が行方不明なの」
夕食時にリリーから発せられたこの言葉でホグワーツ中が騒然とした。



先生のタマゴ



最初に立ち上がったのは悪戯仕掛人達で、ジェームズが泣きそうに顔を歪めるリリーの肩にそっと手を置いてテーブルに座らせ、リーマスが熱い紅茶を彼女に差し出す。
シリウスは立ち上がりスリザリン寮のテーブルに不本意ながらも顔を向け、の幼馴染の少年の姿を探す。
がやがやと次第に騒がしくなりつつある夕食中の大広間に独特の言葉遣いが響いた。
「まぁ待ちいや。飯食うてへん奴は先に食べ。それで後はいつも通りやな。レイブンクローの一年から三年までは東塔の一階から三階、四年からは外も含めて塔周辺全部。ハッフルパフは地下の厨房から上に上がってきてくれるか? グリフィンドールはこの中央や。そないに複雑な造りのとことちゃうけど範囲が広いから気ぃつけてな。それでスリザリンは地下牢教室を全部と、隠し通路なんかも見つけたら見といてや。ほなよろしゅうな。見つかったらいつもどおり杖で合図して広間に連絡」
早口に的確に指示を出し、キョウは食べていた食器を片付けると立ち上がり、隣に座っていたセブルスの耳元にぼそり、と何事かを囁いてから混雑する出入り口から外へ出た。
早足でついてきたシリウスと二、三会話を交わし、階段を下りる。
他の寮の生徒たちがばたばたと行き来するのを真剣な顔で見送り、何事かと問うてくる絵の中の貴婦人に愛想笑いをした。
そうして誰もこちらに来ていないことを確認して意図的にしかめていた顔をふ、と緩めた。
「さぁて、セブの奴はうまく見つけられるやろか」
思いっきり腕を伸ばしながらのんびりと彼は呟いた。


「何なのだ一体」
セブルス・スネイプは勝手に親友を名乗る亜麻色の髪の少年へ口の中で小さく悪態をつきながら廊下を進む。
猫背気味の背はそのまま、いささか乱暴気味に普段は立てない足音まで立てて階段を上る。
いくつか曲がり角を曲がり、話し相手が欲しくて近寄ってくるゴーストを完全無視しながら向かう先はスリザリン寮でも魔法薬学の実験教室でもない。
先程キョウに言われたある場所を目指しているのだ。
「一体、何処に、そんな部屋が、あるというのだっ」
硬いはずの廊下の床板がまるで生き物のように波打つのを一歩ずつ足を大きく踏み出すことでやり過ごしながらセブルスは文句を吐き続ける。

「あんなーの居場所は多分『必要の部屋』やねん。捜しに行ったってなー」

耳元で囁かれた言葉を思い返しながらずかずかと先へと進む。
八階に辿り着き、少し上がった息を静めながら『バカのバーナバス』のタペストリーを見つける。
キョウに教えられたとおりにその前を三往復する。
その間、心に強く思ったのは『行方不明中』の少女のこと。
こうしろ、と奴が言ったからしたまでのことだ。
と懸命に自身へ言い訳をしながらかつかつと靴の踵を高く鳴らし壁掛けの前を歩く。
「……これ、か?」
きっちりと三往復した後に突如として現れたぴかぴかに磨き上げられた、明らかにこの場には不釣合いな扉。
真鍮の取っ手を掴み、ゆっくりと引く。
中に足を踏み入れると扉は音も無く閉じた。
部屋の中はセブルスが目にしたことの無い世界が広がっていた。
一面に広がる草原。
一瞬幻か、とも思ったが鼻に届く草の匂いと、頬を撫でる風の感触にこれが本物なのだと無理にでも納得せざるを得ない状況であると判断した。
膝下あたりにまで伸びた草を踏み分け、とりあえず歩き出す。
どうやら夕暮れ時らしく、黄金色に染められた世界で全身真っ黒のセブルスは大層目立った。
そんなセブルスを見つけるのにそれほど苦労するはずも無く。
「あれ、セブくんだー」
を捜しにきたセブルスは逆に彼女に見つけられるという事態に陥ったのだった。
行こうとしていた方向からゆっくりと近づいてくる少女をセブルスは動かずに待っていた。
ローブを羽織っていない彼女は普段よりも一層線が細く見受けられる。
それを見たセブルスの口からは「捜していた」や「心配した」などという彼女のつかの間の失踪をゆるく責める言葉よりも先に「食事を、きちんと取っているのか」というものが出てきていた。
「ごはん?」
きょとんとした顔で足を止めたはゆっくりと首を傾げて。
「ごはんはもうすぐいらないよ?」
「……何を言っているのだ」
文法として成立しない彼女の返事にセブルスの眉間に皺が寄る。
しかし元々口数の多くないセブルスはそれ以上深く追求することなく、くるりとその場に踵を返す。
「帰るぞ。皆がおまえを捜している」
短く言って歩き出したが、後に足音は続かない。
不審に思って振り返ると、は先程セブルスが立っていたあたりに座って空を見上げていた。
「何を」
している、と問う前にはごろり、とその場に寝転んだ。
それはつまり今すぐにここを出て帰る気がないということで。
セブルスの眉間に新たに皺が数本刻まれる。
「セブくんもおいでよ。気持ちいいよ」
ほやーっと言われてしまっては無理に連れ出す気も失せる。
セブルスは仕方なく彼女の隣に腰を下ろしたのだった。


「…………」
「…………」
特に何を話すでもなく時間は過ぎる。
元々二人共自分から話しかけようという性格ではない。
普段なら騒がしいほどにの周りを取り囲んでいる憎々しいグリフィンドール生や、誰とでも気軽に話せる少女の幼馴染がいない所為だ。
それでもその沈黙は嫌ではなかった。
時折強く吹く風が草を煽り、静寂に小さな変化を捧げるくらいだったが、むしろ心地良かった。
隣に寝転ぶ黒髪の少女を見ながらセブルスはこういうのも悪くは無い、と一人考える。
「セブくんは」
「何だ」
ふいに口を開いた彼女に短く応える。
いつもキョウに返事をするときと同じ言葉だったが、口調が随分優しいことに彼は自分で驚いた。
「ココを卒業したらどうするの?」
「教師になる」
以前、同じような会話をした時にあれほど答えるのを拒んだ自らの夢を、あっさりと言い放つ。
「せんせい?」
「あぁ」
鸚鵡返しに問う彼女に短く答える。
教師になるという夢を誰かに話すのはこれで二人目だ、と思いながら。
「そっかーせんせいかー。うん、似合ってる」
ころり、と寝転んでセブルスの方に身体を向けながらはふんわりと微笑む。
生真面目な性格のセブルスが誰かに物を教えるという行為はぴったりとはまっていて。
まるで自分のことのように嬉しそうに笑うをセブルスはじっと見つめていた。
その頬がわずかに赤いことを恐らく本人は知りもしないだろう。
「セブくんはきっといい先生になるよ」
「どうしてそう言える」
「なんとなくだけど分かるよ」
「なんとなく、か。そのような曖昧な憶測でおまえもキョウも私を良い教師になるなどとよくも言えたものだ」
言葉は辛辣。
だがセブルスはどこか笑い出してしまいたいような、そんな心地良さを感じていた。
いつも引き締めている口元が綻んでいる。
「キョウが言ったんなら本当になるよ」
「どうだかな。奴の言うことなど信用できない」
「あはは〜セブくんはキョウのこと信じてないんだ」
「あのような人物を信用するという危ない賭けはしたくない」
容赦なく切り捨てるセブルスにはくすくすと笑う。
黄金色の世界はそろそろ群青色の闇に染められてきている。
吹く風もだいぶ温度が下がり、セーターだけのは薄着で寒そうに見える。
そんな彼女に自分が着ていたローブをかけてやると、は嬉しそうに、くすぐったそうに笑いながらセブルスを下から見上げた。
「がんばって、素敵なせんせいになってね」
彼女のそんな言葉が聞こえたから。
セブルスはちょっとだけ不器用に微笑んで。
「約束しよう」
短く、だがはっきりと言霊にその意志を込めたのだった。




  


完成日
2005/08/13