「いつまでむくれてんだよ」
「この世の終わりまで」
彼女の答えに従兄弟の少年は年に似つかわしくない嘆息を吐き出したのだった。



ファースト・コンタクト



は不機嫌だった。
ここ数年で最も機嫌を損ねている。
それというのも原因は父親と離れて暮らさなければならないという、その事実で。
「ほら、元気を出せ。後で父上に入学祝いのフクロウでも買ってもらおう」
ドラコ・マルフォイは少女の機嫌を必死にとりなそうと、道を歩きながら色々話しかけるが。
「いらない。とらがいるもん」
「なら箒はどうだ?最新式のものを」
「箒で空飛ぶなんて非常識」
「ははは、そりゃそうだ。でもそれを言っちゃあおしまいだぜ?」
は黙ってろ!そうだな、じゃあガラスのチェスセットはどうだ?純金製のゴブストーンは?レースの綺麗なドレスローブなら母上が見立ててくださるぞ」
の気を惹こうと次々と品物の名前を列挙するが、そのどれもが彼女の興味をそそるに至らなかった。
ぷぅと膨れたままの頬で往来を闊歩するはこれはこれで愛らしいのだが、やはり好意を持つ者から見れば笑っていてほしいわけで。
懲りずにあれこれと彼女に話しかけるドラコから数歩遅れてが後についている。
ドラコの両親は三人に先にローブの丈を合わせるように言って、別の店へ入っていった。
の本日の保護者兼荷物持ちは昔馴染みにばったり会って、やはり遅れてくるらしい。
むくれた顔のままはがつんがつん、と木底の靴を盛大に鳴らし、肩口で切りそろえられた黒髪を揺らしてマダムマルキンの洋装店の扉の取っ手を掴み、勢いよく引っ張った。
扉の上部に取り付けられた、来客を告げる鐘がけたたましく鳴り響く。
その音にびっくりして、店の奥からマダム・マルキンが転がるように飛び出してきた。
「まあまあまあ」
「あ、俺達ホグワーツなんです。制服の採寸お願いします」
藤色ずくめの服を着た、ずんぐりした魔女のマダム・マルキンが目を丸くして何かを言う前に、が静かに開けっ放しだった扉を閉めた。
「あらあら。一年生?まあ可愛い顔が台無しよ、お嬢ちゃん」
の不機嫌面に気付いたマダム・マルキンが少し屈んでその顔を覗き込む。
見知らぬ人にそうされて、さすがにバツが悪くなった彼女は少しだけ俯く。
「ほら、採寸」
がひょいとやって来て、を連れて店の奥へ向かう。
二つ並んだ踏み台にさっさと彼女を立たせると、自分も早速その隣に上がった。
「おい」
「あ、おまえは後な。ドラコはどうせこの後ルシウスおじさんとかとまわるんだろ?俺らはちょっと別の用事があるから」
青白い顔をした従兄弟が片眉を吊り上げるのを、は片腕を振ってとりなした。
直後に彼の採寸をしていた魔女に、
「動かないで坊ちゃん。袖が片方短くなっても知りませんよ」
と怒られる。
「え、それ嫌だ。かっこ悪いじゃん」
「じゃあじっとしてなさい」
「はーい。……っておまえもう終わり?」
金茶の髪を揺らして首だけ振り返って隣のを見れば、採寸が終わって踏み台から降りるところだった。
膨れっ面はマダム・マルキンとの会話のおかげでだいぶ鳴りを潜めていたが、それでもまだ不満そうな口元をしている。
「やることないからその辺歩いてるよ。終わったら呼びに来て。じゃあねドラコ。行きたくないけど新学期にね」
一方的にそう言って、はその場を去った。
ドラコはといえば「さよなら」を言うタイミングを逃してしまい、彼女を追いかけて店の外へ走っていった。
「それにしても綺麗な髪の色ね。坊ちゃんは将来いい男になるわよ」
の採寸をしていた魔女が、肩幅を測りながら言うのに、彼は琥珀色の瞳をくすぐったそうに細めて笑う。
「だろ?俺の自慢なんだ。この色は父さんと母さんの子供って証拠だから」
窓から差し込む光の加減で日輪を戴いたようにも見える金茶の髪。
同様に、光の入った琥珀の双眸も太陽のように輝く。
それらを惜しげもなく放出しながら少年は誇らしげに胸を張り。
「まっすぐ立って。裾が短くなってもいいの?」
「ごめんなさい」
又もやメジャーを手にする魔女から怒られた。


用事が済んで店の外に出たものの、特にすることもなくてはぶらぶらとその辺を歩き回っていた。
ダイアゴン横丁へはたまに来ることがある。
ドラコの家へ遊びに行くときはいつもこの町を経由しているし、もっと小さい頃は父親が懇意にしている店の店主の弟子に連れられて買い物に付き合ったこともある。
元々記憶力が良いため、はすぐにこの場所に馴染んだ。
というより、『元から知っていた』気がしてならない。
今日だって、初めて行う制服の採寸に何処か既視感を覚えた。
しかしそんな考えはすぐに頭の隅に追いやられる。
彼女は深く考えることが嫌いだからだ。
「よ、お待たせ」
道の脇でぼんやりと通りに行き交う人を眺めていたが後ろから声をかける。
「キョウ兄は?」
「まーだー」
きっかり二十分後に、と言って別れたはずの本日の保護者はまだ現れない。
飲食店の前に置かれた空の酒樽に座って足をぷらぷらさせるはつまらなさそうに唇を尖らせる。
はその場で背伸びしてきょろきょろと辺りを見回すが、目的の人物は見当たらない。
「参ったな。この荷物どうやって家まで運ぶんだ」
そこには山と積まれた二人分の入学準備の品があって、とてもじゃないが子供の腕には多すぎる。
「はー。本当に行くのかな。ねーー。父さんはあたしがいなくてもさみしくないのかなー」
「何、いきなり」
「だってさー。あたしは父さんがいちばん大好きなのに父さんはそうじゃないのかも、だからあたしにホグワーツなんかに行けっていうのかも。とか考えたら落ち込んできたんだもん」
大きく息をついて、は俯く。
酒樽に座ったまま器用に足を抱えて、小さく纏まっている。
はさみしくないの?春雅おじさんとか、シャトルーズおばさんと離れ離れになっても」
顎を自分の膝に乗せ、傍らに立つ従兄弟を見上げて問うと、彼は腕を組んで少し考え込んだ。
「別に、寂しくないわけじゃないけど。今までずっと一緒にいたし、ちょっとぐらい離れても平気。つうか父さんとか母さんのいない場所っていうの俺にとっては初めてだし。 たまにはいいかな、って。ま、勉強しにいくんじゃなくて社会見学するノリで行くって思えばいいんじゃねーの?だって俺ら、今までほとんどあの村の外に出てないじゃん」
「あたしは嫌だな。父さんと離れるなんて、考えるだけで恐ろしい……あたしがいない間に父さんが怒ったり微笑んだり泣いたりしてたら!その瞬間をあたしは写真に収められないんだよ?」
「別にいいじゃんか」
「だーめーよぅ!!今という瞬間は一度きりなのよ!?今日の父さんは明日には二度と拝めないのよ!?そんな、勿体無いことできない……!」
「俺にとってはどうでもいいし」
「ああ!!もう何でホグワーツは全寮制なの!?なんでイギリスなんかにあるの!?」
喋っているうちに段々ヒートアップしてきたは座っていた酒樽の上に立ち上がって、身振り手振りを交えながら大声で自分の運命に抗えなかった後悔について訥々と演説し始める。
通りを歩く魔女や魔法使いの数人が、何事かと立ち止まったりもする中。
「制服を買った方がいいな」
大きな、の言葉に立ち止まった人々の中の誰よりも大きい男がそう言ってこちら、正確にはマダムマルキンの洋装店へ顎を向けていることをは気付いた。
そしてその足元にくしゃくしゃの黒髪の、小さな男の子がいることも見つける。
どこかで見たことがあるような気がしてじっとその子に視線を向けていると、相手も気付いたのか、こちらを振り向いた。
眼鏡の奥に輝く緑色の瞳が印象的な子だった。

未だに喋り続けている従兄妹の名を呼び、スカートの裾を軽く引っ張ってやれば、ようやく気付いた彼女が見下ろしてくる。
既に周りに立ち止まっている人物は一人もいない。
「なーにー?」
「あれ、あの眼鏡のヤツ。どっかで見たことあるんだけどおまえ思い出せねぇ?」
「んー??」
酒樽の上で手を腰にあて、が指差した方を見てみる。
だけでなく、今度はにまで凝視されることとなった少年は、明らかに戸惑っている。
眼鏡の奥のアーモンド形の、湖の淵を思わせるグリーンの瞳をぱちくりさせながら彼は連れの大男に背を押されてこちらへ近づいてきた。
「だめ。思い出せない。どっかで見た気がするんだけどなー」
しばらく少年をまじまじと観察していただったが、やがて諦めて首を横に振った。
「あーなんか知ってるのに思い出せないって気持ち悪いな」
声が本人に届くほどの距離になっても遠慮せずに会話する二人。
ここまで出てきてるんだけど、と喉の辺りをしきりにさするや、頭を抱えてその場にうずくまってしまった
「あの、君たちもしかしてホグワ」
黒髪の少年が近づいてきて何かを言いかけた時だ。
「いやーすまんすまん。話が長引いてしもた。堪忍なぁ」
特徴的なイントネーションの喋り方をする亜麻色の髪の青年がその場に現れた。
彼はがうんうん唸りながら必死に何かを思い出そうとしているのを見て、はて、と首をかしげる。
「どないしたんや?」
「さあ」
すぐ側で言われたのでとりあえず、黒髪に眼鏡の少年が同じように首を傾げてみると、今その存在に気付いた亜麻色の髪の青年はぎょっとしたように目を瞠る。


「ジェームズ!?」


父親の名を叫ばれて吃驚する少年と、その声の大きさに驚いて顔を上げた
少年について来ていた大男が何か言おうと口を開いたが、青い顔で口元を押さえるのが精一杯だったので何も出来なかった。




 




完成日
2005/10/01