今年最後の書類仕事を片付けたは、そのまま雨乾堂へ向かう。声をかけて一礼して中に入ると、彼の上司である十三番隊隊長、浮竹十四郎が文机の前に座しており、訪れた部下の顔を見るなり労いの言葉をかけた。
「ご苦労だったな。これで気持ちよく新年を迎えられそうだ」
「気持ちよく新年を迎える為にお掃除もしに来たんですよ」
「ああ、そうだったか。すまんな、毎年」
「いいですって。お仕事ですから。ちょっと埃立てちゃうんで、隊長は余所行ってて下さいね」
懐から襷を出し、手際よく袖をまくりながらは立って窓を開けにかかる。冬の冷たい空気がそれまで暖かかった室内に入り込み、浮竹は思わず首を竦めた。
「そうさせて貰うかな」
「そうして下さい。年の瀬に風邪引いてもつまんないですからね」
辛口のの言葉を気にした素振を見せず、浮竹は笑いながら羽織を引き寄せて肩にかけて立ち上がる。室内を出る前に振り返って見てみると、手際のいい部下は先程まで浮竹が散らかしていた机上をもう片付けていた。
「半刻ほどで片付きますから、ちょっと一服でもしててくださいよ」
「ああ、分かった。頼んだぞ」
「はいはーい」
の声を背で聞きながら浮竹は今度こそ部屋の外に出る。途端吹き付けた寒風に「冷えるな」と呟く。
「まあ、大晦日だしなぁ」
何処かのんびりとした呟きに反するように、風は容赦なく吹き荒び、浮竹の体温を奪ってゆく。あまり身体の丈夫でない性質の彼は、つい先程風邪を引くなと部下に言われたばかりだったことを思い出し、羽織の前を合わせてそそくさと暖かな建物の中を目指したのだった。
「うん、こんなもんかなー。大掃除終了っと」
元々定期的にが掃除をしていたし、浮竹は仕事をする際は物を散らかす傾向があるが終ればきちんと片付ける方だったのでそこまで深刻に汚れている訳でもなかった。それでも日頃はあまり注視しない障子の桟だとか、高すぎて手の届かない欄間などはどうしても埃が溜まってしまう。畳だって乾拭きをしたい。いい機会だからと普段はしない細々とした箇所を重点的に掃除し、気持ちよくなった室内を見渡しながらは襷を外す。開け放したままだった窓を閉め、部屋の主人の為に火鉢の火を強くして室内を暖める。
「これで良し」
満足気に頷いて、彼は雨乾堂に詰めている浮竹の部下に声をかけて後を託す。足早に隊主室を後にし、再び戻った十三番隊の隊舎にて通りすがりの可愛い後輩を見つけて破顔した。
「ルキアちゃん」
名を呼んで近付くと、小柄な少女が振り返る。
「殿!お疲れ様です」
「お疲れー。何持ってるの?」
ルキアは細い両腕に一抱えの箱を持っていた。蓋はなく、中に入っているものは真新しい雑巾や、障子紙といった所謂お掃除グッズだ。
「これは今から隊の皆で掃除にかかろうと海燕殿が」
「ああ、海燕副隊長戻ったのか。早かったな」
今日の朝、早々に現世での虚討伐に乗り出したはずの彼を思い出してしみじみと呟くと、後頭部にごつんと衝撃が走った。
「当ったりめーだ!大晦日にまで虚と戯れてられるかっ」
いつの間にか背後に立っていた海燕に小突かれた部分をさすりながら振り返ると、不機嫌そうに眉間に皺を寄せた副隊長が立っていた。
「ったく、こんな年末に現世に降りる羽目になるなんてな」
「虚には大晦日だの元旦だの、時節の観念無いんだからしょうがないでしょうに。っていうか俺の頭をどつかないで下さい」
「うるせー。年の瀬にまで激務を強いられる上官の八つ当たりに貢献しろ」
「……それは海燕副隊長がサボって書類を溜め込むから自業自得」
ぼそりと呟かれたの言葉に海燕は再び拳を振り上げるが、その右手がに届く前にたおやかな細腕に遮られた。上官同士の喧嘩(一方的にだが)にはらはらとしていたルキアだったが、その細腕の持ち主、海燕の妻である都の登場に心の底から安堵した。
「駄目じゃない。くんをいじめちゃ」
「いじめてないぞ。八つ当たりしてるだけで」
よりも上背のある海燕は都に遮られた腕をそのままの首に廻して強引に引き寄せる。引っ張られたは弾みで首が絞まったのか、「ぐぇ」とかいう情けない声を上げる羽目になったが、海燕の気にするところではない。
「都さん、助けてください。貴女の旦那様は横暴ですー」
わざとらしく弱々しい声で助けを求めるに、海燕は「このっ」と益々腕の力を強める。
「いてててって!」
「もう、くんを離してあげなさい」
今度は本気で悲鳴をあげたを救ったのはやはり都の鶴の一声だった。おろおろとその場で佇むしかなかったルキアがやっとのことで解放されたを心配そうに見上げる。
「大丈夫ですか、殿」
「うん、何とかね……」
「ごめんなさいね。後でちゃんとこの人のこと叱っておくから」
「何で俺が怒られなくちゃなんないんだよ」
都の言葉に憮然とする海燕だったが、妻ににっこりと迫力のある笑顔で凄まれて続くはずだった反論を喉の奥に飲み込んだ。
「ったく、どいつもこいつもに甘すぎるんだからよ。なあ、そう思わねえか、朽木」
「はっ、わ、私ですか!?」
自分に話が向けられるとは思っていなかったルキアが慌てふためくと、
「やめなさい」
再び細君に叱られた。二度も怒られてしょんぼりと廊下の隅にしゃがみ込む海燕を放っておいて、都は改めてに向き直る。
「そういえばくんはもうお仕事お終い?」
「ええ。さっき隊長の部屋も掃除済ませてきたんで、このまま引き上げさせてもらおうかと」
「ご苦労様。それじゃあ今からお家の方に?」
首を傾げて問う彼女にも微笑んで答える。
「隊長の家に寄って、年越し蕎麦の準備したら俺も一旦自分の家に戻りますよ。三が日の内にはまた隊長の所に戻りますけどね」
「そう。乱菊ちゃんや市丸君と一緒に年越しできるのね」
都の言葉には眉尻を下げる。
「あいつら際限なしに飲むんで、今から買い出し行って料理しないと間に合わないんですよ」
「羨ましいわね。くんの手料理を思う存分食べられるなんて」
「都さんも正月の内は志波家に戻るんでしょう?」
「そのつもりよ。あの人の仕事が今日中に片付くといいのだけれど」
困ったように方頬に手を当てる都には少しだけかがんで小声で伝える。
「内緒ですけど、海燕副隊長の分の書類仕事、俺が片付けておいたんで。勿論、副隊長にしかできない分は残してありますけど」
「ええ?本当に?」
の言葉に都は目を丸くする。いくら彼がデスクワークしかこなさないとはいえ、その分他の隊員とは比べることができないぐらいの仕事量が振られているはずである。しかも年の瀬、通常期より書類仕事は多い。それを自分の分ばかりか、他人の分まで片付けているとは。
「だからあんまり遅くならない内に帰れると思いますよ」
「ごめんなさいね、本当に。最後まで迷惑かけてしまって」
「いいですよ。じゃ、俺はこれで。ルキアちゃん、大掃除頑張ってね」
はにかむように笑って、はその場を後にする。
「はいっ。殿よいお年を!」
「よいお年を、君」
買い込んだ食材を抱えて足早に目指すのは瀞霊廷の中心部。立派な貴族の屋敷が建ち並ぶ中、明らかに鄙びた雰囲気のその屋敷の門をくぐる。立て付けが悪くなっているのか、ぎしり、と軋んだ門扉に軽く息をつき、後でギンに直させようと考えた。玄関の引き戸を開けば、しんと沈んだ空気が鼻をつく。数日前の休暇に大掃除に訪れ、そこら中を磨いて回ったのだが、人のいない住居はそれだけで雰囲気が湿ってしまうのか。それでも数刻も立てば賑やかになるだろう。その時のことを考えては小さく笑みを浮かべる。食材を玄関に置いて、一旦外に出る。庭を横切り咲いていた山茶花の枝を二、三手折る。空気はますます冷えてきて、この分だと夜には雪になりそうだ。雲のかかり始めた空を見上げ、庭を元来た方へ戻る。水の張ったままの桶に山茶花を入れる。これは乱菊に座敷の床の間に活けさせよう。玄関に戻ってきたは置いておいた食材を抱え、今度こそ草履を脱いだ。慣れ親しんだ屋内を厨に向かう。
「さあて、始めますか」
竈に火を熾し、湯を沸かす。正月用の料理は手の込んだ物が多く、手間がかかる。だけど、それを喜んでくれる人がいる。その笑顔を脳裏に思い浮かべるだけで満たされる。やがて料理の湯気が屋敷中に立ちこめて、あたたかな空気へ変わった頃。
「ただいまー」
「、帰ったで」
玄関から聞こえる養い子達の声。この家にあの懐かしい時間が蘇る。人の気配が増える。その事を、家も喜んでいるようだ。俺も同じだよ、と小さく呟いては料理の手を止めた。まっすぐに近づいてくる足音。それが止まった瞬間に振り返って、彼は優しく微笑んだ。
「おかえり」
完成日
2010/12/25
拍手にて小噺もどうぞ。
CLAP