チョコレート・ホリック前哨戦




二月も最初の週を過ぎた頃、十一番隊の武闘場に続々と集まる護廷十三隊上位席官に属する女性死神の姿があった。彼女らは皆唇を引き締め、ぴんと背筋を伸ばして袴の裾を清楚に捌いてまっすぐに歩いてゆく。定刻よりも五分ばかり早くに予定の人数は集まり、そうして幕を開けたのは女性死神協会の臨時集会だ。
「さて!みなさん!」
上座に座るのは会長である草鹿やちる。彼女はいつになく真剣な目をして集まった会員を見渡す。
「……副会長、はやく今日の議題を!」
「挨拶はやっぱりなしなんですね!?」
数秒の沈黙の後に発せられたやちるの次の句に副会長の伊勢七緒ががっくりと肩を落す。だが今日はそんなことをしている場合ではない。時は有限で、今日の議題は迅速さを競う。
「今日の議題は皆さんもご存知の通り、来週半ばにあるXデーについてです」
Xデー、そう書かれた黒板を睨む女性死神達の目が途端に鋭くなる。
「過去数十年の記録から予想すると、今年はこれまで以上に過酷な状況が予測されます。まずは十三番隊から報告を」
指名を受けて立ち上がった虎徹清音は手元の資料を覗き込む。
「えーと、今年は年末に行われた護廷十三隊合同忘年会の参加率が異常なほどに増大したんですけど、原因は皆さんもご存知の通りで、我が十三番隊の高嶺の花、八席が出席を了承したからです。その為に参加者を絞る抽選会をやったはいいけどその所為で忘年会に出られない人が多数出てしまって、その穴埋めに年が明けてからさんが新年会に参加する事四十八回、これは異常な数値です。おかげで今月の十三番隊の書類仕事は例年の半分もはかどってません」
「新年会参加がどうしてXデーに関わってくるのだ」
「よーく考えなさいよ。ようするにあちこちで愛想振りまいて、さらにファンを増やしちゃったってことでしょ」
納得がいかずに眉根を寄せる二番隊の隊長に乱菊が髪の毛の先をいじりながら気のない調子で付け足した。ふぅ、と息をついて進行役を見遣る。
「で?どうすんの?」
「何よりも優先すべきはさんの安全です」
手にした紙の束をめくりながら七緒が言う。
「この機に乗じて不埒な考えを起こす者が毎年後を絶ちません。現世の祭を尺魂界にも取り入れて経済の活性化を図ろうとした狙いは有意義であると認めますが、この状況ではこの試みは失敗であるとしか言いようがありません」
「よ、四番隊にも毎年たくさんの人が運ばれてきます……この時期はどうしてか闇討ちが多くって」
弱々しく発言する勇音の隣で妹である清音が憤然と息を吐く。
「とにかくさんがその日を何事もなく過ごせるようにするのが第一なんです!」
闇討ちの正体が実はに懸想する不埒な輩(主にむさ苦しい猛者)を退けるために出動した女性死神協会の会員であるというのは暗黙の了解である。本来ならば私闘に当たるそれは厳重に罰せられるべきものなのだが、ことに関わることとなれば話は別だ。手当てを受け持つ四番隊の隊長は、ぼっこぼこにされてやって来た位階の低い死神がいくら暗闇で誰かに殴られたと訴えても「転んだのですね?夜道は暗いですからお気をつけくださいね」と絶対零度の微笑で黙らせてしまう。背後に強大な権力を持つということはこういう事だ。怪我を負った死神自身も後ろ暗い事実を抱えているためにそれ以上強く出られず、泣き寝入りする他ない。
はどうしているのだ。奴本人が気をつけていれば所詮は下賎な輩が相手、何とかなるはずだろう」
「砕蜂隊長はさんが嫌いなんですか!?」
腕組みして面倒そうに呟いた二番隊隊長に清音が食ってかかる。
「そ、そうは言っていない!」
ちゃんは優しいもーん」
「変な所で情け深いのよねぇ」
やちるが無邪気に言い、乱菊もわざとらしくため息をついてみせる。
「とにかく!我々女性死神協会はXデー当日までさんの身辺警護を極秘に行うことを最優先任務とします。当日は万が一の武力行使に備え、斬魄刀の帯刀が特別に許可されました」
騒然となり始めた場を治めるように七緒が声を張り上げる。
「よく許可が下りたな。有事の時以外は認められないはずだが」
斬魄刀の帯刀について砕蜂が素直に驚きの声を露にする。
「理事長が総隊長と穏便に四時間半話し合った結果、快く承諾してくださったそうです」
七緒が眼鏡を押し上げながら言う言葉にその場がしばし沈黙に包まれる。一体あの理事長、卯ノ花隊長はどうやって山本総隊長から許可をもぎ取ったのだろうか。“穏便に”などという言葉が出たが、四時間半も話を続けているという時点で話が拗れているのが容易に想像できる。恐らく埒が明かなくなった折に卯ノ花隊長が何かやったんだろうなー、とその場のほとんどの人物が半眼になりつつ思い浮かべるが、具体的に何があったかまでは想像しないことにした。精神衛生上よろしくない気が激しくしたからだ。
「それと、増加の一途を辿る不埒な考えを持つ愚かしい者共の討伐には三番隊が協力要請に快諾を示してくださっていますし、後は今まで通り、さんに日常をつつがなく送っていただくだけです」
報告の締めとして七緒がそう告げると、途端に乱菊が渋い顔をした。
「ギンの奴、嬉々としてやりそうね」
銀髪の幼馴染の最優先事項として常にトップを占めるに関わることである。恐らく手加減なしで挑むに違いない。向かいの席ではその後の惨事の後始末をしなければならない立場にいる勇音が蒼白になって倒れそうになっている。
「最後に、皆さんよくお分かりでしょうが、あくまでも阻止するべきは常識を逸した者だけです。その他に関しては一切関知しないということで」
「あたし達がさんに個人的に贈り物をするのはOKってことね!」
清音が横にいる姉の肩をどんっと大げさに叩き、勇音は真っ赤になって俯いてしまう。砕蜂は渋面になり「夜一様が一番だがしかし…」と唸りだす。乱菊はの元に毎年届くであろう高級な酒を味わう事を今から楽しみにしているし、やちるはに大きなチョコレートケーキを作ってもらう約束をしているから満面の笑みを崩さない。それぞれが様々な思惑を抱えて、尺魂界はその日を迎える事となる。

一方は自分に関する一連の騒動など全く知らずに浮竹の家の厨に篭って甘い香りを纏っていた。仕事が一段落ついた浮竹が茶を頼もうと台所に顔を出すと、鼻腔をくすぐる香ばしい菓子のにおいが腹の虫を鳴かせた。
「毎年毎年豪勢なことだな」
仕上げを待つだけのチョコレートケーキが山と積まれた光景を眺めながら感嘆したように漏らすと、彼の忠実な部下は振り返って笑った。
「隊長にもあげますからね。楽しみに待っててくださいよ」
「ああ。ところで茶を一杯くれないか?」
「はいはーい、少しお待ちを」
今日も今日とて、浮竹の屋敷に思い余って突撃を試みる不逞の輩が人知れず排除されていることなど露知らず、十三番隊主従は暢気に春近い平和を謳歌していたのだった。


完成日
2007/02/13