ガンダム00でニールがいなくなってしまった後のお話。




喪失十五題
群青三メートル手前



01. 隣を見ても、君が居ない
02. 信じていた「ずっと」が崩壊した瞬間
03. 世界はこんなに薄暗かっただろうか
04. 夢の結末はいつだって喪失
05. どうしてみんなわらっていられるの
06. 一人で泣かせておくなんて何考えてるんだ
07. ありがとうもごめんねも要らなくて、
08. 欲しいのはこの手じゃない。
09. 下手くそな嘘しか吐けなくてごめん
10. ああ、思い出になってしまう
11. 追いかければもう一度逢えるのかな
12. 不意に甦った、君の一番の願い事
13. 一陣の風が抱き締めていった
14. そうだね、ほんとはもう全部分かってたよ
15. それでも進むよ、君が居てくれたから
























01. 隣を見ても、君が居ない

死んだ、って聞かされた時あたしは素直に受け入れられなかった。そんなことあるわけないよ、って。何言ってるの、みんな冗談好きなんだから、って。一つ、一つ、言う度に。スメラギさんはあたしから視線を逸らすし、フェルトはぼろぼろ泣いていた。だって、そんなことあるわけないよ。帰ってくるって言ったもの。あんな怪我して、いつもみたいに戦えないからティエリアはやめろって言ったけど、「俺とハロのコンビは無敵だ」って。言っていたもの。部屋から出て行くとき、不安そうにロックオンの腕を掴んだあたしに「大丈夫だ」って言ったもの。少しだけ、仇を討ちに出かけてくるだけだって。あたしをぎゅっと強く抱き締めて、長い長いキスをして、その後に。ちゃんと言ったもの。
「行って来る。ちゃんと待ってろよ?絶対帰ってくるからな」
だからあたしは大人しく彼の部屋で待っていたのに。なのに、どうして。帰ってこないのかな。























02. 信じていた「ずっと」が崩壊した瞬間

でもやっぱり何処にもロックオンはいない。デュナメスにはハロしかいなかった、らしい。じゃあ彼は?ロックオンは何処に行ったの?死んだって、みんなが言うの。そして悲しい顔をするのよ。ねえ、刹那。あなたロックオンの傍にいたんでしょう?彼は何処に行ったの?あたしが問い詰めると、刹那は苦しそうに顔を歪める。
「すまない」
たった一言そう言った。謝って欲しい訳じゃないのに。ああ、でもそうさせているのはあたしなのかな。でも、ねえ。知りたいの。彼が何処に行ったのか。家族を亡くした彼は、ひとりを酷く嫌う人だったから。ロックオンが今、独りきりでいるなら、あたしは迎えにいかなくちゃ。だって、そうでしょう?
……」
刹那が悲しそうな顔をしてあたしを呼ぶ。どうしてそんな顔をするの?ロックオンは何処に行ったの?ずっと一緒にいられると思っていたのに。帰ってこないのよ。ねえ、迎えにいかなくちゃ。そうでしょう?























03. 世界はこんなに薄暗かっただろうか

、やめなさい」
ずっと刹那に詰め寄っていたら、スメラギさんにそう言われて、それからあたしはドクターに鎮静剤を打たれて、メディカルルームで強制的に睡眠を取らされた。そういえばロックオンが帰ってこなくなってから眠っていないような気がする。あれ、でも彼が帰ってこなくなってどれくらい経つのだっけ?一日?三日?一週間?彼があたしを抱き締めてキスをくれてからどれだけ経つのかな?分かんない。忘れちゃった。目が醒めて、でもまだ薬が残っているのか全身がだるくてぼんやりしたままあたしはメディカルルームの不必要に白く清潔で明るい天井を眺めていた。
「ねえ、こんなに明るい場所なのに、とっても心細いの」
誰にともなく呟いた。返事なんて返ってこない。聞きたい声が聞こえない。届きたいのに、届かない。あなたまで、こんなに遠いなんて。ねえ、あなたが憎んだ世界はこんなに薄暗かったの?























04. 夢の結末はいつだって喪失

は?」
「眠ったわ」
メディカルルーム、そのガラス越しにクルーが集まっている。アレルヤの心配そうな言葉にスメラギが疲れたように肩を落としてそう言った。刹那は先程まで彼女に掴まれていた肩を自分の手で押さえている。白くて細い彼女の手は、信じられないほど強い力で詰め寄ってきた。
「信じてないのかな。ロックオンが死んだってこと」
「信じるわけないよ。だってずっと一緒に居て、ずっと二人、こんな時なのに、こっちが嫉妬しちゃうくらい幸せそうで」
リヒテンダールがぽつりと呟いて、隣に居たクリスティナが自分で言って、そしてまた涙が出てきたのか、目元をごしごしと拭う。
「ロックオンと、が二人でいるのを見るのが好きだった」
泣き腫らして真っ赤になった眼で、フェルトがそう言う。
といるとき、ロックオン、すごく優しい顔になるから。その顔、すごく好きだった。……なのに、な、んで…っ」
再び泣きだしたフェルトをクリスティナが支える。
「このまま……」
真っ白なメディカルルームの中、横たわるを見ながらイアンが暗い声でひとり言のように、声に出す。
「このまま、目が醒めない方が嬢ちゃんにとって幸せなんじゃねえか」
「そんな!」
アレルヤが驚愕の声を上げるが、誰も反論の術を持たないまま、俯いてしまう。
「目覚めても彼はいない」
硬い声で告げるティエリアに、今度こそ沈黙に支配された。その沈黙を破るように、大きく息をついて、スメラギは言う。
「なら、永遠に醒めない夢をみるのも、の『しあわせ』なのかしら」
夢から目醒めて、失ったことを自覚するくらいなら。























05. どうしてみんなわらっていられるの

「っと、ここは?」
ロックオン・ストラトスが、帰って来た。プトレマイオスを案内するミレイナの後ろで、彼は彼女がたった今通り過ぎたドアの前で立ち止まる。
「ええっと、そこはですねー」
明るく快活な彼女の顔が瞬時に曇る。ここには、何かあるのだ。察しのいい彼はすぐに気付いた。
「ああっ駄目ですー!」
勝手にドアのロックを外そうとする彼の腕に縋りついて止めようとするミレイナ。普段なら、他人の隠し事に興味を示す彼ではない。だが、何故か今回だけは見過ごせない何かが彼を惹き付けていた。中に『誰か』居る。確信めいた勘の元、ピッと電子音が鳴ってドアが開く。そこに居たのは一人の女だった。部屋にしつらえられたベッドに浅く腰掛けて、ずっと俯いている。長い黒髪が邪魔をして、表情は窺えない。彼女は人の気配に緩慢に顔を上げ、そして『ロックオン』の姿を見て息を呑む。黒い瞳を驚きに瞬かせて。
「あんたも、俺と兄さんを同じに見る口かい?」
そんな彼女の表情一つで全てとは言わずとも、状況を察したロックオン、いやライルは皮肉に笑ってそう口にする。彼女から口先ばかりの否定か、非難めいた言葉か、あるいは罵声か。そのどれかを期待していたのだが、しかしその予想は外れた。
「……どうして笑っていられるの」
恐ろしく暗い声の調子に、ライルはたじろぐ。
「どうしてなの。どうしてみんなわらっていられるの」
間近に見た彼女の顔は、病的なほど白かった。























06. 一人で泣かせておくなんて何考えてるんだ

彼女の事を聞いた。、というそうだ。彼女はロックオンの、兄さんの恋人だったという。
「だから見分けたのか」
一目見て、彼女が病んでしまっていることは分かった。病人を、艦に乗せておくなど有り得ないことだ。そう他のクルーに言ったが、皆辛そうに顔を歪めるだけで何も答えなかった。仕方なくマイスターに聞いてみる。
はソレスタルビーイングから離れられない」
硬質な声音で答えたのはティエリア。自分と話すとき、彼だけが警戒の姿勢を崩さないことに気付いていた。だが今ここで、その辺りの事情に一番詳しそうなのは彼だけだ。
「離れられないって、そんなことがあるかよ。どう見たってあの子は病人だ。ちゃんと治療してやるか、少なくともこんな戦場の真ん中に置いとくべきじゃないだろ」
反論すれば、意外そうな目で見られた。
「驚いたな。君がそんな事を言うなんて。君にとっては見ず知らずの女だろう?それとも兄弟揃って同じ趣味なのか?」
揶揄されたことにむっとしたが、今ここではぐらかされてしまえば終わりだ。それに、ティエリアの言うことも当たっている。少しつつけば壊れてしまいそうなほど脆く、繊細な彼女に惹かれてしまった自分が確かに居るのだ。
「兄さんの彼女だったっていうなら、丸っきり無関係ってわけでもないだろ」
「なるほど……そういうことにしておくか」
何もかも分かっているような口をきくティエリアに胸中の苛々は増すばかりだが、ぐっと堪えて耐える。
は必要とされている。彼女には彼女にしか出来ない役目がある。だからここを離れることを許されない」
「だからって」
必要だからここに居させる。それは彼女の背負う役目以外に彼女が必要とされていないということなのか。色々な感情が心の中で絡み合って、黙り込んでしまった隙をついてティエリアはその場を去る。
「だからって、一人で泣かせておくなんて何考えてるんだ」
その呟きを聞いたものは誰もいない。























07. ありがとうもごめんねも要らなくて、

、調子はどう?」
アレルヤの言葉にあたしは笑って返す。大丈夫だよ、って。あたしに話しかけてくれる人は少ない。アレルヤと、フェルトと、イアンさん。それからハロ。昔から知っている人で、あたしと話をしてくれるのはこの人達だけ。ラッセさんは元々寡黙な人だし、残りのマイスターも自分から話しかけてくるような性格じゃない。前はもっと、いっぱい話してた気がするのにな。
「辛かったりしたらすぐに言うんだよ?」
「平気だよ。それよりアレルヤこそ、身体はもう大丈夫なの?」
アレルヤはこの間までどこかに捕まっていたらしい。そのことを知ったのはつい最近で、ああそうか、だからアレルヤを見なかったのか、なんて。ぼんやりと思ってしまったあたしは相当薄情な生き物だ。そんなあたしにすらアレルヤは優しい。
「ありがとう。僕は大丈夫だよ。ほら、丈夫にできてるから」
わざと茶目っ気たっぷりに言ってくれる。だからあたしも笑ってみせる。アレルヤはずっとあたしに謝りたかったそうだ。どうしてかな。アレルヤがあたしに謝ることなんてないのに。再会したアレルヤが、あたしに縋りついてずっとごめん、ごめん、って泣くから。あたしは謝らなくていいよって言うしかなかった。そうしたら「ありがとう」って、アレルヤが言うから。あたしは笑うしかなかった。本当はどっちもいらないのに。
、ねえもっとみんながいる所においでよ」
「ありがとう。でもね、アレルヤ。あたし、ここに居る方がいいみたい」
あたしの顔を見ると、泣いてしまう人がいるから。
「でも、ずっと一人じゃないか」
「みんな忙しいからしょうがないよ。それに」
「それに?」
「あのね、最近入ったばかりの、ロックオンにそっくりの人、えっと、違うな、その人もロックオンなんだっけ」
「ロックオンがどうかした?」
あたしが言いたい方のロックオンをすぐに察してくれたアレルヤが、優しく続きを促してくれる。
「うん。そのそっくりな人がね、ここに来るの。だから退屈じゃないよ」
「え……そう、なのかい?」
あたしの言葉にアレルヤは驚いたようだ。それから少し険しい顔をして、黙ってしまった。























08. 欲しいのはこの手じゃない。

触れてくる大きな手に、頬を預けたままあたしはぼんやりと考える。違和感について。
「どうした?」
「うん、ちょっと考え事」
覗き込んでくる碧色の瞳も、癖のある茶色い髪も、北国出身故の肌理の細かい白い肌も。一つ一つのパーツは同じなのに。だけどひとつひとつ、少しずつ違う。当たり前だ。彼はあたしの知っていたロックオンとは別人なのだから。
「あんまり悩みすぎるなよ。また調子が悪くなるぞ」
ベッドに並んで腰掛けて、ロックオンに凭れかかる格好のあたしに、額の髪をかき分けて小さくキスを落す彼が持つ違和感。それが何なのか、ずっと考えているのに。
「分かんないな」
「……何がだ?」
違和感。決定的にどこが違う、と言い切れないのに。だけど五感全てが訴えてくる。いっそ知らないフリをして、『同じ』だと思ってしまえばいいのに。優しく触れてくる、だけど、欲しいのはこの手じゃない。























09. 下手くそな嘘しか吐けなくてごめん

「どういうつもりなのか、聞いてもいいかい」
穏やかな口調で、しかしはぐらかすことを許さない高圧的な空気を纏って。アレルヤがロックオンに詰め寄る。
「何がだ」
のことだよ。どうして彼女に近付くんだ。何が目的で」
「ただ話をするだけさ」
ロックオンはアレルヤを途中で遮る。肩を竦めて、そんなに怒ることなのか、とアレルヤに態度で示す。
「話を?君は彼女の事を何も知らないだろう。何を話すというんだ」
返された言葉に益々不信感を募らせたアレルヤが、きつく睨むのをロックオンは嘆息してみせた。
「なんでおまえにそんなことを言われなきゃならないんだ?」
「興味本位で彼女に近付かないでくれと言っているんだ」
元々きつい顔立ちをしているアレルヤだから、鋭い目付きをすると、その目線だけで対峙する相手を切り裂いてしまいそうだ。その刃は本当に彼女の為のものなのか。ロックオンは、ライルは心中でぼんやり思う。ここにいる連中は皆、というあの頼りない存在を守ると言いながらただ閉じ込めて、縛り付けて、惰性のように生かしているだけなのではないのか。そんな疑念は払っても拭いきれない。
「任務の合間にお喋りするだけなのに疑われちゃたまんねえぜ」
「君は知っているんだろう?がロックオンの」
「兄さんの恋人だったって?」
「知っているなら尚更彼女に近付くのをやめてくれないか」
「指図される謂われはないな」
肩を竦めておどけた調子で言ってやれば、アレルヤがきつく睨みつけてきた。両の拳が震えているところをみると、殴りたい衝動を我慢しているようだ。
「興味本位じゃなかったらいいんだろ?」
アレルヤの怪訝そうな顔に向かってライルは言う。不適に笑った唇を歪めて。
「本気で惚れてるんだから、問題ないよな?」
アレルヤの驚愕に満ちた表情を眺めながら、彼女に謝った。稚拙な嘘だと、自分を嗤った。























10. ああ、思い出になってしまう

人間の記憶というモノはとても不確定で、曖昧で。悲しいぐらいにあたしの中から零れ落ちていってしまう。あなたの顔も声も表情も、触れてくる指の繊細さも包み込む体温も。何もかもがどんどんあたしの記憶からいなくなってしまう。そうして覚えているのは鮮明に記憶に残っている、本当は覚えていたくない、哀しい思い出ばかり。
「あ、れ……?」
ふいに巡った記憶の中の一場面。その中の彼の姿にあたしは呆然とした。昨日までは確かに覚えていた、彼のふとした仕草、例えばあたしの髪を撫でるその手つきだとか、コーヒーを飲みながら広げる新聞の記事を読む順番とか。そういった何気ない日常のありふれた彼の姿が、突然思い出せなくなってしまって。
「うそ……」
忘れてしまった自分に呆然となる。何があっても忘れることなどないのだと。傲慢なほどに自負していた己を呪いたくなった。
「いやだよ……」
膝を抱えてほとんど吐息でようよう紡ぎだした声は自分の耳にすら届かない。忘れたくない。過去なんかじゃなくて、ずっと現実で貴方を覚えていたいのに。
「ロックオン……ニール……」
随分と久しぶりに口にした彼の名前。久しく彼の名を呼んでいなかった、その新たな事実に涙が溢れた。―-そうしていつか全部、あなたを思い出にしてしまうの?























11. 追いかければもう一度逢えるのかな

泣いている女は苦手だ。ライルは苦々しく思って、だが見捨てて通り過ぎることもできなくて、仕方なく隣に座る。だがそれだけだ。それ以上何かしようと思っても、何も思いつかなかった。たった一晩の火遊びのような恋の相手なら、対処の方法も心得ているのだが、隣に座る彼女はそういう扱いをしていい存在ではない。は細い肩を震わせて、ずっと涙を流し続けている。このままではいつか体中の水分を涙で枯らしてしまうのではないだろうか。そんな危惧さえ抱かずにはいられないほどとめどなく彼女は泣いている。
「逢いたい」
静かな嗚咽の合間に繰り出される言の葉に、伸ばしかけた手が止まる。どれだけ彼女の傍に居ても、彼女の気を惹こうと力を尽しても、彼女の心を捉えている存在が消えない限り無駄なのではないのか。空しい虚ろな心を抱いて、ライルは先程よりも乱暴な意思を込めてを己に引き寄せる。
「追いかければもう一度逢えるのかな」
抱き寄せた彼女が耳元でそう呟くから、益々自らの手に力を込めて、抱き締めることしかできない。彼女の涙が、肩口に沁みて痛かった。























12. 不意に甦った、君の一番の願い事

眠ったり、起きたりをただ繰り返すだけの毎日はひどく単調で、退屈。ここしばらくは誰もここに来なかった。艦がいくらか揺れていて、アラート音が高く鳴り響いていたから、きっと戦闘になっていたのだろう。それすらぼんやりとしか思わなかった。だからあたしは知らなかった。いつの間にかこの艦が、地球に降りていたことを。
「空……」
艦内はおろか、自分の部屋すら出たことのなかったあたしがその時外に出たのは本当に偶然で。ハッチを開けて、目の前に広がる空の青さに眩しくて目を細めた。見渡せば遠くにいくつか人影があって、フェルトやイアンさんを見つけることも出来た。
「風、久しぶりだな」
髪を揺らす風は吸い込むと木々のにおいがした。遥かに見える稜線は、薄青く水彩画のようで、足元には小さな名も知らぬ花が咲き零れている。恐る恐る地面に降りてみる。二、三歩歩き出してみる。しかしすぐに足がもつれてその場に転んでしまった。当たり前だ。宇宙空間に長期に渡って滞在していた上に、そのほとんどの時間、身体を動かすことなくただ呼吸を繰り返すことしかしなかったのだから。
!」
近くにいたフェルトが驚いて駆け寄ってくるのが見える。そんなあたしの視界を濃い常緑樹の緑がよぎった。その色は、あたしが世界で一番好きな色。そう、あの人と同じ優しい色。

不意に、ニールを思い出す。あれはいつだったか。もう思い出せなくなってしまったけれど、宙の上から二人で蒼い地球を見下ろしながらだった気がする。
『おまえは』
途切れ途切れに耳の奥に甦る、あなたの声。ああ、そうだった。私、どうして今まで忘れていられたのだろう。
『生きて、しあわせに』
そう、それはあなたの、ニールの一番の願いだったのに。























13. 一陣の風が抱き締めていった

「お願いがあるの」
珍しく彼女が強い意志を秘めた瞳でそう言ってきた。ライルは一瞬驚いたように、彼の兄と同じ常緑樹の瞳を瞬かせたが、すぐに「何だ?」と聞き返した。
「連れて行って欲しいの」
「何処に?」
「ニールの処へ」
そう言った彼女の、闇色の瞳があまりにも真剣だったから。一瞬その『場所』がこの宇宙のさらに上の方なのかと勘違いをしそうになった。
「お願い。連れて行って。彼が眠っている場所に」
そうして彼女を連れて、やって来た故郷で久々に踏む土の感触。墓に彫られた真新しいその名を、ゆっくりと大切になぞるの横顔に軽く見惚れながらライルは無言だった。その視線を、こちらに向けて欲しいと切に願いながら。決して声には出せないもどかしさにどうにかなってしまいそうだ。
「来たよ、ニール」
いとおしげに紡がれる名前に胸が焦がれる。どうして彼女の口から零れるのは自分の名前ではないのだろう。
「ごめんね、ずっとひとりにして」
応える声なんて何処にもないのに。はそれでも構わないらしい。ぽつり、ぽつりと彼女は兄さんに向かって話し続ける。
「……
小さく呟いたその瞬間、ごぅ、と風が吹いた。彼女が持ってきたアネモネの花束、その赤や紫の可憐な花弁をいくらか空に巻き上げて。彼女の長い黒髪が揺れる。風はとライルを吹き抜けて、そのままずっと遠く、木々を揺らしながら過ぎ去っていった。その時、彼女が呟いた。
「ニール?」
ちょうど、ライルが思っていたことと同じことを。























14. そうだね、ほんとはもう全部分かってたよ

同じように、思える人がいてくれてよかった。あたしは後ろに立つライルを見上げてそう思った。風が吹いて、そのタイミングが、ニールを思い起こさせるものだったから。まるであたしを抱き締めてくれるかのような、ほんの少しだけ頑張れよ、って勇気をくれるような。そんな風に優しく力強く吹き抜けていった風。あれはきっとニールだ。確かな証拠なんてないけど、そう思ったあたしが呟いた名前に「兄さん」と重なる声があったから。
「ニールは心配性だから」
ぼんやりしているライルに向かって言うと、彼は怪訝そうな表情を見せた。きっとずっと見ていてくれたんだよ。危なっかしいあたしや、ライル、勿論彼のたった一人の大切な家族のことも。
「そうだね、ほんとはもう全部分かってたよ」
?」
「全部、分かってたの。でも認めたくなくて、子供みたいに駄々をこねていただけなの」
ニールが死んだことを認めたくなかった。だって彼は、この世界であたしの生きる意味そのものだったから。
「ニールはね、あたしを救ってくれた。この世界で、ひとりぼっちだったあたしの傍に居てくれた」
今思えば、それは同じ傷を舐めあっていただけなのかもしれない。立場や状況は違えど、彼も独りだったのだから。孤独を嫌う者同士がただ寄り添って、束の間のしあわせな夢をみていただけなのかもしれない。
「しあわせになれよ、って」
「兄さんが、言ったのか?」
そう、とあたしは頷く。
「でもね、絶対『一緒にしあわせに』とは言ってくれなかった」
ニールは最初から、いつか一人で死ぬことを予感していたのだろうか。あの時は確かに誰がいつ死んでもおかしくない状況だったけれど。守れない約束、だったのだろうか。彼にとってそれは。
「ライル、もう一つお願い聞いてもらっていい?」
「なんだ?」
「『しあわせになれよ』って、言って欲しい」
ニールがあたしに遺してくれた、その言葉を。ライルは複雑そうに顔を歪めて、だけどちょっとだけ苦笑して「いいぜ」と言ってくれた。す、と息を吸い込むと、
、しあわせになれ」
ライルはあたしに向かって常緑樹の真剣な瞳でその言の葉を紡いだ。彼と同じ姿と声をしたライル。目を閉じれば、ニールの錯覚を見ることも出来たかもしれない。だけどあたしは、目を閉じなかった。























15. それでも進むよ、君が居てくれたから

涙は哀しい時にだけ流れるものじゃない。あたしはニールのお墓の前で、泣きながらそんなことを思った。今までもたくさん泣いた気がするけれど、それはあたしの為だけの涙だ。あたしが可哀想な自分の為に流す、傲慢な涙。だけど今の涙はそうじゃない。うまく言えないけれど、きっとそうじゃない。

いつの間にかライルがあたしを引き寄せてくれて、だから思いっきり彼の腕の中で泣いた。
「ありがとう。大丈夫、もう、だいじょうぶだから」
それはライルに向けて言った言葉だけれど、ニールにも届くといいな、と思った。
「兄さんはしあわせだったよ」
「ライル?」
ぎゅっとあたしを抱きこんだまま、ライルが呟く。
「きっと、に逢えて、同じ時間を過ごせて幸せだったさ」
「そうだといいな」
情けなく笑ってあたしはようやくライルの腕から離れた。振り返ってニールと、彼の家族が眠る墓をもう一度しっかりと目に焼き付ける。
「ごめんね。しばらくここに来られないよ」
あなたにはもう逢えないけれど、それでも進むよ、君が居てくれたから。だってニール、あなたはあたしに生きろと言ったもの。生きてしあわせになれ、って。
「もう、行くね」
草を踏みしめて、ゆっくりと彼の眠る場所に背を向ける。少し先で、ライルが待っていてくれた。差し出してくれた手を、でもあたしは取らなかった。
「やっぱりな」
そう言って苦笑いする彼に、ごめんね、と小さく謝る。心地良い風に吹かれるままになっていた髪を押さえて、空を見上げる。明日からまた、其処があたしの居るべき場所だ。