ぱたぱたと、軽い足音がした。
知っている気配だったから振り向いたら。
「惣右介!」
腕の中に飛び込んできた小さな生き物。
泣かないで、ハニー
「どうしたの、」
背に『五』の文字がはっきりと染め抜かれた白い羽織の襟を握り締めて。
小さな、小さな少女は動かない。
自分の鳩尾辺りにある頭を懸命に押し付けてくる様子に藍染は小さく微笑む。
大きな手でやわらかな髪を撫で、あやすようにとんとんと背をたたいてやってもはぎゅっとしがみついたまま。
優しく肩を抱いて顔を見ようとするけれど、いやいやと首を振って拒絶する。
「どうしたんだい。何かあったの?」
答えは返ってこない。
「」
名を呼べば、肩をわずかに揺らすけれど。
離れようとしないその様子、が走ってきた方向、柱の影に自分の副官である
銀色の髪をした青年が申し訳なさそうに彼女を見ているので粗方事態は呑み込めた。
市丸、と声を出さずに唇だけでその名を呼んで。
どういうことだ、と視線で問えば。
彼は眉尻を下げてすんまへん、と謝る仕草をした。
その様子に小さく息をついて、今はいい、と市丸をその場から退散させると改めて自分に縋り寄る少女を見下ろす。
「」
もう一度名を呼んで。
しがみつかれた体勢を少し崩してその場に膝をつき、少女の目線に合わせる。
僅かに下から覗きこんだ大きな翡翠の双眸は、涙に潤んで淵が赤く腫れていた。
白い桃のような頬には幾筋もの涙の痕。
乾いてしまったその痕を指先でぬぐってやれば、翡翠に溜まっていた涙がぼろぼろと零れだした。
「ギンが」
しゃくり上げながら口にした名前にやっぱり、と胸中で呟いて、先を促す。
「惣右介がどっかに行っちゃうって、言うから。あたしを置いていっちゃうって」
嫌だよ、と泣く少女はまだ幼い。
外見の年齢なら十かそこらだろう。
この背が今の半分も無い頃に少女は藍染惣右介の元へやってきた。
捨て子だった、と連れてきた人物に聞かされた。
痩せて骨の目立つ手足や、小さな顔に不釣合いなほど大きな翡翠の瞳。
虐げられた経験から脅えて人の眸を恐れ、伸ばされる手にすら噛み付く。
そんな少女を引き取り、傍に置き、もう何も怖いことはない、と分からせるために毎晩自らの腕で抱いて眠った。
暴れて泣く少女をどうにかあやし、大丈夫だ、とずっと一緒だから、と言い聞かせて。
少女が夜を安らかに眠ることができるようになる頃には季節が二つと半分過ぎていた。
「あたし、また一人になっちゃうの?いやだよ、惣右介……」
小花が散らされた着物は藍染が選んで買い与えたものだ。
その袖で必死に涙をぬぐおうとするけれど、後から後から溢れ出す洪水のような滴はとても拭ききれない。
少女には自分以外に頼れるものがいない。
だから少女は何が何でも藍染から離れようとしないのだろう。
そうなるように仕向けたのは他ならぬ藍染惣右介本人だけれど。
いざ、実際に縋りつかれてみると、心が痛んだ。
こんな表情をさせているのは紛れもない自分自身。
そのことが胸をしめつけ、同時にえもいわれぬ愉悦の感情を生み出す。
しかし泣かせているままでは忍びない。
少女の細い手首をつかみ、顔を上げさせると翡翠の色を真正面から覗き込んだ。
「大丈夫だよ。僕は何処にも行かない。ずっとの傍にいるよ」
「ほんとう?」
「僕が今までに嘘をついたことがあったかい?」
ううん、と首を左右に振るに笑いかけ、軽い身体を抱え上げる。
腕に抱き込めば、首に手を回された。
「どこにも行かない?ずっと一緒?」
健気なほどに揺れる翡翠。
顔のすぐ傍にあるそれを間近で見ながら微笑んだ。
「一緒だよ。もし僕が何処かへ行くときがあるのなら、その時はも連れて行くから安心しなさい。だから泣かないで、」
眼鏡の奥の黒鳶が柔和に細められたのを見ては涙が残る泣き顔のまま笑った。
小さな手で藍染の髪に触れ、頬に唇を寄せる。
「やくそくだよ。惣右介」
「ああ。約束しよう」
「うん」
擦り寄る少女の温もりを抱えたまま、隊舎へ戻る。
ゆっくりと歩を進めながら「さて、を泣かせた市丸には一体どういう罰をあたえようか」と穏やかにえげつない考えを巡らすのであった。
藍染隊長紫式部計画。
……ではないと、思います…多分?
唐突にオッサンと幼女の組み合わせが書きたくなったので。
好きなんですよこういう年の差カップル(年の差の域を超えている)
京楽さんだと本当に犯罪になるし(おい)、浮竹さんは家族を養うのに精一杯だろうと思ったので藍染隊長に白羽の矢が。
あ、でも浮竹隊長に拾われて大家族の一員になるっていうのも良かったかも!
完成日
2005/08/15