首をかしげてきょとんと言った幼子の言葉に。
市丸は固まり、藍染は笑いを堪えきれずに噴出した。
狐と狸の化かしあい
その日は仕方なく連れてきたに過ぎない。
いつも彼女の面倒を任せている使用人が、姉の出産だとかで里下がりをしていたから。
は彼女以外には懐いていないし、家に一人で放っておくと何をしでかすか分からない。
だから、仕方なく。
しょうがなく連れてきたのだ、と藍染は自分に何度も言い聞かせている。
本音を言えば離れがたかったのは自分の方で。
朝目が覚めたときに寝惚けて自分の着物の襟を掴んできた彼女にくらり、ときたからだとは絶対に認めない。
「ひゃあ、ほんまやってんなぁ。藍染隊長に隠し子っていう噂」
昼もだいぶ過ぎた頃、飄々とした態度で隊首室に入ってきたのは市丸ギン。
書類に滑らせていた筆を止めて、壁にかけられた時計を無言で見上げれば銀色の彼にはその意図が伝わったようで。
「すんまへんなぁ。遅れてしもて。そやけど言い訳させてもらうと昨日隊長がボクに出した任務、アレ一朝一夕のものやなかってんで」
口では謝りながらもしかし態度は悪びれもせず、了承も得ずにすすす、と隊首室に上がりこんだかと思えば、部屋の隅で大人しくさせていたの元へまっすぐに向かう。
今日の彼女の出で立ちは、鮮やかな紅色の地に、黒で桔梗の星型を染め抜いた着物姿。
帯は金。
やわらかな栗色の髪はそのまま背に下ろされて、その下の幼い貌が目の前に出来た影の正体を見上げる。
湖の淵を思わせる翡翠の双眸が、何の怯えも見せずにただ自分に注がれるのを市丸は笑みを濃くして受け止めた。
「市丸」
この部下のこの性格はとうに熟知している。
だからこそ呆れた空気を滲ませて藍染は短く彼の名を呼ぶが、市丸は構わずに長い指を積み木遊びに興じていた彼女の顎下へ差し入れる。
「藍染隊長もほんまに憎らしい御方やわ。こないな可愛え子ぉ家におるから早よ帰りたかってんなぁ。
でもな、その為に大虚の密集地にボクを一人で行かせるちゅうのは酷いんとちゃいます?」
なぁ、そう思わへん?ときょとんと見上げてくる翡翠の瞳の持ち主に同意を求めてみるが。
彼女は首を傾げて。
「こんこん?」
桃色の指先を逆に市丸の顔へ寄せて、彼女は立ち上がると一心に市丸の頭上を見ようとする。
しかしいくら市丸が屈んでいたとしても、ひょろりと長細い彼は意外と長身で、がどれだけ背伸びをしても今はその頂点を見ることなど叶うはずもない。
ぴょんぴょんとその場で飛び跳ねる養い子を不思議に思った藍染が、筆を置いてこちらへやって来た。
「どうしたんだい、何をしているの」
足袋のままでは板敷きのこの場所でいつ滑って転ぶか知れない。
そうならないようにと後ろからその身体をひょいと持ち上げて、膝の上に座らせて訊けば彼女は大真面目に、
「葉っぱ」
と一言。
「葉っぱ?」
不可思議なその答えに藍染も首を傾げると、腕の中のは自分を抱える人物の膝に登って市丸の頭を見ようとした。
市丸が苦笑しながら少し屈んでやると、小さな手が髪をかき混ぜる感触がする。
「なんやの、ボクの頭に葉ぁでもついとるん?」
「んー???」
くしゃくしゃと、癖の無い銀色の髪を混ぜる。
「あのね、葉っぱでどろん、なの」
小さい手に市丸の細い銀色の髪が絡まる。
藍染はそれを判ってての身体をぐい、と引き寄せる。
案の定、ぷちぷちと髪が何本か切れて、市丸が「痛いっ」と短く悲鳴を上げた。
「葉っぱでどろん?」
鸚鵡返しに幼子へ問いかければ、彼女は大好きな藍染に物を教えられるのが余程嬉しかったらしく、大きな翡翠の瞳をきらきらさせながら一所懸命に話し出した。
「あのね、がね、こんこんは葉っぱでどろんって」
「……?藍染隊長、できれば解説をお願いしたいんやけど」
傍で聞いていた市丸が細面を困り顔に変じて上官に助けを求める。
藍染はの言った言葉を吟味するように、顎の下に手を添えてしばらく考え込む。
やがて思い当たったのか、ああ、と一人頷く。
「なるほど。それで“こんこん”で“葉っぱ”で“どろん”な訳か」
眼鏡の奥の黒鳶が面白そうに細められ、市丸の顔を見てそれは更にあからさまな笑みとなる。
五番隊副隊長は面白くない。
幼子の言った事の意味を解すこともできないし、何やら得心のいった上司は自分の顔を見て笑い出す始末。
これではいい気分になどなれるはずもない。
「なんやの一体。勝手に笑わんといて、気分悪いやないの。ほんまに好かん蛸なお人やわ」
一人おいてけぼりな市丸は流石にむっとする。
「たこ?」
市丸の独特な言い回しが気になったのか、首を傾げるがきょとん、と続けた一言に。
「きつねさん、たこにもなれるの?」
市丸は固まり、藍染はついに笑いの衝動を抑えきれずに噴出した。
「というのはうちで使っている使用人の一人でね、まだ若いががよく懐いているから彼女にの面倒を任せているんだよ。僕は昼間はあまり家にいられないからね」
ひとしきり笑い終えて、目尻に浮かぶ涙をぬぐっってから藍染は呼吸を整えようやく説明しだした。
は相変わらず藍染の膝の上で、隊長格が纏う白い羽織に興味を示したのか袖を持ち上げたり襟を引っ張ったり、ちっともじっとしていない。
そんな彼女をこら、と全く諌める気がないのが丸分かりな調子で一応咎めると、栗色の髪をゆっくりと撫でてやる。
気持ち良さ気にされるがままになっている彼女と上司を斜から胡坐に頬杖ついて、面白くなさそうに眺める市丸にさらに続ける。
「最近は絵本に夢中だそうだから、昔話でも聞かせてもらって、その中に狐が人を化かす話でもあったんだろう」
「へぇー……」
明らかに不満だ、という市丸の相槌を物ともせず、藍染は膝の上のを抱えなおす。
「頭のいい子だからね。物を覚えるのが早くて教えるこちらとしても嬉しい限りだよ」
「へぇー……………」
一体何を教え込んでいるのやら、と市丸は心の内で上司に対して暴言を吐く。
腹の内を少しでも垣間見たと自負できるので、藍染の趣味趣向について多少は知っている。
まさか幼女趣味があったとは思わなかったが目の前の子供は随分と綺麗な容姿をしており、十年と少し経てば目を惹く美少女に仕上がるだろう。
とんだ狸がいたものだ。
恐らくそこまで視野に入れてを育てているのだろう。
「怖いお人」
呟けば二つの翡翠が自分を見上げていた。
あどけないその顔につられるように相好を少し崩し、市丸はひょい、とを自分の膝に抱き上げた。
「あんなーちゃん。人を化かすんは狐さんだけやないんやで」
「そうなの?」
「そや。狐さんとおんなじくらい悪いことしはるんが他にもいてるんやで」
ちらり、と赤い目の狐は黒鳶の狸を横目に。
狸はゆったりと微笑んでいる。
目はちっとも笑ってなんかいなかったが。
「狐さんだけやのうて、狸さんにも気ぃつけなあかんよ?」
「はは、何を言うんだ市丸?」
「事実を教えてあげてるだけやないですか。狐だけやないでー狸も人騙すんは大得意やでーって」
「その言葉に含みがあるように聞こえるんだが」
「厭やわ。考えすぎとちゃいます?被害妄想入ってきてはるわ年喰うてる証拠やなぁ」
「そうだろうか、深く考えるのは僕の得意とするところなんだが」
を挟んで言い合う二人の腹の探りあいはその後夕方まで延々続いたという。
好かん蛸=いやな人
なんていうか、こういう環境に育つ主人公の将来が非常に心配です。
京都弁で「〜はる」は敬語です。
ちょっとしたこだわり(笑)
完成日
2005/10/18