君が泣くのなら僕がその涙をぬぐおう。
正しい世界
近頃の様子がおかしい。
気付いたのは夕飯の後、談話室で宿題を広げている時だった。
占い学をユーディールと共に履修している彼女はテーブルの向こう側で一週間分の未来予知について頭を悩ませていた。
リドルはというと、数占いのレポートをアレンと共に広げ、羊皮紙の切れ端にひたすら数字の羅列を記していた。
羽ペンで特に苦労する風でもなくすらすらと書き進める二人の様子を同級生達は心底羨ましそうに見ている。
レポートを書く途中、なんとはなしに上げた視線の向こうにいたにリドルは軽く首を捻る。
ユーディールの話に相槌を打ちながらも彼女の意識は何処か遠くへ向かっているようだった。
その証拠にの手元は止まったままだ。
「どうかした?」
席のこちら側からリドルが問いかければ、は一瞬自分のことだとは気付かなかったようで、大きな黒い瞳をゆっくり数回瞬かせる。
それからはいつものように柔和な笑みを作り「何でもありませんわ」と小さく首を振る。
「そう?」
明らかに何でもないようには見えなかったが、リドルはそのまま深く追求するのをやめた。
そうしてしばらく四人は再びそれぞれのレポートに没頭する。
ようやく一段落ついたところでアレンが実家から送ってもらったという珍しい菓子をつまみながら休憩する。
「ねぇ!そういえばそろそろクリスマスよね」
カレンダーを見ていたユーディールが瞳をきらきらさせながら言った。
その声に三人は一様にカレンダーに目を向けて日付を確かめる。
「そういえばそうですね」
「ね、ね、は何か予定あるの?」
「わたくしですか?」
赤みがかった金髪を揺らしてユーディールが隣に座る少女へと問いかける。
は口をつけていた茶器をテーブルの上に戻すと、力なく微笑みながら答える。
「残念ながら何もありませんわ」
「実家に戻ったりは?」
「アレン」
不思議そうに尋ねるアレンをリドルが短い声で制する。
その声の調子に険が含まれていることを瞬時に悟ったアレンは素早い頭の回転ですぐに失言だったと気付く。
「すみません、余計なことを聞きましたね」
椅子に座ったまま頭を下げた。
プラチナブロンドの髪が重力に従い、幾筋かがさらりと音を立てて零れる。
はそんなアレンを苦笑しながら止める。
「おやめくださいな、わたくしは大丈夫ですから」
「酷いの?」
心配そうに覗き込むユーディールに少し笑ってみせる。
「いいえ。今のところわたくしの家族も村も無事です」
「そう……ならちょっとは安心よね」
「ええ。わたくしの一族は人里離れた場所に固まっていますから直接の被害はないのですが。でもやはり、心が痛みますわね……」
「戦況は激化する一方みたいですからね。サイパンからのアメリカの攻撃もかなりのものだとマグルの新聞には書いてありましたし」
の言葉にアレンが眼鏡を押さえながら神妙に頷く。
そのまま話題は戦争に移り、ユーディールはマグルが身勝手に起こした戦争について愚痴をこぼした。
イギリスにも戦争の余波はきているらしく、近頃は魔法政府も警戒してか、あまりマグルの世界へむやみに行かないように注意を呼びかけているのだとか。
「経済困難だからかなにか知らないけれど勝手に戦争されちゃ困るのよ。ヒコウキが空をいっぱい通過するからほうきが使えなくって、最近は移動するときは全部煙突飛行よ!」
ユーディールが憤慨して言う。
彼女は自慢の髪に煤がつくので煙突飛行は嫌いらしい。
「『姿現し』すればいいじゃないか」
ぼそりと口を挟んだリドルを彼女はぷぅとふくれた顔で睨む。
「トム!私が『姿現し』苦手だって知ってるでしょ!!」
「そうだっけ?」
「もう!」
「ユーディール、駄目ですよ。リドルはのこと以外覚える気がないんですから」
アレンが涼しい顔で言い、途端にその幼馴染兼恋人の少女は納得する。
「それもそうね」
「あら、そうでしょうか?」
「そうなんだよ、」
「トム、そこはきっと『そんなことない』って否定するところよ」
真面目な顔で深く頷くリドルにユーディールが呆れた声を出した。
「で?」
自室に引き上げた後、鏡台の前に座って髪を梳るの鏡像にリドルは問いかける。
「何がですの?」
おっとりと振り返る彼女に「とぼける必要なんて無い」と言いたげなリドルの視線がぶつかる。
それはむしろ誤魔化すなと、隠し事をするなと言っているようで。
ほんの少しだけ痛む胸を押さえては俯く。
「危険は、ないと思いますわ。それは本当です。わたくしの村はの氏神様の結界に守られているのですから」
ひとつひとつ言葉を噛みしめるように、自分自身に言い聞かせるように。
にしては珍しく歯切れの悪い口ぶりだった。
ベッドに腰かけ、足の上に両肘をつきその上に自身の頤を乗せて、鏡の中に俯く彼女を見つめリドルの目に浮かぶのは強い決意だろうか。
「はどうしたい?」
静かに問いかけるリドルに細い肩を震わせて、長い黒髪が流れる。
長くはない沈黙の中で、彼女が逡巡しているのがはっきりとわかった。
躊躇うように、戸惑うように想いを告げることを迷っている。
それは常の彼女ならざることで。
つまりは今、彼女が抱えているものはそれほどに大問題だということで。
どうして一言、言ってくれないのかと歯痒く思うリドルは知らず眉間に皺を寄せる。
普段ならリドルがそんな顔をしていればは微笑みながら眉間に指を滑らせ、「いい男が台無しですわよ」とおっとりとこちらの意表をつくような行動を取るだろう。
しかし今の彼女は周囲が見えていないようで、リドルが心配しているのにも気付かない。
「、僕は君がとても大事だよ。君が泣いたり憂えたりするのなら、
僕がその元凶を全て失くしてあげる。だから、ねぇ一人で抱え込んだりしないでよ。僕はそんなに頼りない男じゃないつもりだよ」
立ち上がり、鏡台の前椅子に座る彼女をそっと包み込むように抱き締める。
微かに震える腕の中の身体の振動がとても切ない。
「…………」
小さく聞こえた声にリドルはの髪を撫でながら「ん?」と優しく聞き返す。
「わたくしは……誰も争う必要などない、そんな世界が欲しいのです」
「」
「誰も傷ついたりしない優しい世界が、あの子が泣かないで済むように、そんな場所が欲しかっただけですのに……」
「あの子?」
第三者を示す代名詞に首を傾げるリドルにはうわ言の様に繰り返す。
「ごめんなさい、ごめんなさい。わたくしは、もう……あの子に哀しい運命を背負わせてしまう」
「?」
名を呼べばびくり、と腕に抱いた肩が大きく震えた。
続いて小さくしゃくりあげる声が漏れる。
熱い涙がリドルのセーターを濡らす。
何度も何度も誰かに謝り続ける彼女を、ただ守りたいと、そう思うことは間違いではない。
リドルはの肢体を抱き締める腕にゆっくりと力を込める。
片腕ではあやすように、宥めるように長い彼女の髪を撫で続ける。
泣き続ける彼女の耳元にそっと唇を寄せると、紅の瞳に昏い炎を小さく灯した彼は静かに静かに囁く。
「大丈夫だよ、。泣かないで。君の望みは僕が叶えてあげるから」
甘く響く声は危うい色を含んでいたが、腕の中の少女は気付かない。
「君が二度と泣くことのないように、僕が世界を変えてあげる」
だって君は僕とずっと一緒にいるって約束しただろう。
君が傍にいることが僕のたった一つの願いだから。
だから僕も君の望みを叶えるよ。
君が憂えるこの世界を正しい彩に染め変えて、そして僕の好きな顔で君がずっと微笑っていられるように。
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完成日
2005/07/02