目の前のあまりにものどかな風景に目を点にする悪戯仕掛人の二人。
「なぁ………なんで?」
灰色の瞳の持ち主は、隣に立つ自分より頭半分ほど低い首席である親友に問う。
しかし首席である彼でさえもこの事態を解明する思考や知識は持ち合わせておらず、力なく首を振るのみだ。
眩しいほどに晴れ渡った空に蝉の鳴き声が遠くに響いていた。


真昼のノスタルジー
壱、 かくれんぼ




見渡す限りのどかな田園風景が広がっている。
青々と茂る田んぼや、夏草の緑。
田畑の脇にある小川では、真夏の日差しを跳ね返してきらきらと水が輝き、時折魚が跳ねて鱗が光る。
名も知らぬ小さな草花が全身で生命を詠い、誇らしげに太陽に向かって伸びている。
大きく枝を広げた木々の隙間からこぼれた木漏れ日は、足元で懸命に日々の営みを続ける蟻などの昆虫を優しく照らす。
そんな自然いっぱいな様子を蓮の住む家、その縁側から見通しながらイギリス育ちの魔法使いの卵達はしきりに首を傾げている。
方角としては南に設けられたこの広縁は、部屋と外を仕切る扉が全開にされており、高台にあるのか遠くまでよく見渡せる。
面した庭には四季折々の花々が植えられているのだろう。
匂い立つ大輪のユリをはじめ、情熱的な赤いダリア、白や紫の桔梗が涼しげな色を添え、早咲きのコスモスが白やピンクといった可愛らしさを主張する。
百日紅の白や赤に近いピンクも濃い緑と対称的で美しい。
だが圧巻だったのは庭と外を分けるようにして植えられた向日葵だ。
背の高いその花は大輪の黄色い花を精一杯空へ向けている。
青い空と境界を分けるように目に痛いほどの黄色が飛び込んでくる。
それらの植物に柄杓と手桶を持って水をやっているのはだ。
白地に藍で紫陽花が染め抜かれた浴衣に緋色の帯を締めて、足元は涼しく下駄を履き、髪は二つに分けられ三つ編みにされている。
楚々とした様子で植物に丁寧に水をやる様子はとても似合っていて、思わず見惚れたシリウスが持っていた荷物を足に落として悶絶悲鳴をあげていた。
「あの、訊いてもいいですか」
意を決したジェームズが隣で足の小指を抑えてうずくまる親友を無視して背後の蓮を振り返る。
「なぁに?」
訊き返す蓮は黒に水玉模様の紗の着物を纏い、見事な輝きを持つ銀髪は結い上げられて蝶をかたどった髪飾りで留められている。
まだ朝といっていい時間帯なのだが既に上がり始めた気温の所為でだらりと肘掛にもたれる美女は、菫色の双眸を面倒くさげに広縁へと向けた。
「えーっと……ここは何処ですか?」
「あたしの家」
決心したものの聞くべき内容に対する的確な質問文を思いつかなかったジェームズが、少しの間思いあぐねてようやく口にした平凡な質問はにべもなくたった一言で返された。
「そうじゃなくって」
「じゃあ何なのよ」
「何で住宅街のど真ん中にこんな田園風景が広がってんだよ!?」
「……というのが僕らの疑問なわけです」
痛みから復活したシリウスが少しだけ涙目を残しながらも直球に問いを発し、ジェームズが便乗して首を傾げる。
蓮は一、二度瞬いた後に「あぁ」と一人納得したようにぽんと手を叩く。
「この家には魔法がかかっているのよ」
畳の上に伸ばされた足をゆっくりと組み替えながら彼女は言う。
まるで新しいおもちゃをみつけた時のように楽しそうに。
「誰にも真似できない、世界でたったひとつのあたしだけの魔法。扉と扉を繋げてあるのよ。いつでも帰れるように」
長い睫毛を伏せて菫色を隠しながら蓮は何かの思いを噛みしめるように、その顔にひと時、憂いを含んだ表情を面に出す。
広縁に立ったままのジェームズは無言でその様を眺め、ようやく立ち上がったシリウスは言葉の意味を掴みあぐねてますます首を傾げる。
「ちなみにここはの実家がある村、お店の方は今はダイアゴン横丁。それで貴方たちが昨日入ってきた玄関は今はロンドンに繋がっているわよ」
先程までの憂えた雰囲気は何処へやら、一転して茶目っ気たっぷりにうきうきとしながら彼女は教えてくれる。
「えぇ!?」とか「はぁーっ??」とか、目の前の少年達がそういう反応をしてくるのが嬉しくってたまらないとでもいうように生き生きとした笑顔で。
「信じられない!一体どういう仕組みでそういう風になってるんだろう」
好奇心の塊のようなジェームズは振り返っての故郷だというのどかな自然を瞳をきらきらさせながら眺める。
一方シリウスは信じられないとでもいうようにしばらく呆然とした後、胡散臭そうに蓮を半眼で見る。
だが逆に「何か文句でもあるの?」と底冷えのするような視線で射られてしまい、ほとんど条件反射のように首をふってしまった自分に自己嫌悪を感じていた。
「ふー……」
水をやり、ついでに草を引いていたがおもむろに立ち上がり曲げていた腰を伸ばす。
そのまま柄杓と桶を脇に寄せると、ジェームズとシリウスが立っている広縁までやってきて沓脱石に下駄を脱ぐと朝日が斜めに差し込む木の床にころりと横になる。
「おやすみなさ〜い」
猫のように丸くなってすぐに寝息を立てる。
「ちょっと待てちょっと待て!!!おまえつい一時間ほど前に起きてきたばっかじゃねーか!!」
そう言うシリウスは蓮の言いつけ通りに夜明け前から起き出して、水汲みに始まり、掃除、洗濯と一通りの家事をこなして現在にいたる。
ジェームズも昨日やり残した店の掃除があったし、キョウはこの家では働くのが当たり前なのか、かつてないほど早起きした二人よりも早く起きていて、既に台所で包丁の音をリズミカルに響かせていた。
そうして早起きした二人には大分遅めの朝食をそろって食べ始めるという時になってようやくキョウがを起こしにゆき、箸を持ったまま味噌汁に顔から突っ込んでいきそうな場面を寸での所で阻止したシリウスは、 いつもこの役目をこなしているリーマスとリリーに今更ながらに尊敬の念を抱いてみたりした。
「起きろ馬鹿!そんなに寝てたらジェームズみたく取り返しのつかない人間になっちまうかもしれないぞ!!」
膝を折ってすやすやと気持ちよさそうに寝入るの肩を揺らしながらそんなことを言うシリウスにジェームズは「君って人は僕をそんな風に見ていたんだね……!」と言いつつ涙を風に乗せる。
蓮はその様子をくつくつと楽しそうに笑いながら見ていた。
「寝かせてあげてちょうだい。お昼前になったらキョウが起こすわ。それまではどこか散歩でもしてきなさいな」
「散歩?いいですね!よし行こうシリウス!!不法入国しちゃったけど日本を観光だっ」
「は?ちょっと俺は……って引っ張るなよジェームズ」
二人分の賑やかな声が廊下を遠ざかり、後に残った蓮は軒先につるした風鈴の涼しげな音色を楽しむ。
「観光いうたかて、この辺なんにも見るもんなんかあらへんのに」
奥から水に濡れた手を拭きながらキョウがやってきて呆れたように歓声と悲鳴を上げながら家を飛び出す二人を見やる。
彼は藍染の着流しに割烹着という非常に良く似合っているのだが、何処かおかしな格好をしていた。
広縁に寝転がるに視線を移すと、焦げ茶色の瞳を無表情に細める。
「ええんか?あの二人に見せてしもて」
返る応えはない。
だけどキョウや蓮に背を向けて細く編まれた髪をいじりながらはゆっくりと目を伏せる。
投げ出された四肢を軽く折り曲げて、小さく呟く。
「知ってほしいから。あの二人には、これからのこと」
蝉の鳴き声と風鈴の音。
夏を代表するそれらの音の波がその場の三人の間に物悲しげに響いていた。

ジーンズにスニーカーという二人共通のスタイルでジェームズとシリウスは舗装されていない畦道を進む。
半袖のシャツ一枚のジェームズと、タンクトップに薄手のシャツを背負ったシリウスはまだお昼前だというのに真上から照りつける日差しにばてていた。
「暑い」
「イギリスと日本じゃ気候が違うんだよね。そういやはホグワーツじゃ全然暑そうだったことないし」
だらだらと汗を流しながら二人は行くあてもなくぶらぶらと歩く。
時折吹き付ける風も蓮の家に居た時ほど涼しく感じられるわけでもなく、むっとした暑気を二人にぶつけるのみで。
揺れる夏草がさやさやと静かに音を立てる。
これほど静かで穏やかな場所を二人は他に知らない。
どちらともなく立ち止まり、深く息を吸って緑の呼気で肺を満たす。
そうしてふと足元を見ると、さっきまでは確かにお互い以外の人間はこの場にいなかったはずなのに、ジェームズの腰ほどしかない身長の子供が立っていた。
「え!?」
驚いてジェームズはわずかに身を引く。
シリウスもいつの間にか現れたその存在に驚きを隠せないでいる。
や蓮が着ていたような日本の民族衣装である着物、夏である今では木綿生地の単である浴衣を着るらしいのだが、その浴衣を身に纏っている。
薄い黄色の地に鮮やかを通り越していっそ毒々しいほど赤い花を染め上げた膝丈の浴衣は周囲に溶け込まず、不自然に浮いていた。
浴衣の裾や袖から伸びる細い手足は短く、見たところ十にも満たない子供のようだった。
顔の上半分を隠す奇妙な白い面をつけており、表情は窺えない。
だが異様なのはその登場の仕方や出で立ちばかりではない。
面の下半分、三日月の形に歪められた赤い唇は禍々しい笑みを浮かべている。
背筋に嫌な空気を感じて後ずさるジェームズの腕を素早く伸びた子供の手が掴み取る。
反射的に振り切って逃げ出そうとするが、相手は子供だというのに動くことすら儘ならない。
ジェームズの額に脂汗が浮かんだのを見て、シリウスが後ろから進み出て子供の手を親友から離そうと「おいっ」と怒鳴るが、子供は唇をにぃと歪めて感情の篭らない声を出す。

「招かれざる客、我らが主の望むままに。いざや、いざや。隠してみせようぞ」

まるで呪文のような言葉が終わった瞬間、飛ばされそうなほど強い風が吹いて瞬時に辺りが暗くなった。
それぞれ顔を庇っていた腕をどかすと、そこはついさっきいた陽光あふれる畦道ではなく、暗くうっそうとした深い森の中だった。
「なぁ」
しばらく何も言わずに突っ立っていた二人だったが、おもむろに口を開いたシリウスが乾いた笑いを口端に刻む。
「ひょっとして俺ら何かやばいのに巻き込まれてねーか?」
灰色の瞳は如実に自分たちのピンチを伝えてくる。
ジェームズはゆっくりと眼鏡を外し、袖で軽く拭いてから再びかけなおす。
そうして目の前の光景が何も変わらないことを脳に判らせると、
「そうかも」
と笑えないほど空回りした声で返したのだった。




  


完成日
2005/04/08