お茶の時間



太陽が南の空高く昇ろうとしている頃になってようやく目が覚めた。
ベッドの上でぐぐっと伸びをして、昨日一日中寝ていた身体を軽くほぐす。
「治った〜」
どこにもダルさが残っていないことを確認して、はぴょこんとベッドから飛び降りる。
同室の友人達はリリーも含めて何処かへ出かけてしまったらしく、誰も残っていなかった。
ごそごそと私服に着替えて、は談話室へと降りていった。
いつもなら人がいっぱいいるはずの談話室だが、今は静まり返っていた。
あれれ、と首を傾げながらは暖炉に一番近いふかふかのソファに座る。
勢いよく燃える炎の上には何故かやかんがかけられていて、先から蒸気が立ち昇っている。
この場所はいつもジェームズとかシリウスとかリーマスとかが座っていて、彼らが好んで座るというのはつまり居心地が良いからで。
さっきまで散々寝倒していたというのにの瞼はまたもや重くなってきた。
「ストップ。こんなところで寝たら風邪がぶり返すよ」
うとうととしだした所で聞こえる優しい声音に目を開くと、鳶色の髪の端が視界に入った。
「しっぽ」
「?……ああ今日はちょっと結んでるからね」
の放った唐突な言葉にも少し考えただけでリーマスは理解して、伸ばしっぱなしになっている髪を無造作にうなじの上でくくった先をぴん、と指ではねた。
片手に持った紙袋をテーブルの上に置くと、中から百味ビーンズの明るい色彩が飛び出した。
「お菓子?」
「そう。ちょっとホグズミードまで行って買ってきたんだ」
「今日、日曜日だよ?」
「だからこっそりと、ね。内緒だよ?お茶にしようか、も飲むよね」
唇に右のひとさしゆびをあてて悪戯っぽい笑顔で言う彼には素直に頷いた。
てきぱきとリーマスは二人分のお茶の用意をしていく。
暖炉にかけられていたやかんから熱い湯をティーポットに注ぎ、同じように二つのカップにも注いで温める。
茶葉を十分に蒸らしてから琥珀色をした液体をカップに分ける。
「リーマスって鈍くさいと思ってた」
どうぞ、と差し出された紅茶に用意してあったミルクを加えてかき混ぜながらが言うと、一瞬動きを止めたリーマスが何でもないように砂糖壷を引き寄せて、スプーンに大盛りの砂糖をざっかざかと自分のカップに放り込みながら極めて笑顔で聞き返す。
「どうして」
問われたは紅茶を一口含んで、う〜んと唸るように考え込む。
「だって去年の学期末とか。リーマス自分の荷物トランクに詰められなくて、結局シリウスにやってもらってたでしょ?」
言われてリーマスはほぼ一年前のことを記憶から手繰り寄せて「ああ」と声を漏らした。
去年の夏休み前、家に帰る準備をする折にリーマスはどうしても自分の荷物をトランクに納めきれなくてどうしようかと思案している最中に傍で見ていたシリウスが痺れを切らしてぶつぶつ言いながらあっという間に荷物を詰めてしまったのだ。
「すごいすごい」と素直に感心して拍手をしたら、何故か彼は嫌そうに顔をしかめて「おまえには整理整頓しようとする気がないのか」とお小言を頂いてしまった。
「そんなこともあったなぁ」
懐かしいと思いながらリーマスは今年もシリウスにやってもらおうと心に決めていたりした。
「でもお茶の用意するリーマスは全然鈍くさくなかったよ〜」
テーブルに広げた様々な種類の甘いお菓子に手を伸ばしながらが微笑む。
それを見てリーマスはにっこりと笑みを返した。
「僕だっていつもそんなことしてるわけじゃないよ」
最初は幻滅されたのかと思ったけど、何やらが見直してくれたようなのでリーマスはまあよしとした。
それにしてもに『鈍くさい』などという言葉を教えたのは一体誰なのだろう。
その辺はきっちり調べ上げないといけないよね、などと考えながらリーマスは砂糖が飽和状態になった紅茶をかき混ぜる。
「風邪はもういいの?」
ふと思い出したように訊くと、は口の周りにエクレアのクリームをつけたまま「大丈夫なり〜」とへらへら笑ってみせた。
「あぁ、もうしょうがないな」
その様子に苦笑して、リーマスは指で彼女の口許を拭うとそれをそのまま自分の口に運んだ。
普通の女の子だったら。
ここで頬を赤らめたりしてくれるのだろうが。
何せリーマスは線の細い印象を受ける温和な外見とシリウスいわく『外面の良さ』のおかげでモテる。
面倒見の良さから主に下級生人気が絶大な彼だが、にそんなものが通用しないことはとっくに知っている。
今も、彼女は「ありがとー」とふにゃっと笑っただけで特に何の反応も見せていない。
別にこれでもいいんだけどね。
の無防備にすら思えるその表情を見ながらリーマスは思う。
傍にいられれば、この笑顔を見ていられたら。
だけど独占したいと思うのも又本当の気持ちで。
どんどん欲張りになっていく恋愛という不可思議な現実は、深みにはまっていくことさえ一種の心地よさを与えるのだから全く厄介な感情である。
今までは決して多くを望まないでいたはずなのに。
ここに居られるだけで幸いであったはずなのに。
いつしか想いは膨らみ、もっともっと、と次々に新たな展開を求めてしまう。
「ホントにもう、しょうがないなぁ……」
今度は自分に対して苦笑して、きょとんと自分を見つめるに構わずに甘い紅茶を啜る。
彼女を取り巻く自分を含める様々な人々の顔を順に思い出しながら、特大のチョコレートを躊躇いもせずかじる。
例えば『兄』的立場な学年主席とか、思ったままに行動する黒ワンコとか、普段は無愛想な癖ににだけは何故か心を許している節のあるスリザリンの陰険な(某学年主席や某黒ワンコの意見である)同級生とか、 四六時中彼女の傍に居て自分と共にの保護者の称号を欲しいままにしている赤毛の美少女だとか。
そして、彼女と故郷を同じくする晴れた夏空のような気安さを持つ焦げ茶色の瞳の少年。
他の誰よりも彼は多分に近い。
普通の関係ではないような気がするが、“恋人”にはならないのだと先日彼自身が公言していた。
“家族”なのだと彼は言っていた。
それがどういう意味をキョウという人間の中に定義付けているのかまでは計りかねるが、少なくともリーマスが目指す場所に彼はゆくつもりはないようだ。
だからといって安心出来るわけではないのだが。
が特別に思う人物は今のところキョウがぶっちぎりで首位独走状態だろうから。
そう考え付くと、手に持っている彼の双眸に似た色のチョコレートすら憎く思ってしまうのだからやっぱり恋は凄まじい威力を持っているようだ。
「リーマス?」
知らず知らずの内に薄く微笑みながら手の中の厚さ三センチはある巨大なチョコレートを湯煎に便利そうな大きさに粉微塵にしてしまっている彼にが首をかしげて呼びかける。
じっと自分を見つめる黒曜石の煌めきにリーマスは思わず赤面してしまって慌てて紅茶を飲んだら今度はむせてしまった。
「リーマス〜??大丈夫〜?」
が彼女なりに慌てて心配してくれて、リーマスの背中をさすっている。
げへごほと咳き込みながらリーマスは「まだまだだなぁ」と己の器の大きさを知って苦笑するしかなかった。


こんなんじゃまだ、を渡して貰えそうにないや。


目の前にある焦げ茶色のチョコレートの欠片を見ながらそんなことを思った。
でもいつか、きっと。

亜麻色の髪の最大の敵を思い浮かべながら、リーマスは再び大きくむせてちょっぴり涙目になった。




  


完成日
2005/1/7