季節は梅雨が過ぎ去り、夏を迎えたばかりの頃。
いくつもの山々に囲まれてひっそりとある、古くから続く特別な力を持った一族の末裔がひっそりと暮らすのどかな村。
家の広い屋敷、本家の一室に現当主を始めとした主だった者十数名が締め切られた部屋に集まっていた。
「ではどうしても聞き入れては下さらないのですか」
一人の男が上座に座る一族の長に言う。
年はこの顔ぶれの中では若い方。
しかし髪には白いものが目立つようになっているし、顔にも身に着けた衣の裾から覘く手にも皺が目立つ。
声には悲愴感が溢れ、伏しがちな目がいっそう彼の絶望を現実のものとする。
彼だけではない。
その場に集うほとんどの者が、この場に諦めや悲しみに満ちた空気を吐いている。
しかし唯一人、この場でもっとも若い、一見しただけでは青年とも見間違うような容貌をした男は、口元に柔和な笑みを刻んでいる。
「皆の気持ちは判っているよ。だけどこれは私とあの子の問題だ。出来ることなら口を挟まないで欲しい」
伏せていた、切れ長の黒い瞳をゆっくりと開いて、上座に座る男はこの場に集まった全員の顔を一つひとつ眺めていく。
「誰が何と言おうと、は私の娘だよ。私はあの子の父親だ。だから決めた。異論も反論も聞き入れないつもりだ」
穏やかに、だがきっぱりと告げられた言の葉に、場をため息が支配した。
嘆く者は皆一様に、これから確実に訪れる未来を憂えている。
だが彼らの長たる家の当主が言ったのだ。
逆らえるはずも無く、その術も力も持ち得ない。
彼らに出来ることはもはや己の主人が選んだ道が正しいものであると信じることしかなかった。
可愛い子には旅をさせないで!
「着替えはこんぐらいか。どうせ制服だろうしな。後は、あー何入れるんだ?」
なぁ?とが部屋の窓際で星占いの道具に見入っていた従兄弟、ドラコ・マルフォイに聞く。
ドラコはいつものように血色の悪い青白い顔に、年に似合わずつんと澄ました表情を浮かべて呆れたように深く息をついた。
「入学許可証と一緒に入っていたリストに全部書いてあっただろう」
「そういやそんなものもあったなー」
がさがさとそこら中をひっくり返し始めたは金茶の髪に琥珀の瞳の持ち主の、驚くほど整った容姿の持ち主だ。
しかし彼のことを深く知る身近な者に言わせると「のいい所は完全に見た目だけ」であるらしい。
見た目の造りの丁寧さを見事に裏切る粗雑さで、届いたはずの手紙を探す従兄弟の姿にドラコが思わず眉を顰めたのも、前述の言葉に真実味を持たせている。
そんな二人の少年達を同じ部屋で過ごしていた少女が寝転んだ姿勢から不思議そうに見上げた。
「ねーそんなに嬉しいもんなの?たかがイギリスの、たかが千年ちょっとしかない魔法学校に入るのが」
「別に嬉しかねーよ。何が悲しくて今更基礎の基礎から魔法なんて習わなきゃなんないんだって感じだし」
ようやく見つけ出した手紙に付属のリストを見ながらが答え、
「僕だって本当はホグワーツになんか行きたくなかったさ。父上の言う通りにダームストラングへ入ろうと思っていたし。母上が引き止めたりしなければ……でもまあ、、君が一緒に来るのならそんなに悪くはないだろうけど」
続けたドラコは最後の台詞を言うときにちらっと少女の方へ灰色の視線を寄越し、ほんのりと頬を赤らめる。
その後大げさに咳をして誤魔化してみたりもした。
だがにはそんなドラコにしては珍しく直球っぽいアピールも通用せず、あっさりとスルーされ軽く落ち込む従兄弟を今度はが面白そうに見ていた。
当のはというと、髪と同じ何処までも黒い両目をぱちぱちと瞬かせてきょとん、と首を傾げる。
「あたし行かないよ?」
「え?何そうなの?」
「何だと!?」
軽く聞き返すと吃驚して大声で怒鳴るようにの方へ顔を向けたドラコ。
その二人の顔を畳にごろごろと寝転んだまま見上げては言う。
「だって父さんと離れたくないもん。ホグワーツって寮生活なんでしょ?一年間ほぼ離れ離れの生活になっちゃうじゃない。そんなのやだ」
「やだ、って!これが一体どういうことなのか判っているのか?入学拒否だなんて、考えられないぞ!」
「まーなー普段のの保雅さんへのべったり加減を見てたらある程度は予測できたつうかそのまんまの反応だけどな」
「何をのんきなことを言っているんだ!こんなわがまま通るはずないだろうっ」
「でも行かないの。魔法、術だったら父さんに教えてもらえばいいし、っていうかその方があたしは嬉しいし。毎日朝から晩まで手取り足取り父さんに見てもらえるなんて!うわ素敵過ぎて想像しただけで鼻血出そう」
「俺の部屋で鼻血はやめろよ。ティッシュやるから外でしろ」
「いいかよく考え直せ。確かにホグワーツは今のダンブルドアとかいう校長になってから落ちぶれ始めたと父上が嘆くような学校ではあるが、
それでも一応はサラザール・スリザリンが創った伝統ある魔法学校だ。それなりに行く価値はある」
「だから父さんいないのになんであたしがそんな遠いイギリスくんだりまで行かなきゃなんないのよ。そこ行ったって父さん以上にカッコ良くて強い術者なんかいる訳ないじゃん。行くだけ無駄だよ無―駄―」
「!」
長い黒髪が乱れるのにも頓着しないで畳の上を右から左へと転がる彼女にドラコがついに怒鳴る。
「うーんと、何だコレ教科書とか教材ばっかじゃねーか。こんなのダイアゴン横丁行かなきゃ揃わないな。母さんに金と荷物持ち寄越すように言っとこう」
「!リストなんか見てないでを説得しろ!!」
ついでに我関せずといった雰囲気でリストを見出した顔だけはいい従兄弟にも少女を説得するように言いつけるが。
二人共、ドラコの話なんか全く聞いていない様子だ。
この二人といる時にはいつも蔑ろにされているのだからいいかげんに慣れたといえばそうなのだが、それでも普段は両親に深く愛されて育つお坊ちゃまな訳で。
幼さの残る灰色の双眸にじわり、と涙が滲むのを少女の従兄妹であり、そしてドラコの従兄弟であるが見つけ、仕方なさそうに、面倒くさそうに息を吐き出す。
昼寝を決め込んだが部屋の端の方で小さく丸まって動かないのを見てから、ドラコを手招いて小声で伝える。
「心配しなくってもはホグワーツに行くって」
「どうしてだ」
「そりゃーあいつが誰の言うことなら絶対に聞くか考えたらすぐ分かるだろう?」
その辺からしわしわになったハンカチを拾い上げて、乱暴にドラコの目元を拭ってやりながらは琥珀色の瞳を面白そうに細める。
「まあ見てなって。来週の水曜日には俺達と一緒にダイアゴン横丁で杖買ったり鍋買ったりしてるから」
そして次の水曜日が来た。
はの言った通り、ダイアゴン横丁でホグワーツの入学準備の為の買い物をする羽目となった。
あれだけ「行かない」と豪語していた彼女がなぜここにいるのか。
それはの父親がホグワーツからの手紙を手に、にこりと微笑んで。
「行きなさい」
と一言、口にしたからだ。
そのたった一言では大変むくれた表情をしながらも、マダムマルキンの洋装店でローブの丈を合わせる工程を我慢せざるを得なかった。
次
完成日
2005/09/10