案ずるな、我がいとし子よ。
妾はそなたであり、そなたは妾の一端だ。
何も気に病むことなど無い。
妾はそなたを害する全てのものからそなたを守ろうぞ。


真昼のノスタルジー
参、かげふみ




耳に響く鈴の音に閉じかけた瞼をゆるゆると持ち上げる。
「あなたはわたし」
焦点の定まらぬ黒い瞳孔が常人には捉えられぬ姿を探すようにさまよう。
「わたしはあなたの、何?……かみさま」
問いかけに答えるものは今はいない。
真夏だというのに、直射日光の下、晒されているというのに。
どうしてだか酷く心細くて寒い。

音の波が完全に静まり空気にとけきると、今度はやわらかな木漏れ日が心地良くそそぐ明るい場所にいた。
「何でもありってか」
もはや疑問に思うことさえ放棄したシリウスが皮肉気に目の前を歩く小さな背にぶつけるが、 相手はこちらのことなどまるで気にしていないかのようにすたすたと淀みなく進み続ける。
小枝を踏み鳴らし、草むらをかきわけながらジェームズは眼鏡の奥の榛色をきつくして進む。
がさがさと音を立てながら進むのはジェームズとシリウスのみで、先を進む浴衣姿の子供は苦もなく進んでいく。
足音などないかのように滑るように奥を目指す。
「さて、一体何に引き合わせてくれるのかな」
口の中だけでジェームズが呟くと同時に目の前が急に開ける。
木々が途切れてちょうどそこだけぽっかりと穴が開いたように空間があり、その中心には樹齢何百年を数えるのだろうか、堂々とした存在感を持つ老樹がどっしりと構えている。
隙間からのぞくちぎれた空の青さとはまた違う、緑なす深い蒼に似た色を持つ木は信じられないほど清い空気をはらんでいた。
鬱蒼とした森の中にもこのような場所があったのかと思わせるほどだ。
前を歩いていた童子がそこで足をぴたりと止め、面をつけたままの顔でくるりと振り返る。
「着いたぞ客人。くれぐれも主に失礼の無いように心がけるのだな」
「へーへー分かってますよ」
気のない返事をするシリウスに一瞬だけ視線を向けたが、子供は何も言わずにそのまま前へ、大樹の前に進み出るように二人を促した。
側に寄るとますます大きく感じられるその木を見上げるシリウスがその視線を根元に移すと、木漏れ日とはまた違う、ほのかに青白い光がその中心に集まってきた。
光は降り注ぐように集まり、徐々に輪郭を成してゆく。
やがて現れたのはまだあどけない少女の線だった。
向こう側が透けて見えるその少女は、一切の色彩を持たず、ただ青白い発光体がその外側を示しているのみだ。
だが二人が驚いたのはそのようなことばかりではない。
「……」
……?」
目の前に出現した少女の輪郭は、多少幼いながらも二人の良く知る人物に面影が良く似ていた為である。
「よく来た、異国の童子達よ」
いつも一緒にいる彼女よりは少し低い声がして、呆けた意識を無理やり戻すと、そこにはやはりに似た少女が宙に浮いてこちらを見下ろしていた。
「これは、何の冗談かな」
目の前の出来事が許容できる範囲ではないと判断したジェームズが眼鏡のレンズ越しに少女を軽く睨みながら問いかける。
だが彼女は軽く首をかしげるのみで。
「冗談とは?何のことやら……」
「お前いったい何者だよ!どうしてその姿……にそっくりなんだ」
我に返ったシリウスが一歩詰め寄って強く迫る。
しかしそれでも少女は大きな瞳を半分伏せたまま無感動に二人を見下ろしていた。
着ている物は蓮やが着ていたものと少し違うが、これも着物なのだろう。
ゆったりとした袖と裾からは下に重ねた着物の生地が見える。
大柄の植物が刺繍されたそれは、色がついていればさぞ見事な布地であっただろう。
「僕らをここに呼んだのは貴女だと聞きましたが」
「そうじゃ。妾がおぬしらを呼んだ」
「何の為に?」
何が目的だ、と問いたい気持ちを抑制しながらジェームズが訊く。
「頼みたいことがあるからじゃ」
顔を背けずに、しかし伏せたままの瞳で細く紡いだ声にジェームズはさらに訝しげに態度を硬化させるが、隣に立つシリウスにはその慎重さが伝わらなかったようで。
「ふざけんなっ人をこんな場所に引きずり込んどいて何が頼み事だ!大体にそっくりな姿で出てくることから気に喰わないんだよ!」
直情的な親友は時折ジェームズからしてみれば短慮としか思えない行動を取る。
今もそう、距離にしてシリウスのコンパスで五歩、その距離を一気に詰め寄って胸倉でも掴む気でいたのだろう。
しかし踏み出した右足が地面につく寸前にシリウスは声にならない悲鳴をあげてその場に崩れ落ちた。
「シリウス!?」
驚き、慌てて駆け寄ろうとするがジェームズの身体は本人の意思を全く受け付けず、ぴくりとも動かない。
唯一自由のきく首を動かして可能な限り辺りを見回すと、自分たち二人をこの場所に導いてきた子供が短く伸びた二人の影をその両足でしっかりと踏みしめて立っている。
仮面の下、その口が開き赤い口腔が曝け出される。
「失礼のないようにと言ったはずだ」
「これも日本の魔法ってこと?」
背に流れる汗を不快に思いながらジェームズは無理に笑ってみせる。
足元ではシリウスも身動きが取れずにぎりぎりと奥歯を噛みしめている。
「この姿は妾のものであり、そしてそなたらの良く知る者の形でもある。それ以上は今は言えぬ」
それは答えにするにはあまりにも短すぎ、そして足りない言葉だったが、それでもシリウスの問いに言葉を返し、ついで少女は二人の少年を戒める子供へついと目をやる。
それが合図だとでもいうように、子供は二人分の影から身を引き、息苦しさから開放されたジェームズはほっと大きく息をつく。
シリウスは身体の自由を奪われている間に口の中を切ったらしい。
口の端にわずかににじむ血を右手の甲で拭うと、つりあがった灰色の双眸で老樹の根元に浮かぶ少女を睨みつける。
「そなたらに頼みたいことがある」
しかし彼女はその視線を受けてもまるで動じない。
一度目を伏せて、次に開いたその瞳は金色に透けて見えた。
「捜して欲しいものがあるのじゃ」

帰り道だと示された方向をひたすら進むその背に、ジェームズは何十回目か分からないが謝罪の言葉を投げかけた。
しかし言葉とは相手に届いて初めてその効力を発揮するもの。
全身で親友のあらゆる何もかもを拒絶するシリウスにはジェームズの言葉はおろか、声すらも届いていないだろう。
「ごめんって、ねぇシリウス」
「………」
「謝るよ。もう本当に悪かったと思ってるから」
「………」
「シリウス、ごめん」
尚も無言で、怒気を撒き散らしながら薮を掻き分けるシリウスの広い背中に、ジェームズは立ち止まって静かに告げる。
「でも僕は多分、君がどれだけ怒っても、それこそ殺したいほどに僕を憎んでもあの子の頼みを聞いていたと思う」
「………」
ぴたり、とシリウスの四肢が動きをやめた。
振り返らない彼の後頭部をまっすぐに捉えながらジェームズは続ける。
を好きな君には許せないことだろうけど、知りたいんだ」
「何を」
ようやく返事が返ってきたことに少なからず安堵する。
のこと。いや、違うな。が僕達に知らせようとした何か、かな」
切れ者として学校一有名な親友の言葉にシリウスが驚愕に目を見開いて振り返る。
「な―――」
口を開きかけたその瞬間。
「え、え、えぇ??どうしてここに人がいるんですか!?」
第三者の介入によってそれは阻まれた。
そこには二人分の視線を受けて、驚きと不思議さで目をまん丸にしている黒髪の少年が立っていた。


鍵はすでに我が手にあり。
扉を開くには贄が必要だ。
だが心配など無用だ、いとし子よ。
今はやすらかに眠るがいい。

やがてすべてがこの手に戻るその日まで。



  


完成日 2005/04/23