家族の定義



土曜日のグリフィンドール寮は閑散としていた。
天気がいいのでみんな外に出払っているのだ。
そんな中、シリウスは盛大なくしゃみをして横にいるリーマスは思いっきり顔をしかめていた。
「でも何だって夜中に湖になんて落ちたんだい?」
ピーターなんか君を見て幽霊か何かと勘違いして悲鳴上げちゃったじゃないか。
ジェームズが熱い紅茶を入れながらそう聞いた。
夜中にずぶ濡れでぼとぼとの人物が窓から現れたら、それが例え親友であったとしても誰だって驚くだろう。
「うるせー、色々あったんだよ」
鼻声で答え、猫背になって暖炉の火にあたるシリウスをリーマスが冷ややかな目で見る。
「君一人が落ちてたらよかったのに」
も一緒だと聞いて、この普段は何があっても笑みを絶やさない穏やかな友人が夜叉になった。
二度と生きて帰れないかと思った、とシリウスが後に語るほどそれは恐ろしい氷の微笑で、危うく部屋から閉め出される所だったのだ。
一夜明けた今朝もちくちくと嫌味を言われ、しかしシリウスは極力逆らわないようにしている。
とんとんと女子寮の方から足音が近付いてきて、リーマスに睨まれて小さくなっているシリウスを苦笑して眺めていたジェームズが降りてきた人物を振り返る。
「リリー、の調子はどう?」
「駄目ね、熱が下がらないの。夜よりはだいぶ落ち着いたけれど」
首を横に振って、彼女は溜息をついた。
「本当にどこかの誰かさんのせいで散々よ。今日はと一緒に一日ゆっくり過ごすつもりだったのに」
じろりとシリウスをにらむ緑色の瞳。
ジェームズがちょっと期待を込めて「じゃあ僕と一緒に過ごすのは?」と提案するが、
が大変な時に何言ってるのよ」
とあっさり切り捨てられてしまった。
「ふられてるよ、彼氏くん」
「いいんだ。僕らの妹の方が大事なんだから」
涙をこらえつつもリーマスにそう答え、ジェームズはわざとらしくローブのポケットからハンカチを取り出し、そっと目頭にあてる。
そんな恋人の様子をうっとおしそうに横目で眺めていたリリーは手を腰に当てて談話室の入り口にちらりと目をやる。
視線に気付いたリーマスが「どうしたの」と膝に置いた本から顔を上げる。
「もうそろそろ来るはずなのよ」
彼女の言葉に男性陣が一斉に「何が」「誰が」と聞き返すのと同時に、談話室の入り口である肖像画が開いた。
「おはようさん〜」
穴をくぐって現れたのはキョウだった。
亜麻色の髪を今日はうなじのすぐ上でゆるく結んで、焦げ茶色の瞳はどこか落ち着かない。
それでもリリー達の姿を見つけるとにこりと笑って右手を軽くあげて挨拶をした。
「ごめんなさいね。休日の朝なのに呼び出しちゃって」
申し訳なさそうにリリーが言うが、キョウは首を横に振る。
「かまへんて。風邪なんやったらしゃあないわ」
「リリー?訊いてもいいかな」
二人が話す合間を縫ってジェームズがおずおずと切り出す。
振り返ったリリーが「何よ」と視線だけで言うのを見て、リーマスが問う。
「どうしてスリザリン生のキョウがグリフィンドール寮に入ってこられるの?合言葉教えたの?」
「教えてないわよ」
「普通に『通して下さい』言うたら開けてくれはったで?」
「そんな馬鹿な。どうやってそれで入れるんだよ」
ずずっと鼻水をティッシュでかみながらシリウスがキョウの方を振り返る。
「さぁ?何でやろなー」
にやりと口元に笑みを浮かべながらそう言い、階段の入り口が二つあるのを見てリリーに「どっち?」と訊く。
リリーが彼を連れて女子寮への階段を再び登った後で、リーマスが太った婦人を思い浮かべながらぼそりと呟く。
「キョウってマダムキラーかも」
その言葉にシリウスは「まさか」と顔をしかめ、ジェームズは「ありえるかも……」と亜麻色の頭が通り過ぎていった方向を振り返った。

カーテンで仕切られたベッドの一つにそっと腰掛けて、キョウはそこで眠る少女を覗き込む。
熱のせいか、いつもは白磁のように白い頬に朱がのぼっている。
そっと額に手をやると、汗ばんだ肌はやはり熱かった。
「う……ん?」
手が冷たかったのか、がゆっくりと目を覚ます。
「起こしたか?」
「ううん。平気」
目の前にいるのがキョウだと気付き弱々しく微笑むに彼はこつんと拳をあてる。
「風邪なんかひいてしもて。みんな心配しとったで?」
「ごめんなさい……」
しゅんとうなだれる彼女にはぁー、と溜息をついてキョウは微笑む。
「まぁ、ええわ。あーでも蓮さんに怒られるんは勘弁やなぁ」
「お師様怒っちゃうかな?」
「怒られるんは俺だけやし、は安心しとき」
頭を優しく撫でながら言うと、の瞼が再びゆっくりと落ちてくる。
「薬飲むんやったら何か食べんとあかんなー。何がええ?」
「卵雑炊〜」
「ほなら作ってきたるわ。それまでもうちょっと寝とき」
ぽんぽん、と布団を軽くたたくとは安心したように眠りに入った。
それを見届けてからキョウはほっと息をついて立ち上がり、部屋を出る。

階段を降りていくと、話し声が聞こえた。
「どうしてが熱を出しているのに貴方はそんなに元気なのよ!」
「俺のこの状態の何処が元気なんだよ……」
げっそりとしたようなシリウスの声に笑いを噛み殺しながらキョウは会話に加わる。
「馬鹿は風邪ひかんていうけど、シリウスはぎりぎり馬鹿やなかったってことやな」
暖炉の前で暖まっていたシリウスがその言葉に恨めしそうにキョウを見てくる。
「どうだった?」
リリーがの様子を尋ねると、「大したことあらへん」と手を自分の前で振って彼女がほっと息をつくのを微笑んで見ている。
まるで幼子を見守る父親のような、そんな穏やかな瞳だった。
ソファに座って本を読んでいたリーマスがふとキョウを見上げた。
「キョウにとってって何?」
「リーマス、おまえ又そんな抽象的な質問を」
深く考えるのが基本的に好きではないシリウスが嫌そうに眉をしかめる。
腕を組んで、悠然と座っていたジェームズも興味深げに話に混ざってきた。
「僕も聞きたいな。君達の関係ってただの同居人にしては親密過ぎるところがあるしね」
眼鏡を親指で押し上げながら油断ならない榛色の瞳をレンズの向こうから注ぐ。
その光の強さが、彼が決して興味本位だけで訊いているわけではないことを雄弁に語っていた。
うっすらと人当たりのよさげな笑みを浮かべたままキョウはぐるりと自分以外の四人を見回す。
皆それぞれ違う思惑を抱えているが、聞きたいことは一つらしい。
くすり、と口元に笑いをこぼす。
気付いたリーマスが片眉をかすかに吊り上げるのを楽しげに眺めながらキョウは口を開く。
「そうやなぁ、は放っとくと何もできへん」
心の奥がくすぐったいような、微笑ましい思いになりながらキョウは話す。
「きっと一人では生きていかれへんのやろうなぁ。ずっと寝てばっかや。ちっさい頃から何も変わらへん」
焦げ茶色の瞳をやさしい色に染める彼の様子を四人はそれぞれ違う思いで見ていた。
普段は軽いノリで誰とでもフランクに付き合うキョウはスリザリン生であるのだがジェームズ達にとっても大切な友人だった。
その彼が、誰の目から見ても大事にしている少女のことを真面目に話す機会は滅多にない。
「変わらへんからいつまで経ってもこうやって心配してしまうんやろうな」
「キョウ……」
何処か淋しそうな気配を見せた彼にリリーが思わず声をかける。
「今はもう、リリーやリーマスがおるから大丈夫なんやろうけどなぁ。それでも気にかけてしまうんはやっぱり、家族やからやろうな」
「家族?」
「血がつながっているわけじゃないんだよね?」
聞き返すシリウスとジェームズに苦笑する。
「血の繋がりだけが“家族”やないやろ?ずっと傍におったら家族みたいに深いつながりができるやろ? 俺にとっては生まれて初めての“家族”なんや。そやから大事にしたいし、守ってやりたい」
さらり、と亜麻色の髪を揺らしてキョウは首を少し傾ける。
切れ長の焦げ茶色の瞳に男にしては長めの睫毛の影が落ちる。
男にこういうことを言うのは変なのかもしれないが、綺麗な人だ、とリーマスは思った。
キョウはジェームズやシリウスとは全く違った雰囲気を持っている。
それは普段の彼からは想像できないほどに深く、恐らく精神的な物で、何年経っても彼には勝てる気がしない。
ぼんやりとそんなことをリーマスが思っている内にキョウはまた、いつものような愛嬌のある屈託のない笑顔に戻っていた。
「ま、俺とがくっついてどうにかなるってことはあらへんから安心しとき。な、シリウス」
「な、何で俺なんだよ!?」
いきなり名を呼ばれたシリウスは不意打ちだったのか顔を真っ赤にして噛み付く。
素直な反応に半ば感心しつつさらにからかいながらふとリーマスの方をみるとばっちりと目があった。
一瞬目を丸くしたキョウだったが、次の瞬間にやり、と笑ってやった。
唇だけ動かして伝える。



『そう簡単にはいかへんよ?』



意味を理解したリーマスが底知れぬ笑みを浮かべてその日一日中を過ごしたのは言うまでもない。




  


完成日
2004/12/7