緋く散った華 「おいで、。綺麗な花を見せてあげよう」 優しい声音で手招いて、藍染は幼い子供を抱き上げる。腕の中のあたたかな体温は、これから起こることを何一つ知らないでいる。ただひたすらに、純真無垢に寄せられる信頼と言う名の絆を彼は手放さない。 彼の元で健気に尽くした可憐な野の花を散らす事は厭わないというのに、だ。 市丸の背を追いかけて、雛森がやってきたのは清浄塔居林。四十六室の為の居住区域だった。困惑を隠しきれずに市丸に問いかける彼女に「逢わせたい人がいる」と伝えると、おや、と近付く気配に目を軽く見開く。軽い足音と共に現れたのは栗色の髪と翡翠の眸を持つ少女で。その姿を認めて雛森は軽く息を呑む。敬愛する己の隊長の掌中の珠と謳われた美しい少女。事実彼女を可愛がる藍染には加減と言うものがないらしく、見かねた隊員に諫言されることもしばしばあったほどだ。 その少女は確か養い親である藍染が亡くなってから、ふつりと存在を絶っていた筈だ。もっとも、雛森自身は牢に入れられていたから詳しい事は知らない。ただ、食事を運びに来る下級の隊員や、様子を見に来てくれた乱菊などの口から伝え聞いたに過ぎない。本来なら自分が隊長の跡を継いで彼女を真っ先に保護しなければならなかったのだ。 「ちゃん…?今までどこに……」 白一色の振袖に身を包んだ少女が表情乏しくこちらを見ているのに、雛森はいよいよもって困惑を極めた。ふらふらと少女の元へ歩み寄り、その頬に触れる。冷たい指先に子供の体温は熱い。その時になって雛森は自分の手が緊張で酷く冷たくなっていた事に気付いた。 「桃、は惣右介のことすき?」 頬に手を添えられたまま、まっすぐに見上げてくる翡翠の瞳に吸い込まれそうになる。との再会であまりにも驚きすぎて、雛森は言われた言葉をすぐに理解できなかった。飲み込むにはあまりにも痛い。訊かれるだけで涙が滲むほど辛い。それでも雛森はしっかりと頷いた。ふと、少女の視線が誰かを捉えている事に気付く。市丸はの後方に立っている。では、誰を。を抱きしめたまま振り返った雛森は今度こそ驚愕に言葉を失った。 雛森と藍染の再会の様子をは市丸と並んで見ていた。雛森に藍染が刀を、寸分のためらいもなく突き刺した瞬間も余すところ無く見ていた。距離が近かった所為か、の純白の振袖には血飛沫が飛び、裾に緋色の染みを作った。無感動に己の部下を見下ろしていた藍染だったが、やがて刀をしまうと雛森の血を踏んでこちらへやって来た。 「いい子にしていたかい、」 やわらかな栗色の髪を撫でて言う彼の声音はいつも通りに優しい。 「ほんの一刻ほど離れとっただけやないですの。藍染隊長はほんまに心配性なんやから」 「なに。本当ならずっと連れていたいのだけれど、はまだ小さいからね。仕方なくおまえに預けているに過ぎないんだよ」 少女を抱き上げて、藍染はやわらかく微笑む。 「桃、死んじゃうの?」 の翡翠の瞳は藍染を捉えることなく、絶望を宿したまま床に伏せる雛森に注がれている。 「ああ、そうだね。このままだと死ぬかもしれないね」 藍染はいつものように、の問いに優しく答える。一心に信頼を寄せ、ひたむきに自分に尽くしてきた部下なのに。その言葉はどこまでも無感動で、冷ややかだ。市丸はそんな彼の様子に「ひゃあ、こわいこわい」と小さく呟く。 「?どうしたんだい、下ばかり向いていないで僕に顔を見せておくれ」 いつまで経っても床に転がる雛森から視線を外さない彼女に藍染が言うが、はその腕の中で小さくもがいて下に降りようとする。その意を汲んだ藍染に床に降ろされると、雛森の傍に歩み寄り、拡がる血溜まりに膝をつく。 「汚れてしまうよ」 背後からの藍染の言葉に耳も貸さず、白い小さな手を流れる血の中に置く。あたたかな血潮に驚いて、自分の手をまじまじと見つめる彼女に藍染はおや、と軽く目を見開いた。 「死ぬって、あったかいコト?」 どうやら目の前の少女には人の死が理解できなかったらしい。今まさに死に逝こうとしている雛森に直に触れることで分かろうとしたのだろう。それでも翡翠の瞳をきょとん、とさせて上目遣いに問うてくる。何事も実体験から学べ、というのが藍染の教育方針だったが、まさか彼女がこんな所で実践に移すとは思わなかった。 「藍染隊長、すこぉしちゃんの教育方法変えたほうがええんと違います?このままいくとちゃん、いつか自分で何もかも体験しようとするんとちゃいますか」 「ふむ。そうだね。着物の替えはいくらでもあるけれど、は一人しかいないしね」 「惣右介?」と首を傾げて自分の返答を待つ少女。斬って捨てた自分の副官よりも尚、無垢でまっさらな信頼を全身全霊で寄せてくる。そんな彼女が誰よりも愛しくて。眼鏡の奥の黒鳶で、その信頼に応えるべく嘘偽りのない笑みを浮かべる。 「今はあったこうても段々冷たぁなってくるで」 「どうして?」 「身体が動かなくなってしまうからや」 「、死ぬということはね、全ての終わりなんだよ」 「終わりって?」 次々と向けられる問いに思わず市丸と二人、顔を見合わせてしまう。幼い彼女にどうしたら人の“死”というものを的確に伝える事が出来るのだろうか。考えあぐねて大の大人が二人して腕を組み頭を悩ませていると、見知った霊圧が近付いてきて、ぴくり、とは顔を上げた。 「とーしろーだ」 「おや。随分早いな」 「イヅルがヘマしよったんでしょ。すんませんなぁ」 近付く霊圧に片眉をあげて藍染が言えば、市丸はちっとも悪びれていない様子で形だけの謝罪を口にする。 「まあいいさ。予定が狂うのはいつものことだ。想定内のことだからね、修正はいくらでもきくよ」 血溜まりに座ったままの少女を見ながら、ふと双眸を緩める。 「おいで、」 手招けば、素直に立ち上がり寄ってくる。白い振袖に飛び散った副官だった少女の血がまるで。 「ああ、綺麗な花模様ができたね」 さして感慨も込めずにそう言って、藍染は養い子を抱き上げる。血に染まった彼女の手を懐から取り出した手拭いで丁寧に拭ってやり、怒気を孕んで近付く十番隊の小さな隊長に嗤う。 「さあ、行こうか」 何処に、とも告げずに歩き出す。しかし腕の中の少女は頷くだけ。首筋に添えられたやわらかな手の感触に目を細め、扉の向こうへ歩き出す。そんな彼に影のように市丸も付き従い、しかし僅かな瞬間ながらも床に転がる雛森へ向けた視線は哀れみを含んでいて。 薄暗い室内を抜ければすぐに、足音高く日番谷が現れた。彼は藍染を見るとまず驚き、そしてその腕の中のに次いで目を見開き、最後にはその後ろに居た市丸に隠しきれない疑念を爆発させた。乾いた口から出る言葉は、舌に絡まりうまく音にならない。 「…市丸……と……」 日番谷のそんな表情を藍染は常通りの穏やかな顔でもって迎える。 「や、日番谷くん」 これから起こる事、その真実に何一つ気付けていない愚かな若い魂を。藍染は嘲り、あるいは憐れんで。自然と口の端に浮かぶ笑みにが不思議そうに首を傾げていたのを、二人の後ろで見ていた市丸はこっそりと呟く。 「ほんまに恐いひと」 完成日 2006/01/29 |