「お、珍しい奴がおるな」
五番隊の隊舎、その窓から外を眺めていた平子がそう呟いたので、隣に立っていた藍染の視線も自然とそちらへ向くこととなる。そこには一人の死神がいた。
「あれは……見かけない方ですが、隊長のお知り合いですか?」
藍染は人の顔を覚えるのは得意な方だが、遠目で見ていることを差し引いても彼の記憶にはその姿と一致する者がいない。傍らの上官に訊ねると、平子は「そうや」と短く頷いた。
「おーい、ー」
手を振って、その人物の名を平子が呼ぶと、気付いた死神が振り返り、そして微笑んだ。というらしいその人物は、平子の招きに応じて隊舎に上がって来る。烏の濡れ羽色をした黒髪は襟足が長く、金色の組紐で結ばれている。長めの前髪の下の瞳は桔梗色。白磁の肌に、整った目鼻立ち。不躾なほど凝視してしまっていた藍染に気付いたが視線を寄越してちらりと笑った。
「コラァ、惣右介。そないにじろじろ見んなや。が汚れてまうやろ」
「あはは、真子の視線の方がよっぽどエロイっつうの」
「当たり前やん。みたいな別嬪には滅多に会われへんからとことん視姦しとかなあかんねん」
「金取るぞ」
「ええで払うたるわ」
自分の隊の隊長である平子と軽口を言い合うような死神が、藍染の記憶に無いはずはない。必死に記憶を辿ろうとすると、そんな彼を余所にが口を開く。
「でも久しぶりだなー。みんな元気してる?」
「おー、馬鹿はいつでも元気やで。つうか、おまえ何しに来てん。年中引き篭もりの根暗が外に出るやなんて明日は瀞霊廷にメノスが落ちて来よるで」
「酷い言われようだな。ま、ちょっと色々あってお仕事しなくちゃいけなくなったのよ。んで、一応山じいとウチの隊長さんに許可取りにね」
「色々てなんやねん」
「いや、最近拾ったのが予想外に食うから食費がねー」
「犬でも拾うたんか」
「そんなとこ」
「ふーん。護廷十三隊に戻るんか?」
さして興味も無さそうに会話を続ける平子の言葉に、は少しだけ淋しそうに両目を伏せ、そして再び微笑った。その横顔が、藍染の記憶に強く印象に残る。
「ま、俺にはそれしかないからな」
初見で、自分より年下の少年だと思った。しかしこの表情。絶望と諦観と、そして僅かに垣間見えた常闇。彼の美しい、完璧な造形を誇るその外見に相応しい、憂いのある翳り。それは他人の興味を酷く惹きつける。甘美な征服欲をくすぐる。手に入れたい、と藍染は考える。そしてそれが酷く困難な事も同時に悟る。だから彼はそんな表情などおくびにも出さず、ごく自然に会話に加わる。
「失礼ですが隊長とはどういった面識が?」
「俺のマイスイートハニーや」
「誰がだよ」
笑いながらツッコミを入れる。そしてその口元にゆっくりと笑みを浮かべてはゆっくりと息を吐き出すように言う。
「古い知り合いだよ」
「腐って糸引きそうなぐらいどろっどろで濃い関係のな」
にやり、と人の悪い笑みを浮かべた平子の顔が、その次の瞬間には後方へ吹っ飛んでいた。
「シンジーっ!!このハゲっ!何を独り占めしとんねん!」
騒々しい大声と共に素晴らしい蹴りを披露した少女に、
「さ、猿柿くん……」
藍染が恐々と声をかけるも、彼女は壁を破り遥か向こうに消えていった平子に際限なく悪態をつき続ける。
「おお、よく吹っ飛んだなぁ」
で、のんびりと風景でも眺めるように穴のあいた壁を見ているものだから、藍染は対応に困った。どうしようかとを見れば、察しのいい彼は十二番隊の副隊長へちょいちょいと手を振る。
「ひよ里、ひよ里、もう真子吹っ飛んでここにいないから」
未だに「バカ!ハゲ!死ね!」と怒鳴り続ける彼女にが声をかけると、ようやく気付いたひよ里がむっとした顔での傍まで寄ってくる。しばし無言で座したままのを見下ろしていたが。
!」
「うおっ」
がばっと音がしそうなほど勢いよく抱きついてきたひよ里にも最初は吃驚したが、しがみついて離れようとしない彼女の様子にやがてゆっくりとその頭を撫でてやる。兄と妹。そんな言葉がぴったりの雰囲気。二人の様子に藍染は何も言わずに頭を下げて下がって行った。
「なんでここにおんねん」
にしがみついたままのひよ里の声はくぐもっていた。
「なんでって真子に」
「そうやない!なんで『外』に出とるんかって聞いとるんやっ」
「ひよ里」
「出てくるなら来るで、うちに一番に会いに来い言うてるやろ!」
「あー、ハイハイ。ごめんね」
「誠意がないわ阿呆!」
気の強い彼女の台詞には苦笑を漏らす。彼の右手は彼女をあやすように一定のリズムを保ちながら、ぽんぽん、と彼女の髪を撫で続ける。そんな彼の仕草が嫌いじゃないから。結局こんな些細な事で許してしまう。心地の良い敗北感に苛まれたひよ里は、せめてもの意趣返しにと、彼の頬をつまんで横に引っ張る。
「ひてて、ひほいさんひたひんはけど」
「うるさいねん」
涙目になって抗議してくる年上の、腹が立つほどに綺麗な造作の男。滅多に表に出ることのない彼の存在は、だが瀞霊廷に住まう者ならば誰もが知っている。知っていて、隠される。秘匿とされる。それが何故なのか。詳しいことは分からない。どうやら平子は少しは事情を聞いているようだが話そうとしない。いつもなら無理矢理にでも聞きだそうとするのだが。
「ひーよー里ー……」
の頬をつねりながら、悶々とその彼について考え続けるひよ里の耳に、地獄から舞い戻ったかのような低い恨みの篭った声が届く。
「おーひんひおふぁへりー」
相変わらず頬を引っ張られたままのがいつの間にか戻ってきた平子に手を振る。その平子は、ひよ里の襟首を掴んで容易く彼女を持ち上げた。
「何すんねんシンジ!」
「うるさいわこのじゃじゃ馬!俺とのランデブーを邪魔するんやない!」
平子にぶら下げられたまま、ひよ里は口を休めることがない。
「うっさい阿呆!はシンジみたいな変態には勿体無いねん!」
「なんやとぉ〜??」
再び始まった、にとってはさして珍しくもない、むしろ懐かしい二人の喧嘩に自然と笑みが零れる。
「何笑うとんねん!」
笑った雰囲気を鋭く察したひよ里がを睨みつけるが、は緊張感なくえへらと笑い顔を見せた。
「いやー、なんかこういうの久しぶりで。おまえらの痴話喧嘩聞いてたら」
「痴話喧嘩やない!」
「気持ち悪いことぬかすなや!」
息の合った反撃に、の笑みはますます深くなる。
「戻ってきたんだなーって、思わざるをえないのが嬉しいのか悲しいのか、微妙だなぁ」
へらへらと笑いながら言うに、二人はお互いの髪やら着物の袖やらを掴みあったまま返事を返す。
「そこは全力で嬉しいって言うとけや」
「シンジに会うたんは不幸やけどな」
「ひよ里、おまえちょっとは黙っとれや」
床に座るを挟み、頭上で繰り広げられる舌戦は激しさを増す。そんな中、渦中にいるというのにはやけにのんびりと、他人事のようにしみじみと呟いていた。
「あーあーあー、なんかもう俺このテンションホントに久しぶりで懐かしくって涙出そうー」
本当は、平子とひよ里、二人に両側から容赦なく掴まれた腕の骨がぎりぎりと軋んで悲鳴をあげていたのだが。何となく、言わなかった。




予定調和の明日を蹴飛ばす




だって、引き篭もってる間になまったとか言われるの癪だし。……ちょっと、今日から筋トレしようかな。と、くっきりしっかり赤い手形が二人分、残った両腕を眺めては思ったとか。



完成日 2009/01/12