とても静かに眠る子供だ、と藍染は傍らの存在を見下ろしながら思った。先頃彼が自邸に迎え入れた幼子は、当初は精神的な不安からそれは酷く暴れた。人という存在に怯え、手を差しのべる者に噛み付く。それが彼女にとって唯一の自衛の手段だったからだ。泣き叫ぶ少女の心をゆっくりと融解させたのは他ならぬ藍染自身で、彼はその報償として少女からの絶大なる信頼を得た。
夜も更け、月が南天の高くに昇っている。藍染は自室に敷かれた布団にくるまれて眠るその少女の造形を、月灯りを頼りにじっくりと観察する。栗色の髪は屋敷の者達に整えられて綺麗に梳かれている。香料の入った髪油で念入りに手入れされているため、僅かな光にも艶やかに輝く。陽光を知らぬのではないかと思うほどに白い肌は、幼子故か皮膚が薄い。多分、藍染が少し歯を立てたなら、彼は簡単に少女の血の味を知ることができるだろう。今は見ることが出来ないが、長い睫毛に縁取られた瞳の色は、凪いだ湖面を思わせるような翡翠。藍染はこの瞳を殊の外気に入っている。その理由を己の持つ色が平凡だからか、と考えたこともある。最も、自身に劣等感を感じたことはないのだが、美しい物は讃頌すべきであるし、愛でるのは当然だ。
子供の眠りは深い。寝返り一つしないまま、少女は眠り続ける。本当に眠っているだけだろうか。ふと気になって、手の甲を口元に宛がえば、かすかに呼気が当たった。ほっと息をつき、それから苦笑した。
「そこまで入れ込むつもりはなかったのだけれどね」
引き取る気になったのは気まぐれだった。初めて出会った時、少女は追い詰められた獣のような目をしていた。その翡翠の色に惹かれたたのだ、と思う。野生の生物のみが持つ孤高の美しさだと思った。その美しさを、自分の手で手折ってみたい。他には何も許容出来ないほどに依存させた上で、最後の最期に自らの手で絶望の淵に叩き落とす。その瞬間、あの翡翠はどんな風に歪むのだろう。その様を見てみたい、そんな小さな欲が出たのだ。

少女の名を呼び、手の甲でするり、と頬を撫でる。小さな顔は藍染の手ですっぽりと包み込めそうだ。起きる気配がないので、藍染の手はそのまま顎を伝って細い首へ辿り着く。片手で簡単に握りつぶせそうな、細い首だと思った。

静かな声音で名を呼ぶ。決して起きるとは思わない。少女は藍染の傍らで眠るとき、安心しきっているのか滅多なことでは目を覚まさないのだ。
、起きないと」
僕に殺されてしまうよ。小さく呟く藍染の指は、少女の首にかかっている。五本の指がゆるゆると気道を締め上げていく。少女は未だ、眠ったままだ。しかし徐々に呼吸が儘ならなくなってきたのか、眉が苦しそうに寄せられる。それを見下ろしながら、藍染の指はさらにきつく首を圧迫してゆく。
「……」
ようやく生命の危機を感じたのか、息を詰まらせた少女を、藍染は無感情な瞳で見遣る。ゆっくりと翡翠の瞳が開かれ、焦点の合わないまま養い親の姿を捉える。
「そ、すけ……?」
「うん」
喘ぎながら呼ばれた藍染は常と変わらず優しい微笑みで返事をする。ああ、ようやく映った。翡翠の中に映った己の顔が、愉悦に歪んでいる。些細な事に心を震わせた藍染は、背を曲げて、酸素を求めて苦しそうに顔を顰めるに近づいた。
、苦しいかい?」
首を絞められているのだから当たり前だ。だのに、そんな事を訊く。可笑しくて、今度は笑い声までこぼれ落ちた。動きづらいだろうに、少女は首肯して是と答えた。
「死にたいかい?」
今度はゆるく首を振って否、と。「そう」と短く呟いて、藍染は微笑んだ唇を、そのまま少女のそれに合わせた。それが必然であるかのように。直接酸素を送り込み、反動で咳き込む少女を至近距離で見下ろし、譫言のように呟いた。





01. その一呼吸すらも飲み干して、




「でも、君はもう僕のものだから」
生殺与奪。その権利は全てこの手の中にある。