ぱぁん、と高く乾いた音が談話室に響き渡る。
「もうっ知らないわ!あなたのことなんて!!」
リリーがそう言って、の脇を通り抜け、自室へ続く階段を走っていってしまった。
後に残されたのは赤く手形のついた頬を押さえ、落ちた眼鏡を拾うジェームズとその親友達だった。
彼と彼女の恋愛事情1
ひりひりする頬を手でさすりながらジェームズは談話室を見回す。
するとジェームズとリリーの喧嘩に運悪く鉢合わせてしまったグリフィンドールの生徒達がバツの悪そうな顔をしてこそこそと顔を逸らしていく。
そんなみんなに「御迷惑をおかけしました〜」などとジェームズはへらり、と笑う。
「阿呆。そこは笑うとこやないやろ」
ジェームズの立っているすぐ脇にあるソファから独特のイントネーションの声がして、亜麻色の髪の涼しい面立ちをした少年が心底呆れたように焦げ茶の瞳でジェームズを見る。
「あれーキョウ来てたの?」
「リーマスに魔法薬学のノート貸しにきたんや」
ひらひらと羊皮紙の束を見せる彼にシリウスが「俺も見たい」と手を伸ばすが。
「ええけど、これセブのやで?」
その言葉にぴたりとその手を止める。
そうしてローブの中から自分の杖を取り出すと「火をおこす呪文は……いっそ地獄の業火で焼き払って」
と何とも物騒な発言をしだしたので隣に座って砂糖の入れすぎでゲル状になった紅茶を機嫌よく飲んでいたリーマスに殴られた。
「何するんだよシリウス。僕が卒業できなくなってもいいの?」
「おまっいくら切羽詰ってるからってよりにもよってあんな野郎のノート借りることなんてねーだろ!?」
「いいんだよ。一番判りやすいんだから」
プライドはないのか、と叫ぶシリウスにリーマスは聞こえないふりをした。
「いやー久しぶりに殴られたよ」
ソファに腰かけながら苦笑するジェームズに背後からちょこんと顔を覗かせたが「痛い?」と訊いている。
「うん。ちょっと痛いかも」
「当たり前や。リリーが可哀想やないか」
「手厳しいなぁキョウは。喧嘩の理由は訊いてくれないの?」
「そんなの十中八九ジェームズが悪いに決まってるでしょ」
「リーマスの意見に賛成」
「リーマスもシリウスも酷いよ……ちょ、ちょっとは他に言い方あるんじゃないかな」
いつものことだ、と取り合わない二人にピーターがおずおずと進言するが効果はない。
「あーあー口切れとるやないの。歯ぁ食いしばらへんかったんやろ」
何処からか取り出した救急箱から脱脂綿に消毒液をしみ込ませ、有無を言わせずジェームズの顔を自分の方へ向けて手当てをする。
そんな異国の友人に感謝をしつつ。
「でも僕は幸せだからいいんだよ」
まったくしまりのない顔でそう言うジェームズにシリウスが少し引き気味になる。
「おまえマゾかよ」
「違うって。だってさ、普段冷静で優等生なあのリリーがだよ?僕の為になりふり構わず怒り狂うんだよ?それって僕がリリーの中で特別ってことでしょ」
誇らしげに胸を張る親友をシリウスは「やっぱマゾだわ」と冷めた目で見つめ、リーマスは「親友っていうの撤回しようかな」とこの夏にしたばかりの誓いを早くも破り捨てようとしている。
「何とでも言ってよ。僕の中でリリーは特別で、リリーの中でも僕は特別なの」
口の端に貼られた絆創膏を違和感から少し指先でいじり、ソファの背もたれに深く沈みこむ。
椅子の背凭れ越しにがそんなジェームズの頬に手を伸ばす。
「トクベツっていいこと?」
彼女のそんな問いにジェームズは一度驚いたように榛色の双眸を瞬かせ、それからレンズ越しに目元を緩めてゆっくりと頷く。
とても穏やかに、とても優しく、とても幸せそうに。
「いいことだよ。リリーと出逢えてなかったら僕はきっと駄目な人間になってたから」
「今でも充分にダメ人間だと思うぞ」
「そうかも」
ジェームズの向かいでシリウスが目を細めながらつっこみ、ジェームズはおどけた様に肩をすくめてみせる。
「いいなぁ。わたしも誰かのトクベツになりたい」
「なんや、。誰の“トクベツ”になりたいん?」
頬杖つきながら言う彼女にその幼馴染が問いかけ、緊張して聞き耳立てる少年が二人。
はちょっとだけ考え込む。
小首をかしげると、その拍子に長い髪がさらりと肩を滑り落ちる。
ぱちぱちと瞬きを数回繰り返して。
「お師様?」
と。
その返答に彼女に想いを寄せる二人は軽くずっこける。
夏に会ったばかりの玲瓏たる美女を思い浮かべて同時に背筋にえもいわれぬ寒気を感じてみたり。
「あとは、キョウも」
言ってほんやり微笑む彼女の頭を撫でながらご指名に預かった兄弟子はにっこり笑う。
「おおきになー。でも俺ん中ではいっつもトクベツやで」
「えへへ〜」
撫でられることが嬉しいのか、子供のようにはしゃぐを可愛いなと思いつつも妙に愛を感じる二人の距離に嫉妬する黒髪のワンコと鳶色の狼。
眼鏡を拭きながらそんな二人を興味深そうに観察するジェームズは、の中の対人関係の位置づけを予想しながら目の前の親友達は多分僕よりも下だろうなーと心ひそかに優越感に浸っていた。
がリリーの様子を見に自室に引き上げ、用事が済んだキョウも自分の寮に戻っていった。
ピーターはまだ終わっていない宿題をする為に図書館へ赴き、その場に残された三人は紅茶を啜りながら何となく無言でお菓子をつまむ。
糖蜜ヌガーの封を開けながら、リーマスが「トクベツかぁ」とふいに口にした。
「誰かの特別って嬉しいことなんだろうね」
甘い菓子を甘い紅茶で飲み下しながら。
自身の胸の内にあるあたたかな記憶を思い起こす。
「想いが通じ合ってたら、な。一方通行はけっこうきついんじゃないのか」
ノンシュガーの紅茶の入った茶器を優雅に持ち上げてシリウスが言う。
それに反論したのはジェームズで。
「そうかな?一方通行もけっこう楽しいよ。段々快感になっ」
「おまえと一緒にすんな」
頬いっぱいにクッキーを詰め込む親友の言葉をシリウスが半眼になりながら途中でばっさり切り捨てた。
そんな二人をよそにリーマスは想いを馳せる。
大切な想いをくれた少女と初めて出逢った時のことを。
木漏れ日。
光と影。
遠くにかすかな水の音。
微笑む、あたたかな存在。
「大丈夫だよ」
そう言って、あの日臆することなく手を差し延べてくれた。
前
次
完成日
2005/07/30