暗く閉ざされた部屋で待つ少年は嗤う。
整った造りの顔を嘲笑に歪めて、血のように紅い双眸を細めて。
自らの手で手繰り寄せ、紡ぐ物語を。
その結末を夢見て微笑う。



されど其れは抗い難い運命の道で



「来たね」
仄暗い廊下の奥で僅かな灯りしかない中、妖しいほどに輝く紅の双眸の持ち主は、近づいた足音に昏い笑みを向けた。
彼は何もない宙に浮かび、片膝を抱えた状態でその場に留まっている。
普通の人よりは若干色褪せた姿が、彼が普通の人間ではないことを如実に物語っていた。
「どうしたの?もっと近くまでおいでよ」
招く声に逆らえずに、足を踏み出せば彼はうっそりと眸を細め、唇を歪める。
さらりと揺れた黒髪、その音がはっきりと耳に届くほどこの場所は無音だった。
音を奏でるのはお互いの存在以外に無い。
「アナタは」
「僕の名前はトム・マールヴォロ・リドル」
言い掛けた言葉を遮って、彼が告げた。
「さ、これで君は僕に名を名乗らなければならない。最も、もうあの魔女の助言も必要ないだろう?だって君がここにいるということは、つまり君はもう“決めた”ということだろうからね」
膝についた手で頬杖をついて、楽しそうにリドルは笑う。
獲物を追い詰める肉食獣のように鋭く研ぎ澄まされた瞳を偽りの笑顔で覆って。
細い少女の影が揺れた。
…」
俯いて小さく呟かれた名前にリドルは満足そうに大きく頷いた。
黒髪がはらり、と一筋額に落ちる。
それを指で払いながらリドルはを見下ろす。
「そう、っていうんだ。によく似ている。当たり前か、君は彼女の血縁者だものね」
懐かしそうに微笑まれ、の胸が締め付けられるように痛む。
彼のことなど微塵も知らないはずなのに、彼は自分の大切なものに害を為そうとしているのに。
どうしてだか拒むことができない。

「おいで、。君の役目を果たそう」
いつの間にか傍まで来ていたリドルが優しく微笑み手を伸ばす。
自分の前に立つ彼を見上げて、は迷うように視線を彷徨わせる。
そんな彼女の些細な抵抗に、リドルは少し上体を折り、彼女の耳元へまるで睦言でも囁くように言う。
「いまさら何を迷うというの。ここに君が来たということは、君は大切な友人の未来よりも自分の事を選んだということだろう?」
囁きは鋭い刃物のように心に沈む。
ぎゅっと硬く瞳を閉じ、両手を握り締めては耐える。
「自分の血を残すことは罪悪ではないよ。いつだって、人間は自分の子孫を残すことに必死だ。だけど誰もそれを咎められない。 当たり前だ。人はヒトとして生きることしかできないのだから、ましてや神の所業に口を出すことなどできはしない」
「でも……それでも、わたしは」
「『鍵』のことを言っているのかい?」
「だって、わたしの所為……でジェームズは」
「君がそんなに迷うのは彼が知っている人間だからだろう?もしその人間が君と何も関係のない人物だったら?君は同じように心を痛めたかい?」
「それは」
「所詮人間なんてそんなものだろう。自分に関係の無いものは何事もなかったかのように振舞える。どんなに側で苦しんでいる人がいても、その人物が自分に何のメリットももたらさなければ平然と切り捨てる」
冷めた口調で言い放つ。
くだらない、と吐き捨ててけれどにこりと微笑んで彼は続ける。
「でも其れは悪いことではないよ。遥か昔から絶対多数がこの方法でこの世界を生き抜いてきたんだもの。が同じことをしたからといって誰も君を責めたりしないよ」
言葉は澱のように深く、深く沈む。
心を深く傷つけ、その傷口から流れる血がたとえ少女の四肢を染めても。
リドルは厭わない。
少女が、彼が愛した人物と同じ造形を持っていても、中身が全くの別物であると信じて疑わないからだ。
喩え似通った部分があったとしても、彼が求めるのは自分の愛する少女と完璧に寸分違わず同じ存在。
かつての記憶を全てその身に封じるは、器は同じであってもリドルの望むものではない。
だからリドルはに微笑みかけ、そして残酷に斬り捨てる。
「…………ごめんなさい」
小さく出た謝罪は一体誰に向けてのものだったのか。
哀しいほどに真摯な言の葉も、凍りついた彼の心には響かない。
いっそう昏く輝く紅玉をすぅ、と細めて、改めてリドルはに手を伸ばす。
恭しく差し出されたその手に、躊躇いながらも自身の手を乗せる少女に彼は嗤う。
「鍵は彼の者、扉はここに。そして扉の鍵を託されし少女。これで全てが揃った」
繋いだ手から淡い光が零れ始める。
蝶の羽のような燐光に暗闇に閉ざされていた大きな扉が浮かび上がった。
百合の花が彫られた大きな樫の扉は、荘厳で美しい。
その扉が一瞬眩いばかりに光り輝く。
リドルに導かれてやってきたを認めてのことだ。
、君がかけた魔法もとけたよ。もうすぐだ。もうすぐ、すべて望んだ未来を」
恍惚とした表情の、かつて少年だった人物の輪郭が徐々にぼやけてくる。
の手を離し、彼はゆっくりと扉へ足を踏み出す。
その身体が扉と重なった時。

愛する少女の名をいとおしげに呟きながら、リドルは消える。
あとには役目を終えて元に戻った緋色の石がひとつ、からん、と乾いた音を立てて床に落ちた。
記憶を留める媒介となっていたその石を拾い上げ、はぎゅっと抱きしめる。
「それでも、アナタの願いは叶わない。誰も、望む未来を手に入れることはできない」
悲痛に歪んだ表情はすべてを憐れむ聖母のようで。
「ごめん……な、さい…」
呟きながらゆっくりと意識を手放す少女を今までは居なかった影が受け止める。
その腕の中でぼんやりとした意識では。
「わたしで終わらせられたら、よかったのに」
誰よりも近くに居た幼馴染の少年に。
ごめんなさい、と三度目に口にした時、は深い眠りに誘われていた。
その頬には一筋の涙。
キョウは其れを拭うでもなく、ただ黙って少女の寝顔を見つめる。

止められなかった。
いや、止める権利すら自分にはない。
持てる力の全てと引き換えに魔女にこの身を差し出したキョウには、時を歪めて存在することしか許されていない。
傍観者としてしか、在ることを認められない。
魔法使いにとって契約は絶対。
破れば其れ相応の代価を支払う羽目になる。
そしてキョウにとっての代価とはすなわち永劫の身の破滅であった。
命とは繰り返すもの。
すべての命は死せば輪廻の輪に還る。
そこから新たな生を与えられ、新たな道を歩みだす。
だが理を犯せば、その命は輪廻に戻ることを赦されず、消滅の一途を辿ることとなる。
見届ける代わりに干渉はできない。
かつての主人と結んだ契約で、そう縛られていた。
だから。

「謝るんは、こっちの方や。すまんなぁ、
俯いて、言う。
意識の無い少女に言葉は届かない。
それでも続ける。
「そやけど何度遭うても気持ちのええもんやないなぁ……」
頬を伝う熱い滴が少女の白い顔に落ちる。
それが涙である、と教えてくれたのはいつの頃の『彼女』だったか。
想い出は遠すぎて。
記憶として留めるだけで精一杯で。
「もう、充分やろ?こんな悲しい運命は終わらせなあかんやろ……?なぁ、
二人の涙が混ざり、そして床に落ちる。
少女の胸には深い哀しみを。
少年の胸には揺るぎない覚悟を。
それぞれ残してやがて乾く。


夜空を見上げていた蓮は星の動きですべてを悟った。
菫色の瞳を伏せて。
「そう」
と、だけ呟く。
「ではこちらも準備を始めなければならないわね」
かたり、と砂時計をひっくり返すと、彼女は着物の袖を翻してその場から立ち上がる。
さらさらと零れる砂が、誰も居ない部屋でかすかに音を立てていた。




  


完成日
2005/08/18