そして彼は微笑むのだ 「あーあ、こりゃまた随分派手にやられたなあ、一角」 一角との戦いがひと段落着いたその時、新たに聞こえた声に一護は緊張で一気に身体を固くする。新手が来たのなら戦わなければならない。けれど今の自分にはもうその力が残っていない。だとすれば取る方法は一つ。この場から一刻も早く逃げる事だ。ルキアのことを聞き出せなかったのは惜しいが、今は構っていられない。瞬時にそこまで考えて、声がした方とは逆の方向に足を踏み出す。いや、踏み出そうとした。 「………なっ」 「おまえがやったのか?」 先ほどまで自分の左手から聞こえていたはずの声。それが右に踏み出そうとした自分の目の前にその声の主がいる。移動の軌跡など見えなかった。それほどまでに速いのだ。この目の前に立つ死神は。 「!てめぇ何しにここまで来やがった!?」 地に寝転がったままの一角が新たにやって来た死神に向かって怒鳴る。、と呼ばれた死神は一角の方を向いてからからと笑い声を上げた。 「何しに、ってこの辺りはウチの隊の管轄なんだけど?一角こそ何やってんだよ。旅禍の坊や相手に負けるなんざ、だらしがねえな」 黒髪。横顔で分かる整った顔立ち。傷一つ見当たらない白い肌。桔梗色の深く澄んだ双眸。先ほど一角の後ろにいた弓親という死神もまあまあ綺麗な造形をしていたが、目の前に立つと云う人物の比ではない。最初から比べることすらおこがましい、孤高の美しさ。一度目は彼の速さに。そうして二度目はその美しさに。一護が絶句して言葉を失っている様を、ゆっくりと振り返ったは目を細めて見遣る。 「あ……っ、くっ」 視線を向けられただけで、心臓を鷲掴みにされたように息苦しくなる。研ぎ澄まされた霊圧は、氷の刃にも似て。このまま対峙し続けたら、命が危ない。頭の中では警告のシグナルが五月蝿いほどに打ち鳴らされるというのに。肝心の身体の方が言う事を聞かない。動け動け、と必死に命令しても凍りついたようにその場に立ち尽くすことしか出来ない。そんな強張った一護の様子に、はふっと表情を緩めた。 「悪い悪い」 「は、え…………?」 いきなり身体を縛り付けていた霊圧がなくなり、自由を取り戻した肺が酸素を勢いよく吸い込む最中、一護は自分の髪をくしゃりとかき混ぜる相手を茫然と見つめる。 「一角を倒した死神もどきがどれほど強いのかなーって興味があって、ちょっと意地悪しちゃった」 先ほどまで前面に出ていた、触れれば切れそうなほどの気配はもう無い。あるのは何も知らずとも、分からずとも。全幅の信頼を寄せてしまいそうな、そういう親しみやすい雰囲気のみだ。 「普通の子ならちょっと失神しちゃうぐらい強めに霊圧出したんだけど、さすが一角を倒しただけはあるな。辛抱強いなぁ、おまえ。見所あるよ、なあ一角……って、一角?おい一角!」 綺麗な顔が台無し、とはいかないがそれなりに勿体無い感じにへらへらと笑って一護の肩をばしばし叩き、は同意を求めて後ろを振り返る。しかし地面に横たわっていた一角は口から泡を吹き、目は虚ろで彼の頭上には彼の縁者らしい老人が半透明の身体をゆらゆらさせながら笑顔で手招きしている。 「ぎゃー一角!この馬鹿!何死にかけてんだっ」 「ど、ど阿呆……てめ、……怪我人の前で霊圧解放すんじゃ……ねえよ…!危うく天国から爺が迎えに……」 どうやら先程のの霊圧に中てられたらしい。 「天国ってここ尸魂界だぞ!?これ以上何処からお迎えが来るってんだよ寝惚けたこと言うなよ一角!つうか死ぬなら俺が貸した金返してからにしやがれ馬鹿ー!!」 息も絶え絶えの十一番隊三席に悪態つきながらも半泣きで治療を施す。置いていかれた感の強い一護はただ見ていることしかできない。 「あ、あのー」 「何!?ちょっと今立て込んでるのよ用事があるなら後にしてちょうだい!つうかおまえも怪我してんだろちょっと待ってなさいすぐに治してあげるから!」 「いや、お構いなく……」 何で急に女言葉?疑問は尽きない。もしかしてこの人、女だったのか?そりゃあ今までに見たことないぐらいに綺麗な人だけど、最初に受けた印象では男だと思ったんだけど、もしかして女?一人称『俺』だけど、そんなの些細なことだしなあ。空鶴さんも自分の事俺って言ってたし。悶々と悩む一護の脇で、は罵声とも悲鳴ともつかない文句を始終口にしながら一角の傷を鬼道で塞いでいく。途中何度か一角が断末魔のような悲鳴を上げていたが、深く自身の思考に沈む一護は気付かなかった。 「ふー、とりあえずこんなもんか。後は烈さんがなんとかしてくれるだろう」 一角の治療が終わったらしいは、くるりと一護に向き直る。ちょいちょい、と手招きされて近付けば、ぐいと腕を引かれ正面に座らされた。 「左目上と右腕か。他はかすり傷だな。一角があんだけ派手に斬られてるのにこんだけか。強いなぁおまえ」 素直に感心されて一護の頬が僅かに赤くなる。接近してみると改めて分かる、の美しさが。人類歴史上最高の天才芸術家が作り上げたどんな彫像よりも、この人のパーツの一つひとつは完璧な美を誇っている。額に伸ばされた指も、伏しがちな瞳を飾る睫毛も見たことがないくらいに整っており、声すらも至上の音楽に聞こえる。 「まあいいや。とりあえず脱げ」 「はぁ!?いや、ちょっと何してんスかっちょっとやめ」 「何恥ずかしがってんだよ。いいから脱げとっとと脱げ今すぐ脱げ。おまえ“ナカ”に何か隠してるだろ」 「何も隠してない!つうか男同士ならまだしもそうでない奴相手に脱ぐとか出来るわけないだろう!?」 「んぁ?」 「………一護、おまえ今何言って……」 に着物の上を剥ぎ取られそうになって叫んだ一言でその場の空気が固まった。仰向けに倒れたままの一角が冷や汗流しながら恐る恐る問いかける。その目は今の発言が何かの間違いであればいいと切に願っていた。一方一護の発言にきょとんとしたままのは、ゆっくりと言葉を噛み砕き、やがて一護が“よくある勘違い”をしていることにようやく気付く。 「あっはっはっは。なんだおまえ俺を女だと思ってんのか?」 一角は最悪の状況を予想していたのだが、は意外にも笑い飛ばしただけだった。機嫌が悪いときには必ず流血沙汰にまで発展する『彼』の容姿に関する勘違い問題だが、今回は杞憂で終わったらしい。もっとも、一角は知らない。自身はそれほど気にしてはいないことを。どちらかというと、彼の昔馴染み―例えば三番隊の隊長だとか―の方がそういった発言及び行動に敏感で、報復の為に暗躍している事を。 「女じゃねーのかっ!?その顔で!?何でだ!?」 「残念だったなー。期待を裏切るようだが俺は正真正銘男だ」 一方目の前の恐ろしく整った顔の持ち主が男であると聞かされた一護は軽くパニック状態だ。よもや男と知らずにうっかりときめきかけた、などとは口が裂けても言えない。なんなら脱いでやろうか、と襟に手をかけたを本気で止めて、一護は深く息をついた。 「そういやまだ名乗ってなかったな。俺は。護廷十三隊、十三番隊八席の」 人の内心の葛藤など気付きもしないで、目の前に座る青年はのほほんと自分の名を名乗った。 「十三番隊……」 「てめえが助け出そうとしてる殛囚と同じ隊だよ」 呟く一護に一角が告げる。はっとして見上げる茶の瞳には、微笑む佳人の姿が映った。 「ルキアちゃんを助けに来たのか?」 静かに問いかける声にきっぱりと頷いて、一護は答える。 「ああ。、……さんはルキアのこと知ってるんだろう?だったら助けたりとかしないのかよ」 「俺は死神だから。掟には逆らえないんだよ」 桔梗色の目を伏せて、はその場に立ち上がる。ふいに響いた電子音に胸元から取り出した掌大の機械を見つめ、「呼び出しだ」と小さく独り言を言った。死覇装の裾についた砂埃を軽く払い、踵を返してその場から立ち去ろうとする。その背に待つように呼びかけた一護だが、振り返った彼の表情があまりにも優しいから却って何も言えなくなってしまい、中途半端に開いた唇を噛みしめる。 「ありがとうな。おまえみたいな奴がいるなら、まだ救われる」 それがどれだけ深い意味を持つのか、以外知らない。再び歩きかけた足を今度は自ら止め、彼は首だけ振り返り、肩越しに明るい太陽みたいな色に染まった若い少年を見た。 「おまえ、名前は?」 「一護……黒崎一護だ」 「苺?なんかフルーティーな名前だな。兄弟がいたら蜜柑とかかぼすとかか?」 「あてる字が違ぇよっ!そんで確かに妹二人はゆずと夏梨だけどよ!」 真面目な顔して聞き返してくるに先程までの昏く、哀しい空気はにおわない。律儀につっこむ一護にからからと笑って真名を問うてくる。 「数字の一に護る、で一護だ」 「一護……」 たった一つ、何かをまもれるように。願いの込められた名を、誇らしく告げる人の子に眩しそうに目を細めは緩めた口元で微笑んだ。 「いい名前だな」 「……あ、ああ」 名前を誉められて、照れた。同じような言葉をついさっき、一角に向けられたばかりだったのだが、に言われるとまるで受ける感情が違う。 「当たり前だ。名前に一のつく奴は才能溢れる男前だからな」 「死にぞこないはそのまま寝てろ一角。四番隊に連絡ついたら迎え寄越すから」 血みどろのままで胸を張る一角に呆れたように一瞥をくれると、今度こそはその場を去った。 「なんか、変わった人だな」 その背を見送る一護がぽつりと漏らすと、一角が口の端を上げて笑った。 「だが惚れただろ?」 「惚れ……!っておまえなあ。いや、まあある意味そうなんだろうけど」 変な言い回しに疲れた顔で返して一護は先程見送った凛とした背中が消えた方向を見つめる。本当なら彼は自分達の目的を邪魔するはずの死神だ。だけれども何故だか、どうしてももう一度会って話がしたい、と。そう思って一護は彼に癒してもらった瞼の上の傷跡を指でなぞった。 現世組との出会い編。 まずは一護。 完成日 2006/09/22 |