通り雨に憧れて




「あはは雨だ!」
何がそんなに楽しいのか。突然走り出したを見ながら四人は一様にそう思う。機体の整備の為、ほんのわずかな時間にガンダムマイスター達はいつもの通り海に浮かぶ孤島にやって来た。表向きは無人島になっているこの場所は、上空を飛行機が通ることもなければ、航行ルートに入っていないため海上を船が行くこともない。手付かずのままの自然が残る島に、そういえば彼女は来るのが初めてだったかとロックオンは思い出す。
「おーい、ほどほどにしとかないと風邪引くぜ」
降り注ぐ雨に全身を捧げ、雨粒と遊ぶに声をかけると、彼女はひとしきり戯れて満足したのか素直に屋根のある場所へ戻ってきた。アレルヤが用意していたタオルを受け取ると、礼を言ってしとどに濡れた髪を拭く。
「おーおー、水も滴るいい女、ってか?」
「うふふ、お色気三割増し!どう?誘惑されちゃう?」
「そりゃあ、もう。のお誘いなら断る理由がないな」
ロックオンと軽口を言い合う間も、彼女の瞳はきらきらと輝いて、曇天から降り続ける雨に向けられている。
「そんなに濡れて、大丈夫かい?」
髪の先から雫がこぼれ落ちる様子にアレルヤが心配して聞くが、彼女の答えはあっけらかんとしたものだった。
「平気ー。面白かったもの」
「全く、何がそんなに興味を惹くのか」
呆れたように息をつくティエリアには子供のように紅潮した頬をそのままに、
「だって雨って初めてだし」
「初めて?」
彼女の言葉に刹那が初めて視線を向けた。そんな少年に振り返って、は微笑む。
「わたし、ずっと宇宙に居たでしょ?地上に降りたことは一度も無かったの」
はコロニー育ちだったね」
そういえば、と思い出したアレルヤに頷いて、彼女はもう一度、空を見上げる。雨はまだ、勢いよく地面を叩きつけるように降っている。その音すらも楽しむように、耳を澄ませる。
「だから嬉しいの。雨も、海も、風も、光も、全部ホンモノ」
「地上など、煩わしいだけだ」
「んもー、ティエリアったら水差すようなこと言わないの!」
ぷい、と顔を背けてしまったティエリア。そんな彼を嗜める口調も嬉しそうだ。
「でも分かる気がするよ。地上はとても美しいからね」
「そう!そうでしょ!アレルヤったら話が分かる!」
同意を示した彼にきらきらとした瞳を向けて、興奮の為鼻先まで近寄った。至近距離に彼女を感じて、頬を染めたアレルヤ。だが彼女はそんなこと意にも介さない風で、またすぐに視線を外へ投じる。いつの間にか雨脚は弱まって、曇天には雲の切れ間が出来ていた。
「宙に居た頃、ずっと憧れてたから。作り物じゃない、ホンモノの空」
は嬉しそうに微笑む。人工的に作られた限りある空、コンピューターに制御された天気。移ることのない季節。人間にとって最適とされる環境は確かに住みやすいものだ。だけど彼女にとって、それはつまらないものだった。
「わたしはこの方が、好き」
屋根を伝って落ちる雫を手で受けて、彼女は振り返って四人に笑いかける。隙間から落ちる光、刻々と表情を変える空の色。まだ知らぬ、あたたかな陽の光も。この蒼い惑星にある全てがいとおしいのだと彼女は笑う。
「地上は、そんなに綺麗なものばかりじゃない」
重く響く刹那の言葉。彼が思うことは人々が争わずにはいられない、この哀しい連鎖だ。
「分かってるよ。でもね、それでも綺麗なものを綺麗だね、って。素直に思えることは大事じゃない?」
「………」
「そんな難しい顔しないの刹那!ケ・セラ・セラだよ」
一番年下の少年の、眉間に深く寄った皺をひとなでして、雨が上がった空の下へ彼女は再び飛び出していく。
「ほら、だって世界はこんなに明るい」
雲の切れ間から注ぐ陽光を浴びて、は走っていく。まるで幼い子供のように無垢で純真な彼女の様子に、ロックオンとアレルヤは顔を見合わせて苦笑した。彼女に続いて走っていくロックオンにティエリアが抗議の視線を向けるが、
「たまには童心に返るってのも悪くないと思うぜ」
ウインク一つ残してこの場で一番年長者の彼は行ってしまった。
「そうだね。じゃあ、僕も。刹那、行こう」
そしてアレルヤもまた、刹那を促して走っていく。靴を脱ぎ捨てた裸足の足に、雨に濡れた砂がまとわりつくがそんなことは少しも気にならなかった。波打ち際のぎりぎりを走るに軽く追いついて、ロックオンは彼女の好奇心旺盛な心を更にくすぐるような一言を述べる。
「雪が見たけりゃいつでも連れてってやるよ」
「本当?」
雪、と聞いて期待に顔を輝かせる彼女を可愛いな、と思いながら彼はさらりと約束を取り付けようと試みた。
「ああ、俺の国じゃ冬になれば嫌になるほど降るからな。クリスマスデートってことでってどうわっ!?」
しかし追いついてきたアレルヤがいきなり足元の水を蹴ってロックオンに浴びせかけ、
「何、をナンパしてるんだい、ロックオン」
更には凄みのある笑顔で、詰め寄ったのでロックオンは引き攣った笑顔で答えるしかなかった。
「ア、 アレルヤ……何するんだ!」
「可愛い子羊を狼の手から守っただけですよ」
「だからって水かけることないだろ!」
いつの間にか、水を掛け合うことに熱中し始めた二人の様子には傍に無言で立っていた刹那を誘う。
「二人とも楽しそう。ね、刹那まざろう!」
きゃあきゃあと歓声を上げながら飛び込むにつられて、刹那も波飛沫が飛び交う中へ入っていく。
「あはは楽しい!きゃあ!?」
「ははっ余所見するからだ――ってうわっ」
「余所見するからだ」
「やったな刹那!」
「大丈夫かい、
「アレルヤにも、はいっ」
「わっ酷いよ
「えへへごめんごめん」
そんな四人の様子を少し離れた場所で腕を組み、むっとした顔で眺めるティエリア。
「全く、子供ではないのだからもう少しマイスターとしての自覚を……」
「ティエリアもおいでよー!」
嘆息しかけた彼の耳にの声が届く。顔を上げてそちらを向けば、大きく手を振っている彼女の姿が。
「おいでよ!ね、楽しいよ」
そうやって、彼女があんまりにも間抜けに笑うので。そう、あんまりにも彼女が幸せそうに笑うから。
「……仕方ないな」
そうやって、悪態をつきながらも彼女らの元に向かうティエリアの口元は、かすかに微笑んでいた。



2008/12/28