花が咲いたら



「聞いてよ空鶴ちゃん」
冬も終わりに近い頃。突然現れた客人はへらへらと笑いながら勝手に座敷に上がりこんできた。細くてさらさらでまっすぐな黒い髪と、どこまでも澄み切った桔梗色の双眸。言うまでもない。は尸魂界では有名の美丈夫だ。ただし見かけだけは。
「この間また砕蜂にシカトされちゃったー」
へらへら笑いながら客人は、手下の者が運んできたお茶を啜り茶菓子を貪り、「ゆっくりしてってくださいねさん」というむさ苦しい男の言葉にへらへら笑って「あーりがとー」と手を振る始末。そんな彼を真正面から眺めていた志波家の長女は行儀悪く足を組み替えため息をつく。
「おまえがそんなだから仕方ないんじゃねーのか」
へらへらへらへら笑ってっからムカつかれんだよ、と付け足せば。桔梗色の瞳がきょとん、とこちらを見る。年に似合わず物凄く幼い表情を見せるものだから。本当にこれで兄、海燕よりも年上なのだろうかと疑ってしまう。の目の前で、大仰にため息をついてやる。もちろん、見せ付ける為に、だ。しかしそんなことに彼はお構いなしで。
「でもなぁ」
と、菓子の粉のついた指先をぺろり、と舐めては開け放された座敷の向こう、庭へと目線を向ける。春の気配が日ごとに感じられるようになってきたこの頃、昼間などは戸も窓も開けてしまった方が気持ちいい。遠くでかすかに聞こえる鳥の囀り。もうすぐ人の住む場所まで降りてきて春を謳うようになるだろう。そんな春めいた陽気の空気に包まれて。
「浦原と、夜一の野郎のことでか?」
考え込むように首を傾げるに先回りしてそう言えば、あっさりと頷いた。
「なんで止めなかったのか、って言われちゃった。それ言われるとなんかもう黙るしかないってかんじ?」
「言えば巻き込むからか?」
多少なりとも事情を掻い摘んで聞いている空鶴は、眉根を寄せてを見遣る。浦原喜助の追放、それと共に姿を消した四楓院夜一。その二人共と交流のあった彼女は、その流れでと知り合ったのだ。最も、知り合った直後に自分の兄の部下だったと聞かされて、海燕が普段から人一倍気にかけている人物なのだと気付いた。面倒見のいい兄は、誰の心配もよくするのだが、『』に対してだけはその態度が違っていた。
「心配なんだよなーあいつーなんか何でも一人で背負っちまってさーひとりで大丈夫だからってへらへらへらへらへらへらへらへら笑ってやがるしーしかも性質悪ぃことに大概一人で何とかしちまうしー」
以前、珍しく酒に酔った海燕がだらだらと締まりの無い口調で言っていた。誰に対しても無遠慮で大雑把な性格の彼にしてみれば、躊躇する事自体が異質で。どうしてよいのか分からない、と言った感じでぐるぐる思考は廻り続ける。そんな兄の相手をしながら空鶴はへの興味を募らせる。ここ最近、海燕の口から出るのは妻の都のことではなく、『』のことばかり。まだ新婚だっていうのに失礼な兄貴だ、と義姉の前で詫びるように言えば、彼女は涼やかに微笑んだ。
「仕方ないわ。くんは十三番隊のアイドルだもの」
だからみんなが心配するし、みんなが彼の倖せを願っているのよ。
海燕だけではなく、都にまでここまで言わせるという人物。一体どれほどすごい者なのかと心密かに期待していたのだが。
「実際こんなだしなぁ、世の中詐欺だろ」
呟く空鶴の向かいでは「嫌われるのやだなーでも全部言えないしなーだからって無視されるのは辛ーいー」とかなんとかぶつぶつ言いながら膝を抱えてあーとかうーとか唸っている。造形だけは綺麗だから、耳を塞いで彼の言う事を遮断してしまえば、眼福という目の保養になる。志波家に集まる人間はどうも繊細と云う概念から外れているような者が多いので、これは結構なことだ。障子戸の向こうで年頃の使用人が何人か、固まってこっそりを見てはひそひそと笑いを零しているのが目の端に入る。
「あーなんかもう、めそめそしてきちゃったどうしよう」
「知るか」
彼の場合、生きてきた年月と言動の成長は必ずしも同じように成長していないらしい。妙に可愛らしく、ともすれば男勝りと兄にも弟にも本気で心配される空鶴自身よりも可愛い仕草で悩んでいるを一言で一蹴してから。ふん、と背けた顔をそろそろと戻して向かいの座を見遣れば。しょぼくれた肩が目に入る。男の癖に、と空鶴は心の内で軽く舌打ちする。萌黄色の着流しからのぞく肌は先日まで空から舞い降りてきていた雪よりもなお白く、躰の線は信じられないほど細い。剣を扱うには細すぎる。だけれども決して頼りないというわけではないらしい。海燕から隊内の演習で、が剣術においてどれだけ秀でているかを聞かされているからだろうか。目の前の男がどれだけ綺麗であっても、決して女だとは見間違えない。貴族の中にはこういう見目麗しい者を男女の区別無く囲う悪趣味な奴もいるらしいが。空鶴にとっては出会った当初から今までに至るまでいついかなるときも『男』である。だからこういう風に女々しい態度を取られるとどうにも腹が立ってしょうがない。だから、という訳でもないが。空鶴は行動に出た。元々口より先に手が出る性分だから当たり前のことだ。考えることを早々に放棄した脳は、運動の為の信号を全身に送る。
「うだうだうるせぇよっ」
立ち上がり、の側頭部に回し蹴りを食らわす。当のは何が起きたのか分からない、といった表情で畳に転がったまま茫然と空鶴を見上げている。その顔を傲然と腕を組んで見下ろす。
「てめぇはここに何しにきやがったんだ!?うだうだ悩むだけなら自分の家でしろっ!こんなにいい天気の日にそんなに湿気ったツラ見せられるこっちの気にもなってみやがれ!」
啖呵を切って、今度こそふんっと顔を背ける。頭に血がのぼっているのか、目の前がやけに赤く見える。何でこんなヤツのために自分がここまで怒らなければならないのだ。何でこんなヤツのために、本気で怒鳴らなければならないんだ。行動の原因が自分でも把握できず、それゆえに苛立ちは加速する。そんな空鶴の耳に届いたのはやわらかな微苦笑の気配で。胡乱気に視線を向けるとは確かに微笑っていた。何が可笑しい、と射るような視線で問えば、目を細めて、やわらかく微笑んだ表情で。
「だってお兄ちゃんと同じようなこと言ってくれちゃうからさ」
「兄貴と?」
聞き返す空鶴に畳に転がったまま頷いて、は首を捻って外を見る。風は冷たいが日差しに当たれば暖かい。木々も草花も、すぐそこまでやって来ている春を敏感に感じ取り、自らの成長を早めているように見える。春は好きだ。全ての生き物に始まりを告げる季節。命の生まれる瞬間に立ち会えるこの季節が好きだ。
「そうだなぁ。お弁当持って、みんなで遠くに出かけるのがいいかもしれないな」
突然の言葉に空鶴は聞き返す。
「花見か?」
「そう。お菓子もたくさん作って、いっぱい食べて、お茶もたくさん飲んで」
酒、と言わないのはが下戸だからだろう。唐突に彼の口から飛び出した花見の計画、その提案に空鶴は訝しげにしかめていた顔をすぐに取りやめた。面倒事は嫌いではないが、楽しい事の方が好きだ。
「そうだ。空鶴ちゃん、花火上げてよ」
「はぁ?おまえ花見の席で打ち上げ花火するつもりかよ」
「いいじゃん。景気づけに一発どかーんと上げちゃってくれてもさ。だってその方が楽しいだろう?」
言って、はにかむように笑う。布を巻いた頭をかきながら空鶴はさて火薬はどれだけ残っていたか、と算段をつけ始めている自分に軽く笑った。春になったら花見。こんな楽しそうな計画を、はたして兄に言えば一体どうなるのか。大騒ぎをすることが大好きなあの兄のことだ。仮令これがのこの場の思いつきであったとしても、強引にでも実現させるだろう。
「みんなが倖せになれるといいな……」
ぽつり、と呟いた声に彼を見下ろす。その顔があまりにも優しくて。ああ、だからか、と胸につかえていたものがすとん、と落ちたように得心がいく。こんなに優しい顔をする男を他に知らない。こんなに誰かの倖せを願えるヒトを知らない。だから、みんなの倖せを願うのだろう。

他人のことばかりにかまけている、この愚かしいほどお人好しの、美しい人の為に。



みんなのしあわせを祈っています。


完成日
2006/03/28