない。どうしようもないことだと分かってはいても、そのことに居心地の悪さを感じずにはいられない。だが、彼女は。
「……っ」
「おっと、すまん」
廊下を曲がったところでぶつかったのは小柄な少女だった。幼さの残る顔立ちがふいにこちらを見上げる。ついで、驚いたように漆黒の瞳を見開くのを見て、ああ、またか、と。
「…………っ」
息を呑む、その仕草から。泣くかな、と思った。死んだという兄、ニールはこの娘と何か関係があったのだろうか。邪推を余所に、彼女は俯いて、次いで肩を震わせる。何となく面倒くさい。俺じゃない、他の誰かのことで目の前で泣かれるのはいい気分じゃない。
「おい、アンタ」
「……ぶっ」
泣かれる前にとっとと引き離してこの場を離れてしまおうと、彼女と少し距離を取ってその顔を見ようと覗き込む。
「あ、はは…」
「?」
「あははははははははははっ」
「は?」
てっきり泣かれるものだとばかり思っていたライルの耳に届いたのは、予想と真逆の声のトーン。笑い声にこちらの方が戸惑う。
「あはははは、ぷっ、ちょ、待ってホントに、もう、ぶはははっはっ」
耳に高く響く笑い声。こんな調子でなければ、マトモに聞いていればもっと違った印象だったろうに。良く見れば中々可愛い顔をしている。切れ長の黒目がちの瞳、少し太めの短い眉、肌は白くて磁器のようだ。背はそれほど高くはないが、身体は理想的なラインを作っているし、黙っていれば男が放っておかないだろうとぼんやり思う。その間も目の前の彼女は笑っている。いっそ失礼なほどに一人で大爆笑だ。
「あはは、はっ――」
ひゅっと彼女の喉が鳴る。どうやら笑いすぎで呼吸困難に陥りそうらしい。
「おーい、大丈夫かー」
「うえっげっほ、ごほ、あー、ああ、うん大丈夫」
笑いすぎて眦に浮かんだ涙をぬぐって、彼女はようやく自分と向き合った。
「あー、可笑しかった」
「そうかい。俺は驚いたよ」
「え?何で」
些か疲れた顔で呟けば、きょとんと瞬いた彼女が見上げてくる。化粧っ気のない顔はますます幼く見える。
「……いや、別に」
「でもあたしもびっくりしたなぁ。話には聞いてたけど、ホントにそっくりなんだもん」
誰に、とは言わない。きっと兄に、ニールに似ていると言うのだろう。
「双子って面白いのね。ここまで顔も声も似てると、いっそウケるわ」
「何でだよ」
ちょっと、目の前の彼女は思考がそこらの奴とは違うようだ。ソレスタル・ビーイングでニールはガンダムマイスターとして様々な任に就いていたらしいが、故人となった彼と同じ顔をした自分を見て驚くでも哀しむでもなく、大笑いした挙句、「ウケる」などと言う。一体何をしたんだ、兄さん、と今は亡き兄に向かって宇宙の片隅に問いかけてみたくなった。
「あたし、っていうの。ごめんね。初対面でいきなり笑ったりして」
「いや、泣かれるよりはマシだよ。ああ、俺はライ」
「知ってる」
迂闊にも自分の本名を名乗りそうになったライルを、はその唇に細い指先をあてて止めさせた。
「彼に何度か聞いた事があるから。よろしくね、『ロックオン』」
コードネームで返される。まだ、そう呼ばれることに慣れていないライルは苦笑いをして己の失敗に眼を瞑ってくれる彼女に感謝した。
「ニール、に。兄さんに聞いてたのか」
「うん」
「兄さんとアンタは?」
兄が自分のことを誰かに話したというのが珍しくて、二人の関係をそれとなく尋ねれば、
「深い間柄でした」
「は?」
返ってきたのは予想外に大人の香りのするもので。思わず間の抜けた声が漏れる。てっきり兄妹のように良くしてもらっただとか、そういうほのぼのとした関係を自分の知るニールから思い描いていたライルは深く悩むことになる。ちょっと待て。深い間柄っていうと、アレか?アレだよな。つまり二人はそういうことで。でも待て。兄さんと、がそういう関係だったのって四年も前だよな?四年前だと目の前のこの子はいくつだ?かなり幼いんじゃないか。歳の差いくつあったんだ?法律がどうとか言うつもりはこんな所に身を置いている以上、言うつもりはないが、倫理的にまずくはないか。だって四年前だぞ?四年前。兄さん、あんた一体ここで何やってんだ!
「おーい、ロックオンー?」
遠い眼をして明後日の方向を見遣るライルに向かって、ひらひらと手を振る。
「犯罪じゃないのか……?」
「何が?」
「歳の差が」
ぼろっと考えていることを口から漏らしてしまったのだが、合いの手が入っていることにすら今のライルは気付かない。身内にロリコンが、いや、でも恋愛は自由だから、いやいやでもさすがにやっぱりこれはマズくないか?などと延々と悩み続けるライルの思考の方向を何となく察したは、彼の袖を引っ張って、自分の方に注意を向けさせる。
「ね、あたしいくつに見える?」
唐突に聞かれたライルは、自分の考えているままに彼女に答える。
「十…六、とか?」
「ぶー」
「えーと、じゃあ十八?」
「ぶっぶー」
「まさか十五より下なのか!?」
「なんでそこで下げるかな」
一向に正解に近付かないので、はため息をつく。
「あのね、あたしこう見えてとっくに成人してるの。あなたより三つ年下なだけだよ」
「なっ、マジかよ!?」
どう見たって少女のように幼いが当の昔に成人していた。挙句、自分とたった三つしか違わないとは。
「詐欺じゃないのかっ!?」
「どういう意味かな」
思わず叫んだ拍子に、冷たい視線がこちらを見ていてライルは慌てて口を噤む。しかし未だに半信半疑、というより八割方信じていない様子の彼にはため息をつく。
「あのねー、童顔なのは自覚してるし、日本人は民族的にみんなこうなんだから仕方ないでしょ。それにここで年齢詐称やったって意味ないじゃないのよ」
「あ、ああ。確かに、意味ないな」
「ホントに傷つくなー。もう、同じこと前にも言われたよ『ロックオン』に」
「……悪い」
「双子って思うことも一緒なのかしら。ニールの方なんか初対面でいきなり『飴食うか?』だもの。まるっきり子供扱いよ」
「……それは」
無理もないのでは、と。四年、いや多分それより多少前の兄を思って言いよどむ。ぷん、と頬を膨らませている彼女の仕草は幼い。当時の彼女は恐らく今よりももっと若かっただろうから。あの人としては、亡くした妹のことでも思い出したのだろう。
「でもやっぱり違うね。良く見るとちゃんと別人だって分かる」
の言葉にライルは意外な気がして彼女を改めて見つめる。
「そうか?ここに居る連中はほとんど見分けがつかないみたいだが」
「ううん。違うよ。全然違う」
二、三度小さく首を振って、そうして少しだけ泣きそうに、瞳を細めて静かに笑う。
「だってあたしの知ってるロックオンはもう、何処にもいないもの」
「……」
今度こそ、泣くだろうな、と思った。だが先程面倒だと思った自分が今度はどうやって慰めればいいのかを考えている。
「あのね、ライル。貴方にお願いがあるの」
俯いて、言われた言葉に頷けば、彼女はゆっくりと顔を上げて、
「お願いだから一発殴らせて」
可愛い顔をして何だか物騒な言葉を吐いた、気がした。
「は?」
二度目になる間抜けな声を漏らしたライルの前で、彼女は小さな拳を握り締め、準備を万端に整えている。
「ちょっと、待て。何で俺が殴られなくちゃならないんだ」
「だってロックオンはあたしとした約束を反故にして逝っちゃうんだもの。腹立つじゃない。だから一発殴らせて?」
こてん、と小首を傾げて言う様は恐ろしいほど様になっていて。ライルは思わず眩暈がした。
「約束っていうのは?」
「ん?生きて帰って来るっていうやつ。酷いでしょ。ちゃんと言質も証文も取ったのに破っていっちゃうのよ?」
くらり、とライルは目の前が暗くなる気がした。兄さん、あんた一体この子に何したんだ。窓の外にある宇宙。その何処かで果てた兄に向かって今度は本気で問い質したくなる。そうやってライルが思考を空の彼方に飛ばしている間に、は「いっくよー、せーの!」と気の抜けた掛け声でもって、『ロックオン』の左頬に綺麗にストレートを決めたのだった。
ドッペルゲンガーを笑え
兄さん、あんたホントに一体四年前ここで何やってたんだ。左の頬を赤く腫らしたロックオンは、此処に来て初めて兄の行った所業を細かに知りたくなったのだった。
完成日
2008/10/13