二度目の「はじめまして」 昨夜は疲れてすぐに眠ってしまったが、朝になるとは同室の誰よりも早く目が覚めた。そして自分が思ったよりも深く眠りについていたことに軽く驚いた。昨日までとは全く違う環境で、自分の家とは全く違う、大勢の人間(と、それ以外)の気配が起きた途端に彼女の神経を刺激する。ぱちん、と。静電気に似た一瞬の痛みが頬を撫ぜ、は弓形に整った眉をきゅっと寄せる。 「布団とベッドの違いは毎晩落ちる心配をしなくちゃいけないことよね」 昨晩寝た時と頭の位置が真逆になって、尚且つ頭の半分は落ちかけている。そんな状況で、ホグワーツで初めての朝を迎えたのだった。 「おはよう」 朝食を取るために大広間へ降りたは、こちらもちょうど朝食に向かうところだったらしいと出会った。今日もこの少年は完璧に美少年をやっている。さらさら揺れる金茶の髪も、きらきら光る琥珀の双眸も、何もかもが完璧だ。は彼に普通に朝の挨拶を返したが、一緒にいたハーマイオニーは少し戸惑って二人を見比べる。 「、あのねハーマイオニー・グレンジャー、寮で同じ部屋になったの」 ハーマイオニーの視線を汲んでが従兄に紹介すると、そこで初めての隣に立っているハーマイオニーの存在に気付いたが天性の女誑し、と知り合いに言わしめた笑みを素早く浮かべる。 「はじめまして。俺は・M・、とは従兄なんだ」 よろしく、とごく自然に差し出された右手を取る前にハーマイオニーは念入りにローブで手を拭った。広がりすぎている自分の髪を今朝はもう少し何とかすれば良かった、と後悔する。緊張で少し引き攣った顔をする彼女に気付いたがきょとん、と瞬き、次いで握手の為に繋がったハーマイオニーの手を自分の口元まで持っていってその甲に軽く唇を触れさせた。 「っ!?」 悲鳴は上がらなかった。というより、それすらできないほどハーマイオニーは驚いて、彼女の明晰な思考回路は完全に動く事を放棄してしまった。代りに自分達を遠まわしに見ていた群衆の中からたくさん非難の色を濃くにじませた高い声がそこら中から聞こえてきたが。 「学校って、別に楽しみにしてたわけじゃないけど。うん。でもやっぱいいよなー女の子がいっぱいいてさ」 「そういうモノ?あたし、やっぱり家の方がいいわ。寝る時の緊張感がまるで違うもの」 「それはおまえの寝相が悪いだけだろ。もっと大人しくしとやかに寝てればいいんだよ。ってか普通落ちないって。あんだけでっかいベッドなのに」 目の前の二人はそんな周りの状況にまるで気付いていないかのように何気ない会話を重ねていく。あれだけ注目されているのに、どうしてかしら、とハーマイオニーは赤く火照った頬を冷ますのに一所懸命になりながら二人を見る。もも他人の視線など全く気にならないらしい。顔と顔を寄せ合って、ハーマイオニーには分からない言葉で、くすくすと楽しそうに何かを喋っている。 「ねえ」 まるで一幅の絵のように切取られた世界を作り出していた異国の二人をぼんやりと眺めていたハーマイオニーにが振り返る。 「あ、な、何?」 夜闇よりも尚、純粋な黒を宿した一対の瞳が自分を映すのを見て、思わず返す声が裏返る。そんなハーマイオニーに軽く首をかしげ、は言う。 「おなか空いちゃった。早くご飯食べようよ」 早速始まった授業で、ハーマイオニーはの存在のありがたさを改めて実感することとなる。何しろホグワーツは広い。一四二もの階段が授業へ向かおうとする新入生のほとんどを悪戯に苦しめ、悩みの種となっていた。「このお城、生きているのね。とっても長生きだわ」とが不思議なことを言っていたが、正にその通りだった。気まぐれに行き先を変える階段や扉はさながら悪夢のように、マグル出身のハーマイオニーを打ちのめした。入学式からずっと、がいなければ今までまともに教室に辿り着けなかったかもしれない。別段ハーマイオニーが並外れた方向音痴というわけではなく、全てはこの生きた城の好き勝手な動きによるものだった。 「ハーマイオニー、そっちじゃないよ」 魔法史の授業へ向かおうとしたハーマイオニーの腕を掴み、教室とはまるで逆の方向へ歩き出すに最初は戸惑った。 「ねえ、私達今から魔法史の授業を受けるのよ?」 まさかサボるつもりじゃないわよね、と言外に含めて言えば、は「分かってるって」とあっさり返事をして尚も廊下を進んでいく。 「今の時間、あの教室に向かうにはこっちから行った方がいいんだって」 「どうして」 「気まぐれ階段が居眠りするのよ。宙ぶらりんのまま夕方まで過ごすのは嫌でしょう?」 気まぐれ階段、とが言ったのは昇降最中に勝手に動く階段のことだ。ホールの端と端をつなぐその階段は、すごい勢いで生徒を振り回し、好き勝手に階段口を繋ぐものだから、行きたい場所に連れていってくれるまでホグワーツの生徒達は階段の手すりにしがみついてジェットコースターのような恐怖を味わわなければならなかった。について魔法史の教室に着いたハーマイオニーだったが、教室には片手で足りるほどしか人がいなかった。唖然とするハーマイオニーの傍を首無しニックがふわりと浮遊して、 「おやおや、やはりこれだけしか辿り着けませんでしたか。この時間はホールの階段にご注意、と新入生の諸君にきちんと伝えなければなりませんね」 独り言のように呟き、そしてまた壁をするりと抜けていった。 「、あなたってすごいわ。どうして分かったの?」 羨望の眼差しでハーマイオニーは見てくるが、当のは「なんとなく?」と曖昧な返事しか返せない。事実の行動は、そのほとんどが野生の勘と言うべきであろうか。とにかく、その第六感に頼って成り立っているものだ。今日だって、ホールに立った時に「だめだ」と直感的に思った。だからわざわざ遠回りしたのだ。 「のおかげで遅刻しなくてすんだわ」 教科書と羊皮紙を取り出しながらハーマイオニーは嬉しそうに言う。授業を一つも欠けることなく受けることが今の彼女にとって最重要課題なのだ。何しろハーマイオニーはマグル出身で、魔法的なものそのものに疎い。少しでも他の子に遅れないようにと必死なのだ。その横でとりあえず教科書を広げるだけ広げたは、あとはもう聞く気がないのか、頬杖をついてぼんやりしながらゴーストのビンズ先生が黒板から現れるのを眺めていた。 金曜日の朝、いつものように大広間に食事に向かったにドラコが声をかけた。階段を昇ったところでずっと待っていたらしく、今日は珍しく取り巻きもいない。 「あれ、は?」 従兄の姿が見えないのでそう聞けば、ドラコは苦々しい表情でスリザリンテーブルの方を尖った顎で示す。そこには一箇所だけ何やら人だかりができており、そのほとんどがというか、全員がスカートを穿いている、つまり女子生徒だった。きゃあきゃあと楽しそうに会話が弾んでいるように見える。 「まったく、どうにかならないのか?」 「あー」 腕を組んで顔をしかめるドラコには気の抜けた声しか返せない。その中心にいるのは紛れも無く双方にとっての従兄、であるからだ。 「じゃあはイギリスと日本のハーフなの?」 「うん、そう。俺の母さんは元々こっちに住んでたんだ」 「綺麗な髪ね」 「自慢なんだ。これ父さんと母さんの色を半分ずつしてるから」 「ねえ髪に触ってもいい?」 「向こうの生活とか教えてよ」 を取り囲んで甘い声で囁くのはどれも上級生らしい。多くの少女達に囲まれたを傍を通り過ぎる男子生徒が羨ましげに、あるいは眉を顰めて見ている。 「さすがよねー。あの人身掌握術は伊達じゃないわ。女の子限定だけど」 「のことなんかどうでもいい。それより、今日の魔法薬学は」 「ああ、スリザリンと合同なんだっけ。地下でやるのよねーうへぇー何か色々篭ってそうでやだな」 「そんな事を言うな。このホグワーツで唯一といっていいほどマシな授業のはずだ」 「どうでもいいよー。魔法薬学ってアレでしょ?鍋かき混ぜて不気味に笑ってればいいんでしょ?」 の言葉にドラコは一瞬大なべをかき混ぜながら口の端にわずかに笑みを浮かべている自分の寮の寮監を想像してしまい、背筋が寒くなった。 「ねえ、疑問なんだけど、何で学校に牢屋があるの?それで何でその牢屋で授業やっちゃうの?」 地下牢教室に集まって、担当の教師を待つ間、は半眼になってそう訊いた。ここは地上にある教室よりも寒々としており、壁にはアルコール漬けの動物がガラス瓶に入って並んでいる。ここにある暖炉にも当然火は入っているのだが、どうしてだか城にある教室のものより炎の勢いが弱い。 「部屋の主の性格を如実に表してるんだと思うな」 が言って、黒漆の杖を暖炉に向かって軽く振る。弱々しかった炎がめらめらと燃え上がるのを確認して、杖の効力に満足そうに頷いた。二人は教室の後方に並んで座っており、部屋の真ん中で見事に真っ二つになっているグリフィンドールとスリザリンの生徒のちょうど真ん中にいる。さっきから自分達の方をちらちらと見ているそれぞれの寮生達はそれでも何も言わない。ドラコが何度かとに自分の側に来るように催促したが、あっさりと断り、ハリーが話しかけてこようと何度か挑戦したようだがこれもうまくいかなかった。やがて教室の後ろの扉が豪快に開き、全身黒ずくめの男性教師が勢いよくつかつかと入ってきた。 「あ、あの人」 「セブルス・スネイプ。俺んとこの寮監。特技、しかめっつら」 組分けの儀式の時に出会ったその人が魔法薬学の教師だったとは。思わず声を漏らしたにがこっそり耳打ちする。その声が聞こえたのか、スネイプは出席簿を片手にふいにこちらを見る。 「?」 一瞬、視線が合った気がしたが、其れも束の間。次の間にはスネイプはあからさまに視線を逸らした。ばさり、と艶の無い黒髪が顔面を覆ってしまった為、生徒の誰も見ることが出来なかったが、その表情は懐かしさと怒りをない交ぜにしたような苦々しいもので。しかしその黒い瞳は遠い過去を見るように刹那やわらいで、そして深い哀しみを宿していたのだった。 「……」 と、スネイプがほとんど無声で呟いた名を。その名がさす人物が誰であるのかをこの場にいる誰も知らなかった。 完成日 2007/07/14 |