目の前に存在するやけに丁寧な造りの男を胡乱げに見上げるのは日番谷冬獅郎十番隊隊長だ。
つい最近護廷十三隊に入隊したばかりだが、その類稀無い才能で異例の出世を遂げて先日ついに隊長格にまで地位を上げた麒麟児。
そんな彼が今現在不機嫌絶好調なのはどんなに鈍い者が見ても一目瞭然。
原因は全て『彼』にあった。



あらまし事



外は快晴。
本日は虚退治の任務も無く十番隊執務室で溜まりかけた書類を片付けている最中だった。
そんな中副隊長である松本乱菊がふと顔を上げる。
「隊長」
「何だ」
書類から顔を上げないまま返事をすれば、彼女はことり、と持っていた筆を置いた。
って知ってます?」
「あぁ?」
いきなり何を言うのかと思えば。
眉間に皺を寄せたまま顔を上げると、乱菊は机に頬杖をついてこちらを見ている。
日番谷はそんな彼女を視界に入れながらもたった今言われた名前を反芻し、記憶を思い返してみる。
……どっかで聞いたことあるな。……」
椅子の背もたれに寄りかかり、腕組みをしながら何度もその名を繰り返す。
「ほら、今年の護廷の入隊式に舞を披露してた男いたでしょう?あれがですよ」
「舞?あぁ、あん時の」
どうにも思い出せない日番谷に乱菊がその記憶を呼び覚ますかのように言葉を挟む。
「桴持って舞台の上で『陵王』舞ってた奴か」
「そう。綺麗だったでしょう?」
「まぁな。それで?そいつが何だってんだよ」
「彼、あたしの同期なんですけど、隊長の話したら一度顔見に来たいって言って」
そうしてにっこりと笑った乱菊に日番谷は本能で危険を感知する。
「馬鹿か。仕事溜まってんだよ。そんな奴に付き合ってる暇なんかねーよ」
さっさと話を切り上げてしまいたい日番谷は強引に話を終わらせ、広げた書類に没頭する。
引き継いだばかりの隊長職は思ったよりもデスクワークが多く、書類のさばき方から覚えなくてはならなかった。
「だったらに手伝ってもらえばいいじゃないですか」
「はぁ?」
部下の突然の言葉に思わず顔を上げてしまう。
その先で乱菊が見たこと無いようないい笑顔でにっこりと笑っていた。
「そうしましょう。これで双方望みが叶うし言うことなしですね」
「待て。俺はそんなわけの判らん奴に仕事を預ける気はねぇぞ」
半眼で睨めば、乱菊はいつもの彼女では決して有り得ない笑顔の出血大サービスを催したまま応える。
は十三番隊の八席、書類の処理速度なら護廷でも指折りですよ」
だから彼に手伝ってもらえばすぐに仕事など終わると、暗に含める彼女の言葉に日番谷はまだ渋い顔をしたままだ。
もう一押しかしら。
乱菊はそんな上司に気付かれないようにこっそりほくそ笑むと、だったら、と続ける。
「隊長、あたしと勝負しませんか?」
「はぁ?」
思いっきり怪訝そうな顔をした歳若い上司を、妖艶なまでの微笑で迎えうつ。
「あたしが勝ったら隊長には何があっても大人しくしててもらいますから」
華のようだと誰もが言うであろう乱菊の笑顔は、しかし日番谷の第六感に激しく警鐘を鳴らすのだった。

「こんちはー護廷の料理番長さんが来ましたよー」
一刻ほど後に、脳天気な声が詰所の方から聞こえた。
同時にわっと歓声があがり、空気が一気に騒がしくなる。
それが耳に入ると同時に眉間に深い皺を刻んだ日番谷をちらりと横目で見て、乱菊は執務室の戸を開ける為に立ち上がる。
見知らぬ霊圧がこちらへ足音と共に近づいて来ると、さらに険しくなる少年の眉間。
足音がこの部屋へ来るまであと十歩の距離になったとき、乱菊は振り返り、
「隊長、約束は守ってもらいますよ」
と念を押して戸を引く。
日番谷は「バカヤロウ、それはお前が勝手に決めたんじゃねーか」と言いたかったのだが、乱菊が笑顔のまま霊圧を上げたのでむすっとしたまま黙って机に頬杖をついた。
足音が止まり、乱菊の「いらっしゃい」という嬉しそうな声が聞こえる。
珍しいこともあるもんだ、と日番谷は頬杖をついたまま彼女の背を眺める。
普段から面倒見のいいことで知られる自分の副官は、しかし滅多なことであんな風に屈託無く笑ったりしない。
まるで少女のように彼女が無垢に笑いかける相手は戸の影に隠れて見えない。
だが霊圧を感じる限り、そんなに実戦に向いている奴じゃなさそうだ、と日番谷は思った。
十三番隊の八席だというが、あの隊は隊長である浮竹が病弱で実質副隊長の志波海燕という男が仕切っていたはずだ。
隊長に就任した折に一通り挨拶回りをしたのだが、運悪く浮竹は床についたままで、上半身だけ起こして「布団の中からすまんな」と弱々しく謝られたことを思い出す。
いいえ、と答えてそのまま会話を続けることが出来なくなってしまった日番谷に浮竹は軽く笑った。
「緊張してんだろ。俺も隊長に就いたばっかの頃はそうだったさ。ましてやおまえはその若さで隊を預かるんだ。責任は重大だな」
覚悟はしていたが実際に同じ任に就いている人物から聞くのとはまるで重みが違う。
暑くもないのに汗が首を流れ落ち、乾いた喉を潤そうと無意識に喉が鳴る。
その様子を浮竹は瞳を細めて眺めていたが、やがて口の端に笑みを浮かべて「まあ全てが上手くいかないわけじゃないさ」と穏やかに言ってそのまま視線を日番谷から外す。
「全部を自分一人で背負い込もうとするから気負うんだ。隊長だって一人で何もかも出来るわけじゃない。しんどい時には誰かに助けてもらえばいいんだよ」
丸く切り取られた障子の向こうに広がる、水にけぶる風景をその瞳に映しながらとても和やかにそう言うから。
日番谷は思わず訊ねる。
「浮竹隊長には助けてくれる方がいるんですね」
そうしたら浮竹は長い髪をかき上げながら「まぁな。俺は部下に恵まれてるからな。一人、俺の心配なんかしてねぇで自分の心配しろって言いたくなる奴もいたりするんだがな」と困ったように笑った。
何とはなしにそんなことを思い出していた日番谷に乱菊の声がかかる。
「隊長」
「あぁ?」
が来ましたよ。中に入れていいですよね?」
「……あぁ」
拒否権のないその言い草に多少むっとしながらも返事をする日番谷に振り返った乱菊が少し笑って「、入ってちょうだい」とようやく件の人物を執務室に招き入れた。
乱菊の向こうから部屋に入ってきた人物の容姿は少なくとも日番谷の目を奪い、一切の動きを停止させるほどのものは持ち合わせていたらしい。
女性の割にはそこそこ高い乱菊よりも頭半分と少し高いすらりとした背、死覇装の袖や裾から伸びる長い手足は白い。
まっすぐな癖のない黒髪は伸ばしている途中なのかおろされて肩口で揺れている。
すっと通った鼻筋に切れ長の涼しい双眸は桔梗色、面立ちは間違いなく美人の部類だった。
その人物が戸口付近で立ったままこちらを凝視している。
美人に熱い視線を注がれること事態は悪い気はしないのだが、日番谷はまだそちらの方面でそれほど経験があるわけもなく、いまはただ、その桔梗の瞳に見つめられて畏怖といった居心地の悪さを感じるのみだった。
日番谷は椅子に座ったままじりと後ろに下がった。
握り拳を両脇に作り、そのまま俯いてふるふると震えだした。
「おい、大丈夫か?」
具合でも悪いのだろうか、思わず心配して椅子から立ち上がり傍へ寄って高い位置にある顔を見上げるとがっしと両肩を掴まれた。
「な!?」
「乱菊さん!!この子おウチに連れて帰ってもいいかしら!?」
『美人』が叫んだ。
口調は女、だが声は多少高い気もするが、紛れもなく男。
その瞬間日番谷は全身の毛を逆立てて、警戒心を露にした犬のように叫んだ。
「……松本っ!こいつを今すぐ始末しろ!!」
二人に叫ばれて十番隊副隊長の松本乱菊はにっこりと言い返す。
「どっちも駄目よ」

「いやぁ〜取り乱しちゃってごめんねー。俺可愛いもの見るの大好きでさー乱菊が自分トコの隊長さんがいい感じにちっさいって言うからどんなもんだろー? って期待して来てみたら想像以上でさ。思わず自分を見失っちゃった」
てへ、と後ろ頭を掻きながらがぺろりと舌を出す。
「………」
「あ、怒っちゃった?怒っちゃった?いやもうごめんって。あーっていうか隊長さんなんだよな。じゃあこんな言葉遣いじゃだめだよなーえーっと、なんかもう二重にごめんなさい……」
むすっとしたまま口を開こうともしない日番谷の周りでが必死に取り繕おうとしている。
日番谷が口を利かない理由はの馴れ馴れしさが原因ではないだろう。
お茶を淹れて戻ってきた乱菊が二人の様子を見て、ため息をつく。
「隊長、を女性と間違えたからっていつまでも拗ねないでくださいよ」
「ばっっっ!?そんなことあるわけねーだろ!?」
「え?嘘いやーん日番谷隊長ってば!」
「違うって言ってんだろーがっ!!!!」
図星をさされうろたえる日番谷を更にからかうは、他隊の隊長の機嫌を治したいのか損ねたいのかいまいち理解に苦しむ行動を取る。
乱菊は予想通りの面白いものが見られて御満悦だったりする。
「日番谷隊長ホントにちっさいなー。ちゃんと飯食ってますか?」
小さい日番谷を後ろから抱え込むようにしてぐりぐりと頭を撫で回す。
案の定、小さいことを密かに人一倍気にしている十番隊隊長は顔を真っ赤にして沸点寸前だ。
「この野郎離しやがれ!!」
の腕の中暴れまわる日番谷を微笑ましく見ながら乱菊は「約束でしたよね、隊長?」と麗しく笑む。
途端に大人しくなる腕の中の日番谷をは不思議そうに見下ろす。
そんな自分の上司を見ながら乱菊は呆れたように知己の方を見る。
はこんな整った顔してるから女性に間違われることなんてしょっちゅうなんですよ」
「そーそー日常茶飯事なんだよ」
「だから隊長だけが間違ったわけじゃないですよ」
が手土産に持ってきた水羊羹を切り分けながら明日の天気でも話すかのように乱菊が言い、自身も何でもないことのように続ける。
一応先程の自分の失態をフォローしようとしてくれていることだけは判るが、この慣れた空気は何だ。
日番谷がの顔を胡乱げに見上げると、気付いた相手がにかっと笑った。
よく笑う男だと、そう思った。
「顔だけは綺麗ですから。男に求婚されるのも珍しくないんですよ」
「そーそー貴族の阿呆とかは特にな。『一生不自由させないから俺の愛人になってくれ!』とかなー。俺は愛玩品じゃねーっつうの」
からからと笑って彼は言うが、言ってる内容は決して明るく笑い飛ばすものではないような気がする。
だがあまり深く考えないことにした。
その方が何となくだがいい気がしたからだ。
「あ、そーだ」
ふいに頭の上で声がして、拘束されていた腕を解かれる。
ようやく自由になった身体で床を蹴ってとりあえず距離を取る日番谷に、桔梗色の瞳をした美丈夫はにこりと微笑んだ。
「今更だけど一応自己紹介。十三番隊第八席、特技は料理で好きなものは小さくって可愛いもの。よろしくな、日番谷隊長」
言って差し出された右手を少しの間翠玉の双眸で見続ける。
やがておずおずと差し出された日番谷の手を半ば強引に取って、ぶんぶんと上下に振りながらは笑った。
「しんどくなったらいつでも言って頂戴なー俺結構器用だから何でも出来るのよー。日番谷隊長が大変な時はいつでも助けに来ちゃうから」
明るくそう言う彼に、過日の浮竹の言葉が思い出される。
ずっと願っていたモノ、誰かの、賛辞や応援などではなく。
「冬獅郎だ」
「んぁ?」
小さく言った声は相手に届かなかったらしい。
「冬獅郎だ!俺の名前は!!」
二度目に顔を真っ赤にして怒鳴るように言った日番谷に、意を解したがまるで朝焼けの空のような笑顔で、
「よろしくな、冬獅郎」
と言ったことを知っているのは当人達と乱菊だけだった。


「ところで乱菊、勝負って?」
「ジャンケンしたのよ。それであたしが勝ったら何があっても大人しくしてくださいね、って約束したんですよね」
「うーわー冬獅郎、そりゃ無謀だわ。乱菊は昔っからジャンケンだけは負け無しだぞ」
「知ってたらこんな勝負しねーよ……」




主人公は十番隊隊長がえらく御気に召した模様。
弟みたいにめちゃくちゃ可愛がります。
冬獅郎くんは隊長ですが地位とかそんなのは特に気にしないと思います。
完成日
2005/07/21