「ねえ、どうしていつもその場所なの」
二人でいるとき。彼はふとした瞬間にあたしにキスをする。決まって左の薬指に。理由を問えば、短くリップ音をさせた後、碧い双眸がゆっくりとあたしを見上げる。その瞬間がとても好きだ。伏せられていた瞳にあたしの姿が映る、その瞬間が。
「特別なんだよ」
「とくべつ?」
首を傾げるあたしに、ロックオンは瞳を細めて微笑う。あたしは彼のこの表情が大好きだ。優しい顔。それは痛みを知るからこそ出来る、本当にやさしさを知っている人が出来る表情だ。
「そう。特別。が俺の特別だっていう証」
「何だか、くすぐったい」
はにかむように微笑めば、彼もとても嬉しそうに笑う。
「ずっとこうしていられたらいいのに」
うわ言の様に呟けば、彼は少し黙って、そして静かに笑う。決して同意はしてくれない。何度も同じことを繰り返して、いい加減分かっているはずなのに。あたしは今日こそ彼が頷いてくれるんじゃないかって。そんな淡い希望を未だに捨てられずにいる。彼は決して頷かない。その代わりにまた、指先にキスを落とす。
「ニール」
教えられた彼の本当の名前は、二人だけの時にしか呼ばない決まりだ。その名を呼ぶ時、彼はほんの少しだけ淋しそうに、それでもあたしが呼べば笑って「何だ?」と応えてくれる。
「あたし、あなたがとてもすきよ」
彼の手の内にあるあたしの手、その五本の指にひとつずつ丁寧にキスを落とす。
「知ってる。の特別が俺だってこと」
キスの合間に告げられる言葉は、あたしに種を蒔いてゆく。優しく触れられて想いが芽吹いてゆく。育まれたこの気持ちはいつしかふくらんで、小さな蕾になる。
「」
「なあに」
「……」
「ニール?」
好きだ、という代わりに彼はあたしを抱きしめてくれる。ぎゅっと、強く。大きな腕の中、ニールの香りを肺の奥深くまで吸い込むと、あたしの中は彼で満たされる。
「だいすき」
心地良さにうとうとしながら呟けば、頭のてっぺんにキスをされる。彼のキスは好きだ。ふわふわとまどろむような、そんな気持ちになる。すっかり安心しきったあたしは自分の身体を預けて、もう一度「好き。大好き」と口にする。
「好きよ、ニール」
「……」
苦しげに顔を歪ませる彼の頬にそっと指を伸ばす。
「綺麗な色ね。エバー・グリーンの色、木々の緑の色ね。とても綺麗」
彼の瞳の色が好きだ。碧い木々の色、とてもやさしい色。
「やめろよ恥ずかしい。そんなに褒めたって何も出ないぜ」
キスをするとか、抱きしめるとか。そういうことは平気で出来る癖に、好意を言葉で向けられることに関しては慣れていないのか。ぶっきらぼうな口調になる彼がとてもいとおしい。
「あら残念」
笑いながら軽く身を引けば、代わりに唇が追いかけてきた。笑ったままそれを受ける。とてもしあわせになれる。彼に触れられる、ただそれだけで。誰かを好きでいられることが、好きになってもらえることが。こんなにもしあわせな気持ちを教えてくれるとは思わなかった。
「大好きよ」
彼が言葉にしない分、あたしが言うのかもしれない。でもそんな事抜きにしてでも言いたい。言ってあげたい。それで彼が少しでも世界を嫌いにならないでいてくれるなら。
「あなたがとてもすきよ」
「……そうか」
「ええ、そうよ」
もしかしたらこれは傲慢で身勝手な願いかもしれない。赤くなった頬を隠す為にそっぽを向いた。普段は落ち着いていて、マイスターの中でも保護者的な立場を担っている彼も、あたしの前でだけこんなにも幼い表情を見せる。
「あなたが生きるこの世界が大好きよ」
「そう、か」
本当は、言葉にしなければ不安で仕方なかったのはあたしの方。いつか彼は自分の中に巣食う憎しみで身を滅ぼしてしまう。復讐を誓ってここへやって来た、それが彼の本望であっても、あたしは厭だ。要するに、これはあたしの為の我儘。
「大好きよ」
きっと胸の内に咲いた、ねえ、ニール。貴方のためだけに咲いた花は永遠に枯れることなどないのでしょう。あなたがこんなにもあたしをいとおしくさせるのだから。いつまでも、いつまでも。初めてのあたしの想い、この想いがある限り、貴方の為に咲き続ける。それはずっと変わることなく、久遠の時を刻み続ける。
「すき」
だからいつか、貴方が抱える痛みを忘れる時が来るように。煩わしいことだらけの世界を、それでもしょうがない、と思えるぐらいには好きになってくれるように。貴方の瞳と同じ色の、豊かな緑を育む大地に真っ直ぐに立って、一人でも歩いていけるように。
「すき……だいすき……好きよ、ロックオン……大好きよ――――ニール」
これは祈りの言葉。いつか届くあなたの明日の為の、祈り。
「……?」
世界を撃つ、その指はとても綺麗。彼が先刻そうしてくれたように、あたしも彼の左の薬指にゆっくりと唇を落とす。左手の薬指はトクベツ。その特別な場所にキスを落とす。神聖で、何にも侵しがたい儀式のように。神様にだって侵せやしない、特別な、二人だけの約束。
「あたしはずっと、あなただけが好きよ」
くちづけを落とした後、その手を頬に摺り寄せたら、伝わる体温に涙が溢れた。
常初花をあなたに
きっとあたしはあなたの未来にいられない。
完成日
2008/10/21