ぱたぱたと慌しく足音が行きかう廊下をのんびりと進み、目的の扉の前で立ち止まる。
すぅ、と息を何度も大きく吸ったり吐いたりしていると、柄にもなく自分が緊張していることが分かった。
それでも覚悟を決めてドアノブに手を伸ばし、ゆっくりと押し開く。
扉の向こう、壁に大きく切り取られた窓からのやわらかい光を浴びて立つ最愛の女性に笑いかける。
白いドレスを眩しく思いながら、今まで生きてきた中で一番幸せな顔をして。
「やあ、リリー。今日も綺麗だよ」
ウェディングドレスを身に纏う、赤毛の女性に話しかけたのだった。



再び手紙



室内にはいつものメンバーが揃っていた。
親友達の姿を見てジェームズは苦笑するしかない。
「ちょっと、どうして僕に会いに来るより先にリリーの所にいるんだい?っていうか君ら僕より先に僕のリリーの花嫁姿を見るなんて、なんて友達甲斐のない奴らなんだ!!」
非難の言葉が口から飛び出すものの、その声の調子は決して責めていない。
盛装していつもよりさらに男前度を上げているシリウスが、首もとのネクタイを軽く緩めながら芝居がかった受け答えをする。
「おお、これはプロングズ!気付かなかったよ君が花婿だったなんて!しかもこの見た目は美しいが中身が伴っていない少し ばかりお転婆な彼女を娶るだなんて、君はやはり我々悪戯仕掛人の中で最も勇敢な魂を持っているようだ。なぁムーニー?」
言葉の端々に引っかかりを覚えたリリーが拳を握り締めるのをリーマスは視界に入れて、困ったように曖昧に頷く。
ピーターがリリーのドレスやベールの端っこについた埃を慎重に取り除きながら僅かに頬を紅潮させて彼女を見上げる。
「本当にきれいだよ、リリー。おめでとう!」
「ありがとう、ピーター。それと散々な賛辞をどうもありがとう、シリウス?」
にっこりと、微笑みながらリリーは言う。
シリウスの名を呼ぶときだけ彼女のこめかみに青筋が浮かんだのを見つけたのはまたもやリーマスで。
彼は自分の立ち位置が悪いのだと気付き、こっそりジェームズの方へ移動した。
「でも本当に結婚するなんて思わなかったな」
灰色の瞳を和ませながらシリウスが横に並んだ新郎新婦を眺める。
「わたしだってまさかジェームズなんかと一緒になるなんて思わなかったわ」
「酷いよリリー。ここまできてそれは無いんじゃないかな」
「ジェームズはリリーに逃げられないように頑張らないとね」
笑いが満ちる幸福な空間。
その中で花嫁はふと窓の外を見やると、少しだけ眉根を寄せた。
も来られたらよかったのに」
彼女の心からの本心を、その場の全員が同じ事を思っていたので同じように少しだけ残念そうに明るい陽光が降り注ぐ外に視線を移す。
初夏の日差しは育ち盛りの木々の緑を突き抜けて、あちこちに優しい陽だまりを作り出す。
その中で眠ることが大好きだった少女を思い浮かべ、自然と頬が緩むのは彼女を知っている者なら誰でも全員そうだった。
「仕方ないよ。色々事情があるんだろうし、この間ダイアゴン横丁に行った時に蓮さんのお店を覘いてみたけど、閉まってたもの」
リーマスが苦笑しながら言って、いつまでも残念そうに唇をとがらせているリリーを宥める。
「だって、わたしはに一番に祝って欲しかったのだもの」
に綺麗な自分を見て欲しかったのだ、と彼女が至極残念そうに言うので、ジェームズがリリーの肩を抱き、空いた手でそっと愛しげにその顎を掴むと、至近距離で恐らく彼にとって最もカッコよく映る角度で迫るが。
「大丈夫、君は誰よりも綺麗だよ」
「貴方なんかに言われてもちっとも嬉しくなんてないのよ」
リリーはちら、と彼に視線を寄越しただけで、大きくため息をついた。
数十分後に神の前で永遠を誓い合う予定の伴侶から浴びせられた辛辣な言葉にジェームズは格好良く決めた笑顔のまま固まる。
本日旦那になる予定の青年の腕や手を鬱陶しそうに払いのけて、リリーは壁際にしつらえられた鏡台に座り、もう一度入念に化粧を確めた。
この後に夫婦になる予定の二人の、学生時代と全く変わらない関係にシリウスやリーマス、ピーターは顔を見合わせて苦笑したりおろおろとしたり。
そんないつも通りの彼らが居る部屋の扉をこつこつと、控えめにノックする人物がいた。
扉に近かったリーマスが「はい?」と返事をすると、結婚式を行う教会の聖歌隊の一人だろうか、小さな黒髪の男の子がちょこんと立ってリーマスを見上げた。
彼は手に持った手紙をすっと差し出す。
「ありがとう。ご苦労さま」
リーマスが受け取ると、仕事を果たした男の子は満面の笑みになり、ひょこっと扉の隙間からリリーの横顔を見て「花嫁さん、きれいだね」と無邪気に笑った。
「あげないよ!」
いつの間にか復活していたジェームズが、白いタキシードの胸を反らせて力強く言い「何ガキに嫉妬してんだ馬鹿かおまえは」とシリウスにその頭をはたかれた。
その間に男の子はてててっとリリーの元へ走っていって、椅子に座るリリーを見上げてにっこりと笑う。
「はい!」
小さな手から差し出されたのは桃色のスイートピーで。
一本だけのその花を見て、リリーが少し驚いたように目を瞠る。
「しあわせになってね」
にこり、と微笑んで言って、リリーが引き止めるよりも先にぱたぱたと慌しく出て行ってしまった。
その背が消えた、開け放されたままの扉を見つめながら。
……?」
先刻見たばかりの男の子の笑顔があまりにも見知ったものに似ているので、知らず口に出していたその名。
すると手紙を受け取ったリーマスが、封筒を裏返してそこに記してある名を見てリリーに微笑みかけた。
「リリー、それとジェームズも。とキョウからお祝いの手紙だよ」
ぱっと顔を上げた二人に手紙を手渡して、リーマスはジェームズが手紙を読み上げるのをゆったりとソファに腰かけて待つ。
封筒からきちんと折り曲げられた便箋を取り出して、ジェームズは一度改まってこほん、と咳払いをする。
眼鏡の奥の榛色がゆっくりと便箋の上を滑る。
「………」
しかしいつまで経っても声を出さないジェームズに、シリウスがじれて「おい」と目顔で不満を訴える。
「だって、読めない……」
「はぁ?」
泣きそうな顔で背後のシリウスを見上げるジェームズ。
手紙を受け取ったシリウスも、そこに書かれた文字がアルファベットとは似ても似つかない形態をしていたので状況を認めざるを得なかった。
「あーいーつーはー!!卒業してからでもぼやぼやしてる性格は直ってねーんだな!」
セットしたばかりの黒髪をがしがしと手でかきながら、の懐かしいと思える大ボケを本気で怒るシリウス。
そんな彼らに歩み寄ってきたピーターがジェームズが持っている便箋に続きがあることを偶然に見つけた。
「あ、ねえ二人共。二枚目があるみたいだよ」
「え?本当?」
ジェームズが慌てて手の中の薄い紙を捲ると、今度は知っている言語で書かれた文章が現れたので、彼らは一様にほっと息をついたのだった。
「あ、キョウからだ。が間違って日本語で書いたのを訳してくれてるみたい」
がキョウに怒られるという兄妹弟子のほのぼのとした有様が容易に想像できて、ジェームズもシリウスも口元に小さく笑みを刻む。
「じゃあ今度こそ読むよ。えーっと何々?『結婚おめでとうリリー、ジェームズ……』」


「ああ、今日なのね」
初夏、梅雨の合間の晴れ渡った空を見ながら蓮は銀色の髪をかきあげて冷えた麦茶を出す弟子の言葉に鷹揚に頷いた。
「結婚、ねぇ。あの子達が。うふふ、きっと面白おかしい夫婦になるわね」
「子供もすぐに生まれるはずなんやって、が言うとったなぁ。蓮さんは男の子か女の子、どっちやと思います?」
「男の子。それも父親に生き写し」
すぐに水滴を纏うグラスを持って、蓮は庭先の朝顔を眺める。
昼近くなってきて、朝顔の花は少ししおれてきた。
乾いた土から生える茎も葉も、心なしか元気がない。
それを目ざとく見つけた蓮は、朝顔を見ていた菫色の双眸を弟子に向けた。
「キョウ、アナタ今朝庭に水撒いていないでしょう」
「あ!」と短く声をあげる彼を駄目ねぇ、と少しだけ笑って視線をもう一度庭へ戻す。
藍色の浴衣を着て、素足に下駄を履いて。
長い髪をおさげにして、楽しそうに草花に水を与えていた少女、もう一人の弟子を。
その姿を庭先に記憶から思い浮かべる。
「知らないっていうのも、一つのシアワセよね」
ぽつりと彼女が呟けば、軒先に吊るした風鈴がちりん、と鳴った。
亜麻色の髪の少年は黙って俯く。


スイートピーの花言葉は門出と、別離。




  


完成日
2005/08/27