自分と彼女の小指をそっと絡ませる。
節くれた、がさついた己の其れと違い、彼女の指はなめらかでそして折れそうなほど細かった。
『ゆびきりげんまん』
せめて最後に顔だけでも。
そう思い彼女の住まいに向かったのが間違いであった。
整えられた室内で彼女は床から離れられずに、錦の布団にその細い肢体を投げ出して。
見事な黒髪は少し艶が欠けていた。
見ただけで決心が鈍る。
それでも道を変える気などない己が恨めしい。
空に浮かぶのは半分だけの月だったがそれでも灯りをつけていない室内を照らすには十分で。
桃色の花弁が舞う頃に二人してまどろんでいた欄干への扉は開け放たれている。
「夜になると冷えますね。戸を閉めた方がいいんじゃないっスか」
傍に座って青白い彼女の顔を覗き込みながら喜助は言うが、は弱々しく首を振る。
「いいの。このままにしておいて」
夜も遅くに尋ねてきた喜助を彼女に仕える使用人たちは何も言わずにこの楼閣へ案内した。
喜助を先導してきた初老の女性はが生まれた時からその世話をずっとしてきたのだが、部屋に入る直前に喜助に向かって深々と頭を下げたのだ。
花が散る時が近いのだ、と。
伏せた眦に涙を滲ませて。
「今夜浦原様がお越しになったのも御縁でございましょう。どうか姫様をよろしくお願いいたします」
明らかに不自然だった彼の訪問に何も口を挟まずに、ただ主を案じて去った。
寝たままの状態で空を眺めるがふいにぽつりと零した。
「行っちゃうの?」
その一言で彼女が自分がここからいなくなることを知っているのだと気付いた。
「はい」
正座したまま喜助は答える。
仕事帰りの今日はいまだ死覇装を身に纏ったままだ。
白い羽織もその背に『十二』の文字を刻んでいる。
「もう帰ってこないの?」
横を向いたまま、はまた問う。
喜助がここに訪れてから彼女は一度も喜助を見ようとしなかった。
彼女の美しい双眸を見ることが叶わずにいる。
そのことを残念に思いながら、これも当然の報いなのだと甘んじて受けるほかに道は無いことも知っている。
「ええ。多分帰ってこないっスね」
淡々と繰り返される質問に静かに返す。
「どうして」
「悪いことをして怒られちゃったんスよ。だからもうここにはいられないんです」
「あたしは、またひとり……?」
弱々しく呟かれた哀しげな声に思わず片手を伸ばす。
だが寸でのところで思い直してその手を戻して強く握り締めた。
「参ったな。今日に限ってアナタは質問ばかりだ」
声が、震えそうになるのを堪えるのに必死だった。
彼女が自分を見ないでいてくれてよかった。
こんなに情けない顔をしているのを見られたくない。
「喜助はあたしをひとりにするの?置いていっちゃうの?」
言葉だけなら縋るような響きを持つ彼女の声も、今は諦めに満ちている。
何を言っても恋い慕うこの人は自分の元に留まってはくれないことを本能で判っているのだ。
「ここでしか生きられないアナタをあちらへ連れていくわけにはいかないでしょう」
「……嘘つき。世界を、ここよりももっと広い世界を見せてくれるって言ったのに」
愛しい少女のその声が。
自分に失望している、判っていてもやりきれない思いが喜助の身体を駆け巡る。
だが共に行くことは出来ない。
生まれつき身体が弱く、瀞霊廷の中でさえも霊圧の影響力の少ない清浄な空気の中でしか命を永らえさせることが
出来ないを自分の我儘であちらの世界へ連れて行くことなど出来るわけがない。
はこの四角く切り取られた窓越しにしか世界を知らない。
彼女の為に整えられたこの楼閣は至る所に贅の限りが尽くしてあったけれど、とても寒々としていた。
初めて彼女に、に会ったときに約束をしたのだ。
いつかここよりずっと広い世界をアナタに見せてあげましょう、と。
枯れそうだった花のつぼみがみるみるうちに瑞々しさを取り戻し、やがて美しく花開くのを間近で見ることができた。
咲かせたのは紛れもない自分だ。
それを今度は自分の我儘で散らそうとしている。
何と勝手で傲慢に満ちた行動だろう。
それでもも、彼女の使用人たちも誰も喜助を責める事をしない。
居た堪れない想いを噛みしめながら喜助は手を畳につき、身体を傾けてそっとに覆いかぶさるようにする。
「約束はいつか必ず果たしますよ。の中でアタシが嘘つきのままなのは嫌っスからねェ」
「いつかって、いつ?」
「はっきりと言えませんが。でもいつか、必ず、絶対にアタシはを迎えにきますよ」
「本当に……?」
幾度か瞬いたが初めて喜助の方を向く。
白い頬に僅かに赤みがさしてきたような気がした。
喜助は大きく頷くと、今宵ようやく目にすることが出来た彼女の顔を手で辿るように撫でる。
「本当ですヨ。他の何も信じなくていい。コレだけは、この約束だけは信じてください」
喜助の大きな手がの細くなった輪郭をなぞり、頬に差し掛かると、切なそうに眉を寄せたが両手を彼の方に伸ばしてきた。
意を解して抱き起こすと自分の膝にを横に座らせる。
寝巻きの襟元から覗く白い肌に薄く残る散らされた華を見て、ようやく喜助は詰めていた息を吐き出した。
「ゆびきり」
「ん?」
抱きしめた腕の中から聞こえた声に喜助が膝元を見下ろすと、が無垢な瞳で彼を見上げながら右手の小指を差し出す。
「ね、喜助。ゆびきり。約束でしょう?」
「あぁ、そうっスね。ゆびきりしましょうか」
自分と彼女の小指をそっと絡ませる。
節くれた、がさついた己の其れと違い、彼女の指はなめらかでそして折れそうなほど細かった。
「ゆびきりげんまんうそついたらはりせんぼんのーます、ゆびきった」
甘やかな声が言霊で契約を結ぶ。
「針千本はしんどいっスね〜。頑張って約束を果たせるようにしますよ」
「うん。でも果たせなくても喜助はあたしの所へ帰ってくるでしょう?」
夢を見るように呟いて、はあどけない笑顔で喜助を覗き込む。
「喜助の首をくれるって言ったじゃない。喜助がこの世界の何処からもいなくなるときに、あたしにアナタのその首をくれるってヤクソクしたでしょう?」
「……そうでしたね。どっちにしろアタシは貴女の元へ還るんでしたね」
「そうだよ。だからちょっとだけさよなら。……いってらっしゃい、喜助」
全てを知っているわけではない。
けれどこの少女はそれでも喜助に永遠の別離を言わないのだ。
さよなら、と終わらせるのではなく。
“いってらっしゃい”と、いつかまた逢えるように願いを込めて言の葉を紡ぐ。
を抱きしめる腕に力を込めて、折れそうな細い肢体を優しく手のひらで包み込みながら喜助は彼女の耳元に囁くのだ。
「いってきます」
そうして彼女の喉元に噛み付く。
少しでも長い間、彼女に己の華を刻みつけようと。
『首』の続きというか、同じ設定のヒロインです。
これだけでも読めるには読めるかと。
またも授業中にネタを書き留めるという暴挙に出てました。
続きがあるとしたら次は現世でしょうかね。
完成日
2005/07/27