契る気持ちは永遠に真実。
真夜中の睦言
ベッドの端に腰掛けて、リドルはあからさまに大仰に息をついてみせる。
ぱりっと糊のきいたシーツにくるまれているのはで、その顔は一目で分かるほどに赤い。
彼女は熱にうかされながらもそんなリドルを見て力なく笑った。
「何がそんなに可笑しいのさ。全く、あれだけ長い間雨に打たれていたら風邪もひくよ」
サイドボードに置かれたシンプルな細工がなされた銀のお盆にぬるくなったタオルをひたして絞る。
それを再び彼女の額に戻してついでに熱をはかる。
触れた肌は汗で湿っており、普段は白いばかりのそれは薄く朱に色づいており酷く扇情的だ。
「まだ熱いな」
だがいくら何でも風邪をひいて病床の彼女をどうにかするわけにもいかず、リドルは残念そうに舌打ちをしてタオルでの汗を拭う。
「何か食べる?果物なら喉を通るか」
言いながら籠に盛られた林檎を一つ手に取り、器用に果物ナイフで皮を剥いていく。
その様子を眺めながらは感心したように息をつく。
「リドルは何でもできますのね。あ、林檎はウサギの形にしてくださいな」
「………」
その言葉に普通に皮を剥こうとしていたリドルは一瞬ナイフを動かすのをやめて、非常に嫌そうにを見るが、彼女は期待を込めた笑みでこちらを見つめるだけで。
諦めたようにさくさくと林檎を望まれたとおりに刻み、皿に載せて彼女に渡す。
丁寧にウサギの形に切られた林檎を受け取りながら彼女は本当に嬉しそうに笑う。
「風邪をひくのもたまにはいいかもしれませんわね。だってリドルがこんなに優しくなるのですもの」
ウサギさんの林檎も可愛いですし。
と口の中でそれを咀嚼しながら言うと、リドルは呆れて溜息をついた。
「何を暢気に言って……それに聞捨てならないね。僕はいつだって優しいだろ?」
「あら、そうでしたかしら?」
とぼけてみせると、リドルは眉間に皺を寄せる。
「うふふ、眉間に皺ですわよ。いい男が台無しですわ」
楽しそうにころころ笑ってリドルの眉間を細い指先でつっつくと、その指先を無言のままの彼に絡め取られる。
紅い瞳が数回迷うように瞬いて、薄い唇が何かを言いたげに開いてはまた閉じる。
何度かそれを繰り返すリドルをは黙って微笑みながら見ている。
カーテンに照明の灯りが揺れながら影となって映る。
時計の針はとっくに真夜中の領域を指していて、寝静まった寮内では他人の存在を感じることさえ困難だ。
「何も聞かないのか?」
しばらくして発せられた言葉には軽く首をかしげてみせる。
「何を聞くのですか」
「聞きたいことがあるんじゃないのか」
「わたくしが、ですか?」
ベッドの端に片足を抱えて座るリドルは膝に顔を埋めるようにして、紅い瞳はどこか不安げにこちらを見ている。
もしかしたらリドルは今日までのことを謝りたいのかもしれない。
だけど彼はどうしてよいのか分からないのだろう。
誰かに謝るという行為はリドルにとって恐らく初めての経験だろうから。
きっと彼はに怒ってもらいたいのだ。
そうすれば謝ることが出来る。
そうすれば、自分の気持ちが楽になる。
そこまで考えてはくすり、と口の端に小さく笑みを浮かべる。
ベッドの上に上半身だけ起き上がった状態ではすっと背筋を伸ばす。
「リドル、わたくしは何も貴方に申し上げることはありませんわ」
風邪をひいているため常より出しにくいが、それでも通る声できっぱりと告げるとリドルは両目をしばたかせて「え」と声を洩らした。
ゆっくりと両目を閉じて彼の姿を目の前から消すと、瞼の裏に数時間前のリドルを思い描く。
紅く燃える夕日の中で「傷つけたくない」と泣いていた彼を。
リドルは無垢だ。
それは彼自身が思うよりもずっと純粋で、それ故に一度思いつめると危うくなる。
両親に愛されたことのない彼は愛情というものにたいして酷く敏感で、そして無知である。
言い換えれば彼はまだ子供のままなのだ。
いつまでも迎えを待つ幼子のように、彼は自分を求めるのだろう。
一瞬だけ淋しく微笑むと、は其れを掻き消すようにどこかうきうきとした調子で続けた。
「確かに貴方はわたくしに酷いことをおっしゃりました。わたくしの繊細な心はとても傷つきましたわ」
頬に手を当てて、ちょっとだけ泣くフリをしながら言ってみたりする。
普段のようにおっとりとした物言いだが、どこか棘のある言葉の選び方だ。
「ですからリドル、わたくしは貴方に“怒る”ということはいたしません。
だって責めてもらえればリドルは楽なのでしょう?そんなに簡単に貴方を許してしまいたくありませんもの」
穏やかに微笑みながらとんでもないことを言っているような気がする、とリドルは他人事のように彼女を眺めていた。
だが紛れも無く言われているのは自分自身で。
「つまりは僕に楽をしないで苦しめ、と言いたいんだな」
立てた膝に再び顔を伏せて、呻くように言ったリドルにはにっこりと頷く。
「いっぱい悩んで、そして答えをみつけてくださいな。男の子は悩んだ分だけ大きくなれるのですから」
「しばらく時間がかかりそうなんだけど」
「かまいませんわ」
時間など大した問題ではないといった風には朗らかに笑った。
恨めしそうにそんな彼女を見ていたが、諦めたようにもう一度、今日何度目になるのか分からないほど大きな溜息をつきながらリドルはその場に立ち上がる。
空になった皿を彼女の手元から取ると、それをサイドボードに置いてすっと短く息を吸い込む。
そうして細い黒髪の下から覗いた両の瞳はいつも通りの大胆で不敵な色を秘めていた。
の肩にかけられていたストールを取り、とん、と細い肩を押してベッドに倒す。
すぐ傍に腰掛けて、手を彼女の頬に伸ばす。
「じゃあ保留ってことにしておくよ」
口の端で綺麗に笑う彼をは見上げる。
熱のせいで赤くなった頬に触れる冷たい手が心地よくて思わず目を細める。
その様子にリドルは満足そうに微笑む。
「、僕はこれからもたくさん迷うだろう」
少しだけ汗に湿った髪を梳きながら言の葉を紡ぐ。
耳に響く低音は彼女だけの子守唄であるかのようで。
「でもずっと傍にいて欲しいんだ、に。君がいれば、君さえ居れば僕はきっと迷っても大丈夫だろうから」
「ずっと?」
まどろみながら聞き返す彼女に顔を近づけて、閉じかけた瞼にそっとキスを落とす。
「ずっと、だよ。だって約束しただろう?」
吐息だけで呟いてリドルは完全に眠ってしまったを愛しそうに眺める。
契る言葉に嘘は無い。
約束は守る為にあるのだから。
「ずっと一緒だよ」
夢路へ向かう直前に聞こえた其れには泣きたくなるほど愛しさを覚える。
ずっと傍にいられたら。
ああ、どんなにか倖せだろう。
涙が一筋流れ落ちる。
泣きながら眠る彼女を不思議そうに眺めて、リドルは指で優しくそれを拭い去った。
涙の意味を彼が知るのはもっと、後である。
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完成日
2005/02/11