唇を尖らせて不満を小さく呟く幼い容貌の弟子に蓮は小さく笑った。
「大丈夫よ。彼女は今とてもシアワセなのだから」



君を待つ日



「チェック」
「あら、まあ。まあ、どうしましょう?」
チェス盤を挟んで、向かい合う二人。
ソファに深く腰かけ、悠然と盤上を見つめるリドル。
追い詰められた駒自身に心配げに見上げられ、本当に困りきった微笑を漏らす
クリスマス休暇中のホグワーツは閑散としている。
ほとんどの生徒が家へと戻ってしまった今、とリドルが居るスリザリン寮に残っている生徒は二人を含めて両の手の指で足りるほどしかいない。
多くのホグワーツ生が家へと戻ったのはやはり社会情勢の不安定さからだろうか。
日に日に激しさを増すマグルの世界の戦争に、直接被害を被ったわけではないけれど、やはり心細さが先行するのだろう。
両親の元へと帰りを急ぐ同年代の少年や少女をリドルは無感動に見つめていた。
は、そんな彼の隣に黙って寄り添っていた。

リドルには帰る家が無い。
ははというと、今は下手に故郷に戻らない方が無難であると、彼女の家の人間と校長が決めたそうだ。
仕方がありませんわね、とはユーディールとアレンを見送る時に少し困ったように眉尻を下げて微笑んだ。
「わたくしもリドルも今年はホグワーツのお留守番役になってしまいましたわ」
「なるべく早く戻ってくるわ」
赤みがかった金色の巻き毛をその日はワインレッドのリボンで纏めていたユーディールがの両手を握りながら言うのに、リドルはぼそりと返す。
「別に急がなくてもいいよ。僕はと二人でいられて嬉しいし」
「そういうことは思っても口には出さないものですよ」
ブルーグレイの瞳を和ませてアレンが言い、いつもの通りに別れを告げた。

その時の様子を思い返していたのか、が二人のことを話題に上らせる。
もうどう足掻いても無理だというのに、盤上の駒に指示を与えて。
「元気にしているんじゃないの?今は非常時だからふくろう便も飛ばせないし連絡のしようがないけど」
「便りの無いのは元気の証拠、でしょうか?」
「日本の格言?うまいこと言うね。きっとそうだよ」
今度こそ、の持つキングを追い詰めたリドルは最後の号令を自身の駒に命じて勝負を終わらせる。
「今頃二人して甘い時間でも過ごしているんじゃないかな。親公認の仲だって言うし」
「素敵ですわね」
「そう?」
吹き飛ばした駒を杖を振って引き寄せ、箱に片付けるに手渡してリドルはそのまま彼女の顎を捉える。
唇が触れ合いそうなくらい近くで、
「でも僕の方がもっと素晴らしい夢を魅せてあげられるよ」
囁いて、キスはせずに舌先で軽く彼女の唇を舐めて。
しかしそんな官能的な誘惑もの手にかかればたちまち彼女のペースに巻き込まれてしまう。
「まあ、それは是非お願いしなくてはなりませんわね」
おっとりと微笑む彼女にリドルは苦笑して、今度は普通に唇を重ねたのだった。


さま、帰ってきぃひんかった」
むすっとした顔で膨れ面をしている亜麻色の髪の男童に、銀色の髪をさらりと揺らし、万屋懐古堂の主は緩く微笑む。
「この前のおやすみにも帰ってきぃひんかった。なぁ蓮さん、さまこのままずぅっと帰ってこぉへんのやろか」
厭や、と膝を抱えて彼は言う。
そんな小さな弟子の小さな頭を優しく撫でながら蓮は菫色の瞳をゆっくりと彼の地へ向ける。
「そんなことないわよ。あの子はいつだってここへ還ってきていたでしょう?」
「そうやけど、でもこの世に『絶対』なんてあらへんて、教えてくれたんは蓮さんやんか。もしかしたらさま、ずっとずっとここに帰ってきはらへんのかもしれへんやろ」
焦げ茶色の大きな瞳に薄っすらと涙を滲ませて。
ここ最近ずっと考え続けていたことを告げる彼の様子に蓮は目を細める。
「それは、ないわね。だってあの子はまだの血に縛られているもの」
一年に数度しか会うことのない美しい容姿の少女を思い浮かべながら蓮は続ける。
「まだ、ね。時間が足りないのよ」
彼女の全身に絡みつく果てない血の連鎖。
常人より遥かに多くを映し出す菫色の双眸は、会う度に濃くなるそれを目にしていた。
一度だけ、耐えかねて彼女に、に言ったことがある。
大丈夫なの、アナタはそれで平気なの、と。
彼女が本来持つべき自由など微塵も尊重されず、ただ一族の使命を果たすためだけに生かされている『生』に。
そのあまりにも哀しすぎる命の途に口を挟まずにいられなくて。
思わず口にした蓮には淡く、儚く、微笑んだ。
その時の笑顔が今も脳裏に焼きついて離れない。
今も目を閉じれば鮮明に思い描くことが出来る。
それほどまでに、美しい、鮮烈な印象を与えた笑顔だった。
さま俺のこと忘れてるんやないやろか」
小さな身体を丸めていっそう固く膝を抱えた男童が、今度は涙ぐんでぽつりと呟く。
「あら、どうしてそう思うの?」
「………」
蓮が問いかけると、言葉に詰まって黙り込む。
不安だけが膨らんで、大きく心を苛む。
揺るぐはずが無い絆さえ疑う。
そんなことあるはずない、と分かっていても今の彼は口にせずにはいられないのだろう。
あの日、蓮がに言ったように。
「理由が無いなら軽々しく口にするのはやめなさい。言葉に音を乗せればそれは力になるわ。魂を持った言の葉がキョウ、 今アナタが言ったことを本当にしてしまうかもしれないわよ」
「……………」
「そうそう、大人しく黙っていなさいな。もうすぐアナタの大好きなご主人様は還ってくるでしょう?」
隣にある小さな頭を撫でながら、蓮はゆっくりと瞳を伏せる。
瞼を閉じた暗闇の中でさえも、蓮に休息は訪れない。
むしろ感覚が研ぎ澄まされて、見ている時より多くのものを視ているかもしれない。
そうした中であの時も、この未来を視ていた。
「あと二つ、季節が過ぎれば。この冬が終わって、次の春が来て、そうして夏になる頃にはここへ戻ってくるわ」
その言葉に嬉しがる素振りも見せず、むしろ気落ちしたかのようにますます頑なに膝を抱え込むキョウ。
「それも厭や。だって次の夏がきてしもたらさま……」
唇を尖らせて不満を小さく呟く幼い容貌の弟子に蓮は小さく笑った。
「大丈夫よ。彼女は今とてもシアワセなのだから」








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完成日
2005/09/17