想紫苑 「あ、ちゃんだっ」 十一番隊隊長、更木剣八の背にいつものようにぶら下がっていた草鹿やちるは、廊下の奥に十三番隊八席、の姿を見るなり、剣八の肩を踏み台にしてぴょーんと飛んでいってしまった。 「ちゃ〜ん!!」 小さくて軽い身体は勢いづいたまま件の人物の横腹に半ば頭突きの形で抱きついた。 「ぬぉぐふぅ!?」 完璧に不意打ちを食らう事となったは横腹に衝撃をもろに浴び、不覚にもその場にしゃがみ込む。 吹き飛ぶ事を堪えただけでも偉い、と評されるような十一番隊副隊長の襲撃だ。感心する。 しかしそんな彼の様子もやちるには構う事ではないらしい。の死覇装の袖をくいくいと引っ張って「遊んでー」 と上目遣いに見上げる様子は確かに可愛らしい事この上ない。 「や、やちる……わんぱくなおまえも可愛いけど、お願いだから今度からはもう少しソフトに愛を伝えてくれ。じゃないとくん腹がいくつあっても足りない……」 「ふ〜ん?」 「ああ!もうそんな可愛い顔しないでよ!お兄さん困っちゃうでしょ!!」 納得のいかない、といった顔をしているやちるには悶絶。不必要に身体をくねくねさせながら 、床をばしばし叩いている。そんな彼はいくら容姿が整っていると謂えども不審な事この上ない。 やちるの後からゆっくり歩いてやって来た剣八はを見て呆れたように息を吐き出した。 「腹なんていくつもあるもんじゃねぇぞ」 「うるさいなぁ。言葉の綾よ、剣ちゃんの癖に揚げ足取らないで頂戴よ」 「気持ち悪ぃ喋り方すんな」 「酷っ」 やちるを抱えたまま剣八の珍しくまともな意見にぶぅと口を尖らせる。あまりに年不相応なその反応に、 剣八は再度ため息を吐かざるを得ない。 「ちゃん遊ぼうよー」 「あーごめんなー。俺これから山本の爺さんに呼ばれてんだわー」 「えー」 やちるの言葉にが心底困った顔で謝ると、予想通りむくれた顔が桔梗色の瞳を見上げた。 「何だ、あのジジイまたおまえに何かさせる気か」 「剣ちゃん、仮にも総隊長なんだからジジイって言い方よくないよ」 「へん。おまえと似たようなもんじゃねーか」 「ちゃん遊んでくれないの?」 大好きなが自分に構ってくれない。やちるは俯いてしょぼんと肩を落とす。 「ごめん、な。今日は多分無理だわ」 その頭に手を乗せて、宥めるように撫でた手に。 「もういいもん!ちゃんのばかーっ!」 噛み付いてやちるは廊下の向こうに走っていってしまった。 「ぎゃー手に歯形!?やちるに噛まれた!やちるが反抗期だどうしよう剣ちゃん嫌われちゃったようっ!!」 思い切り噛み付かれた手には歯形にうっすら血が滲んでいて、 自身は手の痛さよりもやちるの機嫌をそこねたことが余程ショックだったらしく、 右往左往しながらどうしようどうしようと慌てふためく。目の前を大の大人にそんな風にうろうろされると鬱陶しいものである。 剣八は三度目のため息を飲み込んで、の襟首を掴んだ。 「心配すんな。やちるならすぐにけろっと戻ってくるだろうよ」 彼の言葉には動くのをぴたりと止める。自分の言葉にすぐに反応したが意外で ―いつもはだらだらと嘆き続けるのだが―剣八が見下ろすと、は懐かしいものでも見るようにやちるが走り去った方向を見ていた。 「そっか。うん。そうだよなぁ」 一人で何か納得した様子でいる彼に、剣八は違和感を感じざるを得ない。おい、 と声をかければ同時に自分を見上げたの桔梗色の瞳に捉えられる。 「大事にしろよ」 「あァ?」 強く言われた言葉に怪訝そうに視線を寄越す剣八を、見つめたままは続ける。 「こどもはすぐにでっかくなるからな。こっちが構ってもらえる時間なんてこれぽっちもねえんだよ」 瞼裏に思い描くのはかつての自分の姿か。それともほんの一時、共に過ごした家族の面影か。 剣八の羽織りの襟を軽く引っ張ってにぃ、と笑ってやれば、強面として知られる隊長の顔がより一層しかめられる。 「それはおまえの経験か?」 ようやく返された言葉に「そうだよ」と短く答えて、はあっさり白い羽織を放すとその場で反転した。 足を一番隊の隊舎の方へ向けながら、追いかけてこない剣八に振り向かずに言葉を足す。 「精々今のうちにやちるにかまってもらうことだな」 何を、と剣八が言い返す間もなく、はその場を瞬歩で去った。風がくるりとその場に彼が居た余韻を残す。 言葉の意味など考えるまでもなく明白。は悔いているのだろうか。手放した己の過去を。 言えない、言いたくない過去があるのは自分とて同じだ。剣八とてが昔何をしていたのかなど知らないし、 これからも知ろうとも思わない。ただ、分かるのだ。自分と同じにおいのする者は。自分と同じ、 人の血を浴びて生きてきた者のにおいは。 「言われなくても分かってんだよ」 面倒くさそうにそう呟いて、彼は手のかかるこどもを捜しに行ったのだった。 完成日 2005/12/29 |