長い冬が終わって、窓から見える雪に覆われた部分が日に日に狭まっていき、待ち侘びた春がやってくる。
木々は寒い間じっと耐えていた芽吹きをようやく行える喜びに満ち溢れていた。
日増しに色めき立つ世界を目の当たりにすることで、彼女はその時が近いことを肌で感じ取っていた。


革命の春



確実に春が近付いてきているとはいえ、まだまだ外は寒い。
こんな時期に屋外へ出かけるのは酔狂のすることだ、とリドルは言う。
溶けかけた雪が夜の間に再び凍って、それに滑って無様に転ぶのだ、とも。
「まあ、それはそうかもしれませんね」
スリザリン寮の談話室、その暖炉の前。
特等席とも呼べる真正面で、ソファに座り毛布にくるまれてガタガタ震えるリドルに読書をしながら相槌を打ったのはアレン。
アレン・ウィスタリアはプラチナブロンドの髪に青灰色の瞳を持つ美丈夫だ。
縁のない薄いレンズの眼鏡をかけ、良家育ちらしいやわらかな物腰が魅力である。
イギリスの魔法界の中でも古く高貴な血筋であるウィスタリア家はホグワーツでも有名だ。
「でも俺は嫌いじゃないですよ。この時期は生命の神秘を体感できますからね」
「どこがだよ。外は殺風景だし溶けた雪で道はぬかるむし、いいことないじゃないか」
すかさず返ってきたリドルの悪態にアレンは読んでいた本を閉じて苦笑した。
ちょうどその時、談話室の入り口が開いて二人の少女が滑るように中に入ってきた。

「ただいま。薬もらってきたわよ」
先に歩いてきたのは赤みがかった金の巻き毛が愛らしいユーディールで、彼女はアレンの幼馴染みであり、二人は許婚同士でもある。
明朗快活な性格で、一見するとスリザリン寮には似つかわしくないような彼女だが、内に秘めた狡猾さはしっかりとこの寮の特徴を踏まえている。
似つかわしくない、という点でならユーディールに続いてやってきた黒髪の少女の方がよっぽどそうだといえる。
は遠く東の果て、日本からの留学生で長い黒髪と大きな黒い瞳、華奢な肢体とおっとりした喋り方が特徴の美少女だ。
アジアンにしては珍しくアンティークドールのように整った顔は西洋の只中であるここ、イギリスでも遜色が無い。
「調子はどうですの?」
熱い湯気の立つマグカップをリドルに差し出してユーディールと共にソファに腰かけながら訊けば、鼻をずずっとすする音が返事の代わりに寄越された。
「あれ、リドルの分だけなんですか?」
アレンが一つだけしかないマグカップを見てそう言えば、ユーディールがくすくすと笑う。
「あれはトムの為にが『特別』に作った蜂蜜入りのミルクよ。砂糖もたっぷり入っててとてもあなたに飲めるものじゃないわ」
「申し訳ありません。今紅茶を御用意いたしますね」
も微笑み、ローブの下から杖を取り出してくるり、と振る。
すると何処からか三人分のティーカップと精緻な唐草模様のティーポッドが、ユーディールも同じように杖を振れば金色の缶に入った茶葉が現れた。
熱い湯を注ぎ、同じように温めたカップの中に琥珀色の茶を注ぐと、その場には芳しい香りが拡がった。
人数分の紅茶を注ぐの傍らでユーディールは次々と杖を振り、砂糖、ミルク、レモンといった付属品をどんどん出してテーブルに並べる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
淹れたての紅茶を受け取り、砂糖も何も入れないでアレンはまずその香りを楽しんだ。
そして一口。
「相変わらず貴女は紅茶を入れるのがお上手ですね」
素直に賛辞を送るアレンにミルクと砂糖をたっぷり加えた自分の紅茶をかきまぜながらユーディールが「ほんとよねぇ」と同意した。
「もしかしたらわたし達英国人よりも上手に淹れるかもしれないんだもの。わたし、が来るまでは家でそれなりに 淹れ方とか習ってたからちょっとは自信あったのよ?でも駄目。の淹れたもの飲んだら他のはもう飲めないわ」
「まぁ、光栄ですわ」
「もう一杯いただけますか」
早々に一杯目を飲み干したアレンが受け皿からカップを持ち上げれば、はやわらかく微笑んだ。
、僕にもちょうだい」
特製の蜂蜜入りミルクを飲み終えたリドルもそう言い、アレンには一度目と同じようにストレートのままで。
リドルには砂糖を多めに入れて渡した。
「それにしても、雪合戦をしただけでお風邪を召されるだなんて。リドルは本当にお可愛らしい方ですわね」
紅茶を片手にがほぅ、とため息をつけば、リドルの眉間に皺が寄る。
「薄々気付いてはいましたけれども、リドルは本当に寒がりなんですもの。アレンに当てられるのはまだ分かりますけれど、ユーディールにまで集中攻撃をされるだなんて思いもしませんでしたわ」

昨日、急にが言い出した『雪合戦』は渋るリドルをよそに瞬く間に賛成多数で可決され、厚手のローブにスリザリンカラーのマフラーをぐるぐる巻いて四人は校庭に駆け出していた。
寒さに固まるリドルをよそに、三人は楽しそうに歓声を上げながら雪玉を投げている。
冷気に晒されて赤くなった鼻の頭を庇いながら、それでもリドルは十分耐えた。
その上で帰ろう、とを促してみるがまるで聞き入れられず。
おまけにただ立っているだけのリドルは格好の的となってしまい、運動が苦手なはずのユーディールにさえぼこぼこと雪玉を当てられる始末。
ここ数日すこしだけ暖かい日が続いたため、雪は水分を多く含み湿り気に富んでいた。
べちゃり、と顔の右半分に雪玉がヒットした時、リドルはぷつり、と頭の中で何かが切れる音を感じたという。
本気で怒ったリドルが懐から杖を取り出して魔法を使い雪を丸め始めたので、もアレンもユーディールも顔を見合わせた後にそれぞれの杖を取り出した。
後はなし崩しに魔法を使った雪合戦が始まり、二時間後にはどろどろになって玄関ホールで四人揃って管理人に仰天されるという事態になったのだった。


「じゃあお大事にね」
自分はアレンの部屋に泊まるつもりのユーディールはそう言って扉を閉めた。
整えられた寝台に辛そうに横たわるリドルを布団でくるみながらはその額に手をやる。
それほど熱いというわけでもないが、風邪はひきはじめが肝心だ。
毛布や布団を何重にも重ねてリドルを寝かしつけ、ベッド脇に持ってきた椅子に腰かけて保健室でもらってきた薬を手に取る。
部屋の中は夕陽が差し込んでいる。
朝は薄く雲がかかっていたため、カーテンは開け放たれたままなのだ。
「もう、絶対に雪でなんか遊ばない……」
寒気で震えるリドルはしかめっ面でそう言い、眩しさから右手を目の前に翳した。
「あら、楽しかったではありませんか。みなさん童心に返ってらっしゃいましたよ」
「僕が寒いの嫌いだって、雪も嫌いだって知っててはそういうこと言うんだ」
「わたくしは好きですもの」
にこり、と微笑むとはリドルの方に身体を向ける。
彼女の声を聞いてリドルは右手の下で眉間に深く皺を刻んだ。
「嫌いだよ。僕は」
小さく吐き捨てるように。
短く音にされた言葉には一瞬悲しげに表情を曇らす。
そっと手を伸ばして、リドルの右手に己の手を重ねた。
夕陽が部屋を朱に染める。
その光が差す方を、二つの瞳でしっかりと見定めながら幼子に言い聞かせるように優しい声音で語りかける。
「リドル、世界はこんなにも輝きに満ち溢れていますわ。それこそ無駄なくらいにきらきらしいのです。だからどうか目を閉じようとしないでください。光を拒まないでくださいな」
白い手でリドルの手を包み、続ける。
「今のあなたにとっては強すぎる光でも、きっと、いつかそのあたたかさに気付く時が来るはずですから。ですからどうか、世界を拒まないで。……憎まないでください」
「な、に………その言い方。やめてよ。そんな言い方まるで――」
続きを言おうとしたリドルの口をは人差し指でそっと塞ぐ。
紅の瞳を見下ろす彼女は優しくあたたかく微笑んでいた。
そんな彼女を見るリドルは訳も無く視界が涙でぼやける。
何かを言おうとしても熱の所為なのか、乾いて引き攣れた喉の奥からは声が出ない。
与えられるがままに薬を流し込み、少しすれば効き目があらわれて眠気が一気に襲ってきた。
「前とは反対ですわね」
にゃあ、と餌をねだって足元にまとわりつく飼い猫。
「静かにしていてくださいね」と小さな頭を撫でてやる。
そういえばそんなこともあったかもしれない、と眠気に引き摺られる寸前にの声と子猫の鳴き声を耳にしたリドルは思った。


普段の彼からは想像できないほどあどけない寝顔を披露するリドル。
額にかかった髪を指ではらってやり、眠りにつく少年の額に小さくキスを落とす。
完全に沈んでしまった太陽の名残は、西の空にかすかに残る朱色の雲のみで。
窓の方へ立って歩いて、外の風景を見ながらは胸に抱えた子猫に頬を寄せる。
「春が来て、そして夏が来れば……わたくしはリドルとはお別れ、ですのね」
声は小さすぎて感情の色が現れなかった。
ただ彼女を主とする子猫はひげをへにゃりと下げて、一度だけ弱々しく「にゃぁ…」と鳴いた。







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完成日
2005/10/08