「やだぁっ」
自室に居た藍染に届いたのは年端もゆかぬ少女の甲高い悲鳴。
何事か、と文机に向かう身体で振り返れば、軽い足音と共に飛び込んできた小さな躰。
色取月
「?」
しがみついてくる小さな子供の名を呼べど、返事が返るどころか益々強く掴んでくる。
彼女の白い、細い肢体はしとどに濡れており、髪にも腕にも白い石鹸の泡がついたままだ。
それに何より、は一糸纏わぬ姿で藍染に抱きついているのだ。
幸いにも藍染の趣向はそちらの方向へまだ目覚めていないので、ただ純粋に口から
「どうしたの。こんな格好で。風邪をひいてしまうだろう?」という台詞が出てきた。
頑なにしがみついて離れない様子にさすがに困り果てたとき、襖の向こうからの身の回りの世話を任せている下働きの女性の申し訳なさそうな声がした。
「すみません。髪を洗って差し上げようとしたのですが、途中で……」
そう言って頭を下げる彼女の手には、子供用の寝間着と身体を拭く為の大きな布。
そこから大体の事情を飲み込んだ藍染は、腕の中の幼い女の子を見下ろして、さてどうしようか、と考えを巡らす。
人見知りが激しいのはが今まで置かれた状況を鑑みれば仕方の無いことだとするしかない。
藍染は屋敷に仕える使用人の中で一番若く、気の利く女性一人を選んでの状況を掻い摘んで説明し、自分が家にいない時には彼女の世話の一切を任せてきた。
最初は酷いものだった。
何しろにはそれまで自分を取り巻くものの全てが害を成すものだったから、庇護してくれる人物すら区別がつかずに暴れまわった。
襖や障子をやぶるのはほぼ毎日、部屋内の調度品もほとんど壊れてしまい、今彼女の部屋には真新しい家具が並んでいる。
壁に爪を立てて自らの指先から血を流し、泣き叫んでいる様子を見た時は藍染の心も痛んだ。
どんなに辛い場所で生きていたら、このように声が枯れるほど泣いて周りを拒絶するまでになるのだろう。
大きな腕で暴れる細い身体を抱きしめながら、何度も何度も「大丈夫、大丈夫だよ。もう怖いことは何もないんだ」と一晩中言い聞かせた。
そうして空が白み始める頃にようやく泣きつかれて意識を手放す幼い少女を腕に、そのあまりにも頼りない重さを感じながら眠りにつくのだった。
この家に来てから三月が経とうとしているし、最近はも随分落ち着いて、さきほどの使用人に対しては他に比べれば幾分か懐いてきた。
それならば、とここらで彼女を少し自分から離してみようかと、そう思って彼女にを任せたのだが。
「やはり駄目だったか」
「申し訳ございません」
「いいや、君が謝ることじゃないよ」
深く頭を垂れる使用人の謝罪をやんわりと否定して。
「」
名を呼べばびくり、と震える小さな身体を着ていた羽織で包み込む。
「さ、行こうか」
そのまま抱き上げて部屋を出ようとする藍染に、は呆然としていたが、急に高くなった視点に慌てて目の前の『庇護者』の首に手をまわす。
そのままぎゅぅ、としがみつく少女に藍染はゆるく微笑む。
「どこに行くの」
か細い声で尋ねるに、微笑んだ黒鳶が優しく伝える。
「お風呂だよ。はもう一度きちんと身体をあたためないといけないからね」
「……やだ」
「どうしてだい?」
「いっしょじゃなきゃやだ……っ、惣右介と、いっしょじゃないとこわい!」
綺麗な翡翠に涙をいっぱいに溜めて、腕の中の少女が必死に自分に縋り付いてくる。
細い腕を、小さすぎる手を懸命に伸ばして。
離れないように、置いていかれないように、独りに、されないように。
一度温もりを知ってしまえば、人は簡単にそれを手放すことなどできはしない。
一度誰かと触れ合うことを覚えてしまえば、人は常に相対する存在を求め続ける。
判っていて、知っていて、こうなるように仕向けたのだろうか。
はて、と藍染は泣き出したの背をゆっくりと撫でながら自分自身に問いかける。
けれど、離れ難いのは、本当は。
「大丈夫だよ、」
翡翠の淵に溜まる滴を指で拭って。
目の高さまで持ち上げた少女の顔を覗き込む。
「一緒に居るよ。ずっと、傍に居るから」
怖くない、平気だよ、と言い聞かせて。
泡のついたままの彼女を風呂場へ。
「ああ、そうだ。着替えを頼むよ。あと、机の上のものは片付けておいてくれるかな」
自分の分の寝間着と、が飛びついたときに散った泡の所為で墨の滲んだ書き物の後始末を控えていた使用人に告げれば、かしこまりました、と返る。
その声を後にして、藍染はゆっくりと風呂場へと歩き出した。
「いいかい、ちゃんと十数えて。もう夜はだいぶ冷えるようになったからね。そう、肩までつかるんだよ」
広い風呂場に木魂する声に、は大人しく従って肩まで湯に浸かり、一からゆっくり数え上げる。
自分の指を折りながら真剣になっている少女を見ながらふと思う。
本当は、離れていられないのは僕の方かもしれないな。
庭に植えられた木々は少しずつ木の葉の色を染めてきていた。
見ようによっちゃ藍染隊長は犯罪一歩手前(既に手遅れ?)
次はきっと寝る前のお話読み聞かせです。
藍染隊長に読んで欲しい絵本を大募集!(笑)
完成日
2005/09/17