恋花



金曜日の放課後はいつもより賑やかである。
一週間の授業を終え、休日をようやく迎えることが嬉しくてついついはしゃいでしまうのだ。
だから普段より自室へ引き上げるのがみんな少しだけ遅い。
暖炉に程近い場所でもう何度目か分からないチェスの勝負にまたもや勝利を確信したリドルは駒を進めながら「チェック」と短く目の前に座る少女に告げる。
「あら」
は長い睫毛を二、三度瞬かせると頬に手をあてて「また負けてしまいましたわ」とたいして悔しそうに聞こえない常のようにおっとりとした口調でそう言った。
「本当に、どうしてでしょう?なぜわたくしはリドルにチェスで勝つことができないのでしょうか」
頬に手をあてたまま心底不思議そうに勝負がついてしまった盤面をみつめる。
彼女があまりにも真面目にそう言うものだから、リドルは思わず噴出してしまった。
正面から今度は自分を不思議そうに眺める視線を感じるが、構わず笑う。
しばらくそうして肩を震わせて、目尻に浮かんだ涙を指でぬぐってから彼は黒目がちな大きな瞳でこちらをきょとんと見ているにようやく視線を合わせる。
にはチェスの才能がないんだよ」
一つ一つ精緻な細工の施された高級そうな駒を一つ摘み上げて彼は言う。
「そんなこともないと思いますけれど……」
盤面に散らばったチェスの駒達に「また負けてしまってごめんなさいね」と謝りながら彼女は片付ける。
魔法界のチェスの駒は普通、負けると操作している人間に酷く八つ当たりするものなのだが、にはそれが当てはまらないらしい。
事実、今日だけでもリドルに十回は負けている彼女だが、動かす白の駒達は文句を言うどころか逆に彼女を慰めている。
リドルが操る黒の駒に散々吹っ飛ばされて傷だらけになっても気にするなという風に気丈に振舞う。
その様子にちょっとだけ嫉妬しながらリドルは片づけを手伝う。
が労わるようにそっと駒を撫でて、撫でられた駒がとろんとした顔つきをしている(…ようにリドルには見えた)ので、箱に仕舞うふりをしながら思いっきり爪で弾いておいた。
「なあに?又負けたの?」
赤みがかった金色の巻き毛を揺らしてやってきた少女には困ったように微笑んだ。
「また負けてしまいましたわ。ユーディールに昨日ちゃんと作戦を教えていただいたのですけれど」
「あれだけ夜中まで付き合ってあげたのに?もう、やっぱり貴女チェスの神様に見放されているのよ」
目を丸くして片付けの終わった盤面を呆れたように眺めるユーディールには少しだけ唇を尖らせる。
「同じようなことをたった今リドルにも言われたところですわ」
「じゃあやっぱりそうなのよ。トムが言うなら間違いはないわね」
の後ろに立ち、ソファに肘をついて自分のものとは正反対のまっすぐな黒髪をいじりながら茶色の瞳を悪戯っぽく光らせてリドルの方を見る。
「そうだね。スリザリン随一のチェスの腕を持つユーディールに師事してこれだから。諦めた方がいいよ、
ゆったりとソファに背を預けて苦笑しながら言い、ユーディールも可笑しそうに笑うものだからはほんの少し頬を膨らませてみせる。
「では今度は俺がお相手つかまつりましょうかね」
リドルの後ろにひょいと現れたプラチナブロンドの少年を見て、ユーディールが「アレン」と軽く頬を染めてその名を呼ぶ。
アレンと呼ばれた少年はさりげなくと席を交代し、縁なしの薄いレンズで出来た眼鏡の奥、その灰色がかった青の瞳を聡明さで輝かせながらホグワーツの主席に挑むように笑ってみせる。
「弱い相手ばかりこてんぱんにしていてもつまらないでしょう」
先程しまったばかりのチェスの駒を再び盤上に並べながら彼は言う。
「へぇ、じゃあ君だったら満足のいく勝負にできるってこと?」
シニカルに口許を歪めながらリドルがソファに預けた身を起こして好戦的にアレンの挑発に乗ると、アレンは長い足を軽く組みながら「勿論」と短く答えてにっこりと笑った。
そのまま勝負に夢中になってしまった二人を眺めながらはユーディールと優雅にお茶を飲む。
「ね、ね、
「はい」
お茶うけとして出されたココアクッキーをつまみながらユーディールが隣に座るのローブの袖を引っ張る。
ってトムと付き合って結構長いわよね」
「そうですわねぇ。長くなりますわね」
好奇心に瞳をきらきらさせるユーディールの方を見ながらはのんびりと答える。
ここでユーディールは一段と声を小さくした。
「どこまでいってるの?」
「はい?」
耳元でこそこそ言われた言葉には目を丸くして思わず声を高くしてしまい、慌てたユーディールに「もうっ」と目で諌められたが、 チェス盤に夢中のリドルとアレンには聞こえなかったらしく、彼女はほっとしたように胸を撫で下ろした。
「聞こえないようにしてよ。貴女にこんなこと聞いてるってトムに知られたらわたしが危ないじゃないの」
ちょっとだけ怒ったように茶色の瞳を細める彼女にはとりあえず謝った。
リドルに聞かれたからといってどう、ということもないだろうがユーディールがそう認識しているのだからそうなのだろう。
「それで、ね、どこまで?」
紅茶を一口含んで、気を取り直したユーディールが再び訊く。
「どこまで、と言われましても……」
困ったように首をかしげてみせるに彼女は急かすようにあれこれ聞いてくる。
「手繋いだとか……というのはさりげなく毎日よね。じゃあキスしたとか……ってこれはこの間廊下でやってたわよね。駄目よ人目につく場所でやったら。えーっとじゃあその次は?」
順番にセオリー通りに訊いてくるユーディールには苦笑しながら紅茶をゆっくりと飲むだけで。
もう、真面目に答えてよ!と彼女に怒られる。
「どうなさいましたの?急にそんなことをお聞きになるなんて」
「どうって……」
逆に問いかけてみたら、ユーディールは途端に口ごもり、そわそわしながら視線をあちらこちらに泳がす。
その彼女の茶色い瞳に目の前でチェスの勝負に没頭するアレンの姿が多く映ることに気がついて、は微笑ましく思った。
「そういえばユーディールはアレンと幼馴染でしたわね」
今思い出したかのようにその名を出してやれば、彼女は頬を真っ赤に染めて俯いてしまった。
あらあら、と優しく微笑みながらは更に続ける。
「お付き合いを始めたのは最近なんですの?」
聞いた途端、ユーディールの肌は耳まで真っ赤になってしまった。
お可愛らしい方ですこと、とは彼女を眺めてそのまま視線をつい、と彼女の想い人であるアレンへと移す。
彼は頬にかかる程度のプラチナブロンドの髪を考える最中にいじりながら、ブルーグレーの瞳を細めて真剣に盤面を見つめている。
「婚約者だってことは昔から決まってたのよ」
小さな、小さな声でユーディールが呟くように言ったのではそちらへ振り返る。
「でもずっと近くにいたからそういう風に見たことなくって。最初は好きっていうのが幼馴染としてなのか、それともとトムみたいなモノなのかよく分からなくてちょっと戸惑って。でもアレンは優しいから」
「素敵な方ですものね」
相槌を打つと、彼女は自身の巻き毛を指に絡めながらうん、と小さくうなずいた。
「周りは気にしなくていいよって言ってくれたの。自分達らしくしようって」
「まぁ。惚気ですわね、ごちそうさまですこと」
「もう、茶化さないでよ!折角に相談しようと思って聞いたのに」
口を尖らせて恨めしそうに上目遣いで見てくる彼女には今度は笑って謝った。
「そうですわねぇ」
細い指を顎に添えて、もうそろそろ勝負がつきそうな目の前の二人の少年を眺めながらはゆっくりと微笑む。
「リドルはあれで結構子供っぽいところがおありですのよ」
ひとつ、ひとつ思い返すように記憶を辿る。
「嘘でしょう?」
思わず聞き返したユーディールに「本当ですわ」と悪戯っぽく笑う。
「負けず嫌いで、完璧主義で。そうそう、リドルは甘いものがお好きなんですのよ」
「全然そういう風には見えないわ」
「でしょう?そういうところが負けず嫌いで子供っぽいんですのよ。この間なんて夕食に出たデザートにシロップをかけたいのにホグワーツの主席がそんなこと出来ないって我慢しておられたんですのよ」
くすくす笑いながら言うにユーディールは目を丸くして優等生なリドルの横顔を眺める。
「仕方がないからわたくしがめいっぱいシロップをかけてさしあげましたわ。もうお腹がいっぱいですから食べてくださいって押し付けましたの」
「本当に??」
「ええ。リドルはぶつぶつ文句を言ってましたけれど、嬉しそうに召し上がってましたわ」
益々目を丸くしてリドルを眺めるユーディールを横目には呟く。
「皆さんには完璧な優等生に見えるのでしょうけれど、わたくしにはそればかりでは無いのです。そういうところがあるからわたくしはリドルが好きなのでしょうね」
顎に手を添えてしばし考え込むリドルを眺めて倖せそうにやわらかく笑む彼女を見て、ユーディールがちょっと怒った風に肘でをつついた。
「結局も惚気じゃないの」
「あら、そうですわね」
そのまま少女二人は顔を見合わせてくすくす笑う。
楽しそうに笑いあう彼女達にどうやら勝負がついたらしいアレンが伸びをしながらソファに身を沈め、話しかける。
「楽しそうですね。何の話をしているんですか」
問われたとユーディールは目を合わせて、二人で同時に悪戯っぽく又笑う。
「秘密。これは女の子同士の話なの」
ね、とと腕を組んでそう言うユーディールに「ええ」とも微笑む。
「何それ」
とリドル。
「嫉妬しますよ」
と眼鏡をかけ直してアレン。
そんな二人を見てころころと笑う少女二人。
「明日のホグズミードはダブルデートですかね」
と彼女達を見ながら言うアレンにリドルはちょっと嫌そうに眉をしかめたが、最終的にはふぅーっと息をついて苦笑しながら「そうかもね」と返した。




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完成日
2005/02/25